「審判に勇気を与える」一方で…取材を通して感じた効果と懸念
【VAR特集#5】ジャーナリストの視点
ルヴァンカップのベスト8がプロレベルでのお披露目となった日本でのVARだが、そこに向けたテストとして、ユース年代の大会で先行導入されていた。SBSカップなどの取材を通してピッチの外からVARを“体験”した川端暁彦さんに、監督の見解や現場の雰囲気を踏まえた私見を語ってもらった。
U-18ベルギー代表監督の見解
「いや、でもPKはPKだからね。正しい判定が行われたということだから、文句をつける気はないよ。VARに関して、私は100%賛成なんだ」
U-18ベルギー代表を率いるジャッキー・マタイセン監督はそう言って、にっこり笑った。日本の静岡県で行われたSBSカップ国際ユース大会において、ベルギーはコロンビアと対戦。ベルギーが実に3度のPKを献上して敗れた後のことである。
VARの効用の一つとして挙げられるものとして、「審判に勇気を与える」という一面がある。たとえどれほど経験を積んだ審判であっても、「自分がミスをするかもしれない」という恐怖感と戦っているものだ。選手から激しい抗議を受けた時、毅然とした対応を求められるものだが、そこは人間である。「本当に合ってたのか?」という不安と常に戦わないといけない。
この点、VARという「神の目を持った助言者」から常に監視してもらえる試合において、不安感が薄くなるのは想像することが容易だろう。「もし間違っていたら正してもらえる」安心感から、自信を持って判定を下しやすい。このため、これまでは勝敗を動かす可能性が高く、笛を吹くのに勇気が必要な判定を審判が下しやすくなるのではないかという分析が存在する。
筆頭に挙げられるのはPKの判定であり、主審が見逃したPKをVARが拾い上げたケースを含め、VARのある試合では「PKの判定が増えていくのでは?」という予想もある。4度のPKが生まれた背景にそういうこともあるのではと思い、ベルギーのマタイセン監督にVARについて問いかけた結果、返ってきたのが冒頭の言葉だった。
あくまで人間が主観的なジャッジを下すことにフットボールの醍醐味があるのだという見方は確かにあったが、試合結果によって動く金額があまりに莫大になっていく流れの中で、審判にかかるプレッシャーが大きくなり過ぎてしまった。日本のJリーグにおける審判の「叩かれぶり」を観ていても、彼らにはサポートが必要なのは確かだろう。何せスタジアムにいる審判員以外の全員がスマホでスロー再生をチェックできる時代なのである。孤独になりがちな審判員のポジションがより孤独になってきた現状がある以上、やはり映像判定を導入する流れは避けられないし、VARは基本的に審判員の味方なのだ。
日本のユース年代で実験導入されたVAR
このSBSカップに限らず、日本では現在、主にユース年代の大会を利用したVARの実践テストとトレーニングが同時並行的に行われている。SBSカップでは大会初日の静岡ユースとU-18コロンビア代表の試合でいきなり「VARドラマ」があった。まずは静岡がVAR判定でPKを取られたが、これはGKが好セーブで失点を許さず。逆に後半アディショナルタイム、静岡が奪ったゴールはいったんオフサイドと判定されたが、VARによってオンサイドだということになってゴールが認められ、スコアレスドローゲームは一転、地元・静岡が強豪コロンビアを下すジャイアントキリングゲームになった。
とはいえ、このVARによって判定が覆る流れは、これまでの「主審が一度下した判定は絶対」という雰囲気に馴染んでしまったサッカーファンにとっては、ちょっとわかりづらいものではある。Jリーグで導入していくとしたら、電光掲示板やアナウンスなどを使ってのフォローが必要かもしれない。実際、VARの導入されたユース年代の各大会で、お客さんの頭上に「?」が浮かんでいるようなリアクションはしばしば見られた。
一方、U-20W杯でVARに泣かされて敗れているU-18日本代表・影山雅永監督は「選手も経験しないとわからないことなので、ありがたい」と言い、国際ユースIN新潟において同様にVARのある試合を経験したU-17日本代表の森山佳郎監督も「想像していた以上に、VARを使って試合が止まる『間』があった。これは確かに難しいし、選手も自分たちもこの大会で経験できて良かった」と言う。実際、VARの有無は単に「誤審が減る」というだけでなく、サッカーというゲームの流れも確実に変化させるので、「慣れ」は不可欠だ。
そうした観点から考えていくと、今後主要な国際大会が「VARのあるサッカー」を前提として運営されることが予想される以上、そこで勝つことを考えた場合にはやはり「VARのあるサッカー」を国内にも採り入れていくしかない。審判員たちを助けることや、誤審によって不利益をこうむるチームが出ないことを考えるのはもちろん、「国際試合で日本のチームが勝つ」ということを考えても、VAR導入自体はやはり避けられない流れなのだろう。それはおそらく、各国同じような判断になっていくように思う。
待っているのは人間が判定しない未来?
そして、こうした流れはさらに次の流れへの到達も想起される。マタイセン監督が、進んでこうも言っていたのは象徴的だった。
「主審が最終的に判断を下すのではなく、VARに任せた方がいい。VARの判断を優先すべきだ。たしかにうれしくない判断になることはあると思うが、一番フェアプレーだし、理にかなっている」
現状のVARはあくまで主審に対する助言者の立ち位置であり、「こういうことがあったけど、見えてた?」と聞いてきたり、あるいは「今のは手に当たっているように見えたけど、お腹だったよ」みたいに判定を正すようアドバイスする立場である。あくまで相談相手だ。ただ、ピッチ脇で主審が映像をチェックするオン・フィールド・レビューが代表格だが、この方式は判断の主体をあくまで「主審」に残していることによって余計に時間がかかる側面がある。VARによる中断時間が選手や観客にもたらすストレスは確かにあるので、「スピード化」が求められる中で、「主審のチェック要らなくないか? 映像を観てるんだから、VARがさっさと決めろよ」という話になってくることはあるだろう。実際、ベルギーの指揮官のような考え方が「理にかなっている」と考える人はいるのではないか。生で瞬間的に観ていた人に判断を委ねるより、客観的にじっくりあらゆる角度から検証できる人が判定すればいい、と。
この考えがもう一歩進んでいくと、より大きな考え方も出てくるかもしれない。つまり、機械判定とAI判定だ。現状もゴール・ライン・テクノロジーのような技術はあるが、たとえばオフサイド判定については現状でもかなりの精度の機械判定が技術的には可能だというし、テクノロジーの進歩によって「人間の審判員が行う判断」が漸減していく未来はあるかもしれない。「より正確な判定が行われることがフェア(公正な)プレー」というマタイセン監督の発想を進めていくと、行き着く先は「AI審判」による判定かもしれない。
野球の母国・米国の独立リーグにおいて、今年からストライクとボールの見極めを含めて機械判定が導入されたことが小さからぬ話題になった(技術的には可能なのだ)。「人間はミスをする」ということを前提にしながら、審判が下してしまう誤審を「仕方ない」と受け入れてきたのが、従来型のスポーツ界のあり方だった。ただ、誤審をなくす方法があると提示された時、「仕方ない」と受け入れられるかというと、なかなか難しいだろう。
「ミスをしないし、公正に判定し続けられる(八百長もしない!)機械に任せよう」という流れなのかもしれない。さらにテクノロジーが進んでいってコンタクトプレーについてもジャッジできるようになり、「人間より高精度で公正なAI審判」が技術的に可能になった時、サッカー界が人間とAIのどちらを選ぶのかというのは、ちょっと興味深い命題でもある。
Photos: Getty Images
Profile
川端 暁彦
1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣『エル・ゴラッソ』を始め各種媒体にライターとして寄稿する他、フリーの編集者としての活動も行っている。著書に『Jの新人』(東邦出版)。