ファンエンゲージメントを高めよ 横浜F・マリノスのデジタルメディア戦略
横浜F・マリノスでメディア&ブランディング部長を務める大多和亮介氏のミッションはファン・サポーターのクラブに対するエンゲージメントの向上。Jリーグクラブにとって収入源である「チケット」はもちろん、「スポンサー」への対価提供にも直結する重要な仕事だ。今回は多岐にわたるアプローチの中でも近年クラブが力を入れている「eスポーツ」と「ドキュメンタリー動画」に関して話を伺った。
バロンドールでも表彰される「eスポーツ」
――まずはeスポーツ事業を開始された経緯から伺わせてください。
「2017年の終わりに大規模な市場調査を行ったのですが、横浜市民におけるマリノスへの関心度が20%程度でした。これは5年前の調査からほとんど変化がない結果。さらに、マリノスの観戦者平均年齢は2018年の調査で37.1歳。Jリーグの中では一番若いものの、それでもここ10年で5歳近く高齢化が進んでいる。そうした背景から若い方に関心を持って頂くアプローチがマーケティングにおける大きな課題でした。
ただ、既存の広告では彼らは見向きもしてくれないし、大々的なことをやる予算もない。そんな中、昨年の春にJリーグが『eJリーグ』というeスポーツの大会を立上げた際に、うちも推薦という形で選手を派遣して参加してみました。私も会場に行ったのですが、ファンの熱量に驚かされました。さらに大会を観ている人達の9割が20代であることも聞いて、ますます関心を持ち始めたというのが経緯ですね」
――つまり、マリノスに関心を持ってもらうきっかけとしてeスポーツが機能することを期待している。
「その通りです。最終的にはスタジアムに観戦してもらうことが目標ですが、そのゴールまでは長い道のりなので、まずは関心層の中に入ってきてもらう程度の効果を期待しています。eスポーツを配信する中に試合の告知を入れたり、スタジアム内でeスポーツのイベントを開催するなど少しずつマリノスに触れる時間を増やしてもらっています」
――同じスポーツであるとはいえ「eスポーツ」はマリノスにとって知見がない分野だと思うのですが、どのように運営を始めたのですか?
「シティ・フットボール・グループ(以下、CFG)の人にアドバイスをもらっています。マンチェスター・シティはeスポーツにもかなり力を入れていると聞いています。コミュニケーションを取る限り、eスポーツを専門としている社員の方もいます」
――例えば、どのようなアドバイスをもらっていますか?
「選手獲得に関しても助言を受けています。今年、FIFAシリーズのeスポーツプレーヤーであるナスリ選手と契約したのですが、これはCFGからのアドバイスも考慮して決めました。彼はヨーロッパの大会でも実績を残していて、実力的には申し分ないと。さらに選手のブランディングやイベント実施に関しても、結構細かいところまで言及してもらっています」
――マンチェスター・シティのeスポーツ事業は中国でチームを立ち上げるなど国際的な展開も行われていますが、マリノスにも海外進出の予定はありますか?
「そこまではまだ考えていないですが、ナスリ選手には是非「eWorld Cup」にマリノスのエンブレムをつけて出場してもらいたいです。そこで優勝するとバロンドールの式典でも表彰されます。夢がありますよね」
――サッカーゲームであるFIFAシリーズへの参画は親和性の観点からも理解できるのですが、一方でカードゲームである「Shadowverse」のチームも運営されています。ここにはどのような狙いがあるのでしょうか?
「まさに今、感じていらっしゃる疑問が肝です。マリノスがカードゲームに参画する違和感こそがニュースバリューだと思いますし、違和感があるからこそ人の記憶にも残るはずです」
――そのようなお話を聞くと、マリノスの中でeスポーツ事業はサッカー事業のプロモーションという扱いで運営されていると考えていいのでしょうか?それとも独立採算を目指すのでしょうか?
「昨年の8月にeスポーツを立ち上げた時は、目の前のことに精一杯で未来のことを考える余裕がなかったのですが、今年は黒字化を見込んでいます。そういう意味では後者ですね。おかげ様でeスポーツチームをスポンサードしていただける企業様も集まっています」
――eスポーツ事業へは「日産」「アディダス」「森永製菓」「ヒューマンアカデミー」「イノテック」と大手企業がスポンサードされています。各社は何をメリットにスポンサードしているのですか?
「我々が参入した理由と同じです。若い年齢のファンを育ててこられなかった反省が顕在化してきている。ただ、そこに確実にアプローチする手段は少ない。例えば昨年マリノスが参戦した『RAGE』というeスポーツ大会は幕張メッセで開催されて何千人という集客がある。それだけの若者が集まるイベントって今は本当にない。マリノスのeスポーツへスポンサード頂ければ、そうした場所にもアプローチできる。そこは価値ですよね」
――eスポーツは業界的にオフラインのイベントが盛り上がっており、多くのファンと直接交流できる機会があるのは大きなメリットですね。
「マリノスのeスポーツチームはファンと直接交流する時間を増やすことを今年のテーマにしています。スポンサードして頂いているヒューマンアカデミー様と一緒にeスポーツに関する授業を開くほか、日産グローバル本社ギャラリーでeスポーツ大会を主催するなど、活動の幅は広げていく予定です」
――そうなると選手にはゲームの技術以外のスキルも求められます。eスポーツチームを運営する関係者からは「eスポーツ選手の社会性」の課題をよく聞きます。つまり、社会人経験がないままプロになる選手もいる中で、マナーやコミュニケーションのマネジメントが難しいと。
「プロアスリートにとって大切なのはファンに愛されるかどうか。だから、人間性の部分は重視して採用しています。競技面での成績はもちろん、事業や社会への貢献も意識してもらっています。Jリーグでも『トリプルミッション』という言葉でよく議論される部分ですが、そのすべてを高めていくことでeスポーツがスポーツとして認められ、産業としても健全に発展していけるはずです」
マリノス版「All or Nothing」
――ここからは2019年シーズンより開始されたチーム密着ドキュメンタリー「THE DAY presented by WIND AND SEA」に関してお聞かせください。この事業にはどのような狙いがあるのでしょうか。
「マリノスの場合、ファンエンゲージメントの高い媒介を作ることで(スポンサー企業に対して)投資の対象としてもらいたいという狙いがありました。 マリノスが持っている媒体は単純な露出量だけで比較するとテレビCMなどには到底敵わない。ただ、マリノスには熱心なファンがいて、彼ら彼女らがマリノスを通じて得ている喜びを企業にご理解頂き、価値に換えることができるのではないかと。こういうアプローチが進んでいるのがまさに(マンチェスター・)シティで、例えばSNS投稿やクラブ主催の授賞式でファンが選手に何かを贈呈する権利にも“presented by”とスポンサーがついています」
――ファンエンゲージメントを高める手段としてはいくつか選択肢があったと思うのですが、「動画」を選択した理由はありますか?
「これまでも可能な範囲で選手のオフショットなど動画を出したことがあったのですが、オフィシャルでしか見られないコンテンツに対する反応の良さや期待値は感じていました。あと、ホームゲームはリーグ戦で年に17試合あって、収入源であるチケッティングやスポンサーシップも基本的にはその年17回がメインになるのですが、それ以外の日をどうマネタイズするのかという視点においても動画のポテンシャルを感じていました。『THE DAY』に関しても有難いことに『WIND AND SEA』というブランドに我々のこうした方向性を応援して頂けることになりました」
――さきほど名前が出たマンチェスター・シティもファンエンゲージメントを高める施策の1つとしてチーム密着ドキュメンタリー「All or Nothing」を配信しています。試合開催時のロッカールームをはじめ、かなり深いところまでカメラが入っていますが、監督をはじめ現場の理解がないと成立しない取り組みです。マリノスではそのあたりの調整はスムーズにいきましたか?
「(ポステコグルー)監督にはそれこそ『All or Nothingをやります』と言ったらすぐに理解を頂きました。ただ、実は撮影した映像の10%も使えていないですね。先日も前半負けている試合のハーフタイム時のロッカールーム映像とか使いたかったのですが、最終的には控えることにしました。結局、その試合は負けてしまったので。逆転していれば話は違ったかもしれないですけど(笑)。シーズン中にライブで追いかけていく形で配信しているので、現場的にはセンシティブな部分もあります」
――「THE DAY」はオフショットではなく、ドキュメンタリーとして制作されていますが、映像におけるコンセプトやテーマはありますか?
「マリノスというクラブのブランドとポジショニングを考えた時に、洗練された絵作りや、エキサイトメント、憧れにつながる部分を大切にしようということになりました。これは同じ神奈川県をホームタウンとするベイスターズや川崎フロンターレとの差別化も意識してのことです。そうしたイメージを得るためにも選手達が悔しがっているシーンとか、良いところだけではない映像も、逃げずにしっかりと伝えることは決めています。そうした映像を使うことで共感が膨らみ、勝った時の喜びも大きくなるはずなので」
――そのような画を撮影するのは簡単ではないと思いますが、撮影されているのは有名なスポーツドキュメンタリーも担当されたカメラマンだとお聞きました。
「こういうドキュメンタリー撮影は選手との距離感が難しい。仲良くなりすぎてもカメラの前でふざけはじめたりしてダメだし、かといって認めてくれなければ良いシーンは撮影できない。そのあたりの匙加減が担当しているカメラマンはすごく上手です。日本代表の密着をはじめキャリアがある方なので、連携するスタッフも彼に怒られないようにコミュニケーションを取りながら頑張っています(笑)」
――CFGと提携して以降、マリノスは国際的な展開を推進しやすい状況にあります。『All or Nothing』もイングランド以外の国に配信していますが、言葉の壁を超えやすい動画事業において『THE DAY』に英語字幕を付けるなどの海外展開は予定されていますか?
「実はティーラトン選手に特化したスピンオフを制作しています。だから、英語ではなくタイ語の字幕。タイの人にマリノスを知ってもらうきっかけとして広く観て頂ければ嬉しいですし、さらにタイのパートナーさんが見つかればありがたいです」
――今後のメディア戦略は動画中心になると思いますか?
「スポーツと動画の親和性が高いことは間違いないです。ただ、その中でも何を動画で見せるべきなのはまだ手探り状態。例えば、木村和司さんと選手の対談をテキスト記事で公開したところ反響がすごくあった。ゆっくり読んでもらいたいコンテンツはテキストの方が相性がいいし、色々な形が共存していくと思います」
――では、最後に今後の活動に関する目標・方針をお聞かせください。
「あらゆるデジタルコンテンツにおいて、継続的にファンエンゲージメントを高めることを通じて、同時にスポンサーシップを連動させることです。CFGとコミュニケーションを取りながら、シティのコンテンツを横展開することも可能になってきます。やっぱりまずはファンを大切にすることを軸足としたい。勝利することだけに依存しない部分でクラブに対する共感を高め、息長く応援いただけるような取り組みを今後も推進していきたいです」
Ryosuke OTAWA
大多和 亮介
横浜マリノス株式会社 メディア&ブランディング部部長。1982年東京都出身。マリノス入社後、ファンクラブ事務局、広報、運営などに携わる。2012年から2016年、横浜市内の幼稚園で副園長を務め、2017年よりマリノスに復帰し現職。
◯ ◯ ◯ 今後のeスポーツイベント情報 ◯ ◯ ◯
①7/28(日):「RAGE Shadowverse Pro League」最終節
横浜F・マリノスの対戦相手は「よしもとLibalent」。OPENREC.tvおよびAbemaTVにて18:50頃よりLIVE配信予定。
②8/17(土):「横浜シティカップ(仮称)」
マンチェスター・シティ対横浜F・マリノスの「FIFA 」エキシビジョンマッチを開催。世界ランキング上位の選手たちが来日。マリノスからはナスリ選手およびeJリーグ出場選手が参加。14時開場。場所はHUB新横浜店予定(時間変更の可能性あり)
Photos: Takahiro Fujii
Profile
玉利 剛一
1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。その後、筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。2019年よりフットボリスタ編集部所属。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆を行っている。サポーター目線をコンセプトとしたブログ「ロスタイムは7分です。」も運営。ツイッターID:@7additinaltime