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リバプールの経営改革10年史。FSGと重ねた試行錯誤を振り返る

2020.07.29

ファンと振り返るリバプール優勝5つの理由】#1

「君たちが我われを王者にしてくれた」――トロフィー授与式でユルゲン・クロップが口にしたのは、5年間で「疑う者」から「信じる者」へ変貌を遂げたサポーターへの感謝の言葉だった。悲願のプレミアリーグ初制覇。歓喜の瞬間を夢見てリバプールを信じ続けてきたファンにとって、30年ぶり国内リーグ戴冠の理由は何なのか。経営、専門家、SNS戦略、ブランディング、データ……独自の視点で名門復活に迫る!

今回は、好評発売中の書籍『リバプールのすべて』に収録された座談会にも登場するヘンリー氏に、「経営」の視点からフェンウェイ・スポーツ・グループとの10年を振り返ってもらった。

【リバプール優勝記念出版】

リバプールのすべて

リバプール優勝記念号

 30年ぶりの国内リーグ優勝。その理由は2010年秋にリバプールを買収したフェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)にあるだろう。

 MLBのボストン・レッドソックスの親会社でもある彼らは当時、悪名高き前オーナーとして知られるトム・ヒックスとジョージ・ジレットが残した2億ポンド(約260億円)もの借金を、すべて肩代わりする形で精算した。とはいえ、帳簿上の赤字を抹消しただけでは今季リバプールがプレミアリーグを制することはなかったはずだ。

 『Swiss Ramble』によればFSGが買収した2010年、リバプールの年間売上高は1億8450万ポンド(約240億円)だったが、2019年には2.5倍以上の5億3300万ポンド(約692億円)まで伸びている。クラブの財源となる3つの柱――マッチデー収入、放映権収入、コマーシャル収入のいずれも安定的な成長を見せているが、それはFSGがピッチ内外における専門家を呼び集め、10年もの年月をかけて各々が力を発揮できる体制を整えてきた賜物だろう。

 その一例が「専門分野に長けた人材を集めCEOの役割を細分化してきたこと」だ。当時CEOだったイアン・エアーはマーケティングから、スポンサー獲得、移籍交渉まで幅広い仕事を一人で手掛けていたが、FSG買収後はその業務が分配されていく。まずは2012年、FSG傘下でマーケティング業務を行なってきたビリー・ホーガンをCCO(チーフ・コマーシャル・オフィサー)という新役職に抜擢し、チケット販売とスポンサー獲得を任せたのだ。

前CEOのイアン・エアー

「レッドソックス流」聖地改造計画

 ホーガン率いるコマーシャルチームの施策に大きく関わっているのは、聖地アンフィールドの処遇だろう。当時リバプールは、収容人数が5万人に満たないホームスタジアムの「移転」と「拡張」という、2つの選択肢の間で10年以上揺れ続けていた。その長年の悩みを解決したのがFSGだったのだ。

 「拡張の方が好ましいオプションでした。フェンウェイ・パーク(ボストン・レッドソックスの本拠地)の適正評価にも携わりましたが、レッドソックスとリバプールにはスポーツ組織として共通点があるのです。2010年に私たちが初めてアンフィールドにやってきてスタジアムを見学した時、ジョン・ヘンリー(FSGオーナー)が『なぜここから離れなければならないのだろう?』と言ったのを覚えています」

 『Bleacher Report』でホーガンが回想したように、FSGは過去にレッドソックスで同様の問題に直面。そこで彼らは、MLB最古のスタジアムであるフェンウェイ・パークを拡張し見事に増収へと繋げていたのだった。

 「フェンウェイ(・パーク)で彼と私たち全員は歴史的な拠点がクラブにもたらす意味を理解しています。新しいスタジアムを建てても歴史と伝統を再現することはできないのです。だから『アンフィールドにとどまりたい』という希望がありました」

 こうしてクラブはアンフィールドを残すことを決断。メインスタンドで新たにVIPシート、通称「エグゼクティブラウンジ」の販売を始めていたコマーシャルチームにとっては朗報だったことだろう。

 「このラウンジはハーフウェイラインの延長線上に位置しており、これ以上ない体験ができます。実際に需要は凄まじいです。多くのファンにとって、アンフィールドでこのタイプのプレミアムシートとホスピタリティを得られるのは、一生に一度の忘れられない機会となるでしょう」(ビリー・ホーガン)

 アンフィールドの拡張計画を発表したクラブは、2016年にメインスタンドの改修に着手。この工事では5万4000人へのスタジアム収容人数拡大の裏で、VIPシートなどのホスピタリティ用のラウンジを改装・増築し、さらなる顧客体験の向上に取り組んでいた。

2016年春のアンフィールド拡張工事

 「拡張したメインスタンドで提供するホスピタリティはプレミアリーグでも有数となるでしょう。私たちは、ファンが今季初めてこのサービスを体験できることを楽しみにしています」

 ホーガンが『Insider Media』で豪語した通りホスピタリティは完売し、16-17シーズンはマッチデー収入の1200万ポンド(約16億円)増加に貢献している。2017年夏にはアンフィールドに、試合日の混雑にも耐えられる約1765平方メートルの広さを誇るオフィシャルストアを新設。彼はシーズン中に何度も足を運びたくなるような「素晴らしい購買体験を作り出すため、サプライヤーのニューバランスをはじめとするパートナーと協力したこと」も『Liverpool Echo』で明かしている。

2017年に新設されたオフィシャルストア

 こうしたアンフィールド拡張を軸とする戦略が功を奏し、2010年は4290万ポンド(約56億円)だったマッチデー収入が2019年には8400万ポンド(約109億円)と約2倍に増加した。

 それでも、失敗がなかったわけではない。16-17シーズンには2016年にMLB最高額となるチケット価格を設定したフェンウェイ・パークにならい、アンフィールドもチケット料金の値上げを予定していたが、ファンからの猛反発を受け直ちに撤回。翌シーズンにサポーターコミュニケーション部門を立ち上げると、現地誌の記者トニー・バレットをチーフに任命し、ファンとの定期的なミーティングをスタートさせた。直接サポーターと意見を交わしながら、さらなるスタジアム拡張に向けて動いている。

 「私たちのサポーターにとって、リバプールとはファミリーなのです。ファンからするとアンフィールドはただのスタジアムではありません。『ホーム』となっているのです。私たちのクラブには『魔法のようなもの』があるんですよ」(ビリー・ホーガン)

「価値観」の相乗効果によるブランド強化

 メインスタンド拡張には、コマーシャル収入増加の狙いもある。かつてフェンウェイ・パークの名物である巨大フェンス「グリーンモンスター」のスポンサー広告を担当していたホーガンは当初、メインスタンドの命名権売却を検討。ファンにとって愛着のあるスタジアムの名前そのものを売却するのではなく、その象徴である一部分を広告枠として売り出すことで、コマーシャル収入の増加を図ったわけだ。ところが実際に複数企業と交渉に入ったものの、契約までは至らず。『Liverpool Echo』で「単にメインスタンドにふさわしいパートナーが見つからなかったから」と明かしたホーガンは、代わりにラウンジのネーミングパートナーを募ることで増収を図っている。

フェンウェイ・パークの名物「グリーン・モンスター」

 では、スポンサーの「ふさわしさ」とは一体何だろうか?そのヒントは、2019年までリバプールでコマーシャルディレクターとして活躍したオリー・デイルの言葉にある。フラムでコマーシャル活動の責任者を務めていた彼は、ナイキ、LGグループ、アメリカン航空をはじめとするグローバル企業と同クラブを繋げスポンサー収入を7倍に増加させたスペシャリスト。2011年にFSGから引き抜かれリバプールに加入した後も、ホーガンの言葉を借りれば「コマーシャルチームで有益な役割を果たしていた」という。

前コマーシャルディレクター、オリー・デイル(左)

 プレミアリーグの袖スポンサー解禁にともない、2017年に金融企業ウエスタン・ユニオンと結んだ契約も彼の功績の一つだろう。5年間、肩に100平方cmにも満たない小さな企業ロゴを入れるだけで、リバプールは2500万ポンド(約33億円)の収入を得ることになった。しかし、その金額だけが契約締結の決め手となったわけではない。

 「袖スポンサーの候補を精査するにあたって二つのカギとなる評価基準がありました。一つは歴史で、もう一つは両者のブランドの世界的なアピール力です。私たちは伝統あふれる創立125年のクラブであり、世界中で情熱的にサポートされています。ウエスタン・ユニオンも、160年の歴史を持ち全世界で認知されている企業です。つまり、重要なのはそうやって私たちとそっくりなパートナーを得ることだったのです」

 デイルが『SportsPro』で語ったように、リバプールはビジョンの近い企業とスポンサー契約を結ぶことで、国境と分野を越えたブランドの相乗効果を狙っている。2018年に国際保険パートナーとなったAXAグループも歴史ある世界的な保険会社として知られており、翌年にはトレーニングキットのパートナー契約も締結。2010年より胸スポンサーを務める英資本の老舗金融グループ、スタンダード・チャータードからは現在、契約当初の2倍となる年間4000万ポンド(約52億円)を受け取っていると報じられている。新契約の理由について、彼らは口をそろえて「価値観の共有」を挙げており、独自の方針が生んだ関係強化と言えるだろう。

リバプールの胸スポンサー、スタンダード・チャータード

衝突を経て「三位一体」の補強戦略へ

 こうしてコマーシャル収入も2010年の6210万ポンド(約81億円)から、2019年には1億8800万ポンド(約244億円)へと3倍近くに増えているが、もちろんピッチ内での成功もあってこそ。そこで一役買っているのは、エアーに代わり移籍交渉を担当する役割として2016年に新設された「スポーツディレクター」を務めるマイケル・エドワーズだ。

 それ以前からリバプールは分析部門にも専門家を積極的に迎え入れており、エドワーズも2000年代からポーツマスやトッテナムで活躍していたパフォーマンス分析のパイオニア。「獲得候補の今後2年間の成長まで考慮した意見出し」や「世界中に張り巡らせるスカウト網からの情報を集めた選手推薦」を行っているというスカウト2人、デイブ・ファローズとバリー・ハンターはマンチェスター・シティから引き抜いた人材だ。彼らを中心とする組織は「移籍委員会」と呼ばれ、データによる客観評価とスカウティングによる主観評価で選手を見定める先進的なチームだった。

 ところが移籍委員会は、当時の指揮官ブレンダン・ロジャーズと補強方針をめぐって対立してしまう。特に顕在化したのが2015年夏。ロジャーズがクリスティアン・ベンテケを希望する一方、移籍委員会はロベルト・フィルミーノを推薦。結局クラブは2人とも獲得したが、各分野の専門化を進める中での摩擦が浮き彫りとなった。

リバプール加入後、明暗が別れたベンテケとフィルミーノ

 そこで現場とスカウティングの緩衝材となったのがロジャーズの後任、ユルゲン・クロップだ。ドルトムント時代にスポーツディレクターとの2頭体制を経験していた現監督は、常に移籍委員会の意見に耳を傾けており、推薦された選手をそのまま獲得することもあるほど。代表例はモハメド・サラーで、当時希望していたユリアン・ブラントの獲得が難しいとなるや、エドワーズから進言されたエジプト代表FWの獲得にクロップは快く応じたのだった。

 「彼(エドワーズ)とはとてもいい関係にある。彼の部門はセンセーショナルな仕事をしているよ。いつも会話の初めから同じ意見を持つ必要はないが、私たちは会話の多くを同じ意見か似た意見で終えている」(ユルゲン・クロップ)

 フィルジル・ファン・ダイク獲得の際はサウサンプトンとの関係がこじれてしまったが、FSG社長のマイク・ゴードンが関係を修復。スカウティング、現場、ビジネスの三位一体で動いた移籍例として挙げることができるだろう。ピンポイントの補強が可能となったことで、リバプールはCL常連クラブへと返り咲き、昨季には欧州王者に輝いた。おかげで放映権収入も2010年の7960万ポンド(約103億円)から、2019年には2億6100万ポンド(約339億円)へと3倍以上に増加している。

それぞれ前線と最終ラインで要となったサラーとファン・ダイク

 こうしてFSG体制のリバプールを振り返ると、レッドソックスでのノウハウを生かしながらも数々の失敗を経験していることがわかる。そこから一つひとつ学んで改善し、専門家が力を発揮できる土台を作り上げてきたからこそ、現在の成功があるのだろう。FSGが買収してから、プレミアリーグ初優勝まで約10年。この数字が早いか遅いかは人それぞれだが、一から組織を機能させ成功を導くためには時間が必要だということが実感させられる。


Photos: Getty Images

ファンと振り返るリバプール優勝5つの理由

Profile

ヘンリー

2005年のFIFAクラブ世界選手権にて、目の前で躍動するジェラードを見たことがきっかけでリパプールファンに。2006年の松坂大輔の入団以来、レッドソックスにも注目し、両チームを追い続ける日々を送る。2017年よりリバプールFCラボでライターとして参加し、双方を所有するFSGに関する記事を執筆中。ペンネームはジョン・ヘンリーが由来。