10冠へ向けて。ガンバ大阪のアイデンティティとは
【ガンバ大阪、アカデミー改革の時 #6】
本特集では4人のキーマンに話を聞いた。人事的に大きな変化はあったものの、それは決して過去の否定ではなかった。松波氏は「モデルチェンジではなくブラッシュアップ」と語り、坪倉氏は「ゼロから作るわけじゃなく、今までのガンバを表現しつつ、強みをさらに強く打ち出すこと」と伝統を重視している。では、継承すべき要素とは何で、変えようとしている要素は何なのか。担当記者としてガンバを追い続けている金川誉氏に特集を総括してもらった。
遠藤保仁の言語化
ガンバらしさを定義しようとしたら、どんな言葉が思い浮かぶだろうか。攻撃的、パスサッカー、アカデミー出身者の多さ……。サポーターのみならず、Jリーグを継続的に追っているファンなら、いくつかのイメージが浮かび上がるだろう。しかしそれはどれも漠然としたもので、さらに近年はそんな要素も薄れつつある。今回の取材を通じ、クラブとして「ガンバらしさ」を言語化することでコーチングの統一を図り、より「ガンバらしい選手」を育成、そのスピードを上げていこうとしていることがわかった。これがガンバ大阪アカデミーに起こった、大きな変化の理由だった。
育成に関する豊富な経験と、海外での指導歴もある坪倉氏は、外からの目を持ってガンバの強みと弱みを分析、発展させていく存在として期待されている。その一方で、上野山氏、鴨川氏、梅津氏というガンバアカデミーを長年支えてきた指導者たちがクラブを離れたタイミングと、ガンバらしさを言語化しようとするタイミングが重なり、彼らの持つ経験を「メソッド」に取り入れられなかったことは残念だ。しかしそこには、より前に進みたいというクラブの意向があった。当然、アカデミーを知り尽くした指導者たちが減ることによるデメリットも少なからずあるだろうが、明神氏ら若い力を加え、新たなガンバ像を作り上げていこうとする意志がそこにはあった。
ガンバのトップチームは2005年に初めてリーグ戦を制し、08年にはACL制覇、その後も数々の勝利を重ね、計9つの主要タイトルをつかんできた。この間、変わらず中心選手としてプレーし続けてきたのが遠藤保仁だ。ボールを大事に動かすという普遍のプレースタイルを持ちながら、チームメイトの能力を最大限に引き出すサッカーインテリジェンスを持つ日本最高峰の司令塔は、今やJ1最多出場記録も持つJのレジェンドでもある。その凄みは監督のスタイルに合わせてプレーを微調整しつつ、決して自身の特徴も失うことなく、ピッチに立ち続けてきたところにも表れている。ここ15年におけるガンバのトップチームのスタイルは、間違いなく遠藤の存在と深く関連している。……
【特集】ガンバ大阪、アカデミー改革の時
Profile
金川 誉(スポーツ報知)
1981年、兵庫県加古川市出身。大阪教育大サッカー部では関西2部リーグでプレー(主にベンチ)し、2005年に報知新聞大阪入社。野球担当などを経て、2011年からサッカー担当としてガンバ大阪を中心に取材。スクープ重視というスポーツ新聞のスタイルを貫きつつ、少しでもサッカーの魅力を発信できる取材、執筆を目指している。