FEATURE

「フォーリャ・セッカ」ジジから「魔弾の射手」ジュニーニョまで。名プレースキッカーの系譜

2025.03.24

「セットプレー革命」の内実#5

ワンチャンスをモノにするフリーキックやコーナーキックなどのセットプレー。プレミアリーグでも専門コーチの存在が脚光を浴びているように、トップレベルの拮抗した試合でも「違い」を作る“飛び道具”に注目が集まっている。その戦術と攻防の最新トレンドから浮かび上がる「革命」の内実とは?

セットプレーで最も重要なのは、何と言ってもプレースキッカーの質だ。ジジ、ペレ、ロベルト・リベリーノ、ロベルト・カルロス、シニシャ・ミハイロビッチ、ロナルド・クーマン、デイビッド・ベッカム、ジュニーニョ・ペルナンブカーノ、アンドレア・ピルロ、そして中村俊輔……。西部謙司氏に名人たちの系譜をたどってもらおう。

ホーンビィが「初めて見た」ペレのFKの衝撃

 ベストセラーになった『ぼくのプレミアライフ』(新潮社/原題『Fever Pitch』)の中で著者のニック・ホーンビィは「直接FKが直接決まるのを初めて見た」と書いていた。1970年W杯のペレのFKのことだが、逆にイングランドでは直接FKが直接決まらないのか?と思った覚えがある。

ペレ

 ただ、確かに言われてみれば当時のFKというのは横にちょこんとボールを動かして、他の選手が思い切り蹴るというパターンが多かったかもしれない。欧州でFKの名手が量産されるのは一部の例外を除けば80年代以降で、イタリアの名プレーメイカーだったジャンカルロ・アントニョーニでも、ちょこん+ドカーン系のフリーキッカーだった(それでけっこう決めていた)。

アントニョーニのプレー集

 名手の系譜をたどるとなると南米からになる。

 ブラジルのジジあたりが元祖だろうか。「フォーリャ・セッカ(枯れ葉)」と呼ばれた壁を越えて落ちるキックが有名だ。主に60年代に活躍した名プレーメイカーで、ペレが「ジャズのミュージシャンのよう」と評したクールな佇まいの大スター。当時の重いボールとブーツでの落ちるボールは魔球だったに違いない。野球のナックルボールと似た、不規則に揺れて落ちる球筋。イタリアのジュゼッペ・メアッツァが得意としていたらしいので、こちらの方がジジより早いのかもしれない。それ以前にもいたという話もあるが、これで最も有名なのはジジである。

ジジ

 ジジの後継者としてはバナナシュートのペレ、ガリンシャ。アウトサイド、インサイドのどちらでも壁を巻くシュートを放ち、冒頭でホーンビィが初めて見たと書いたのはチェコ戦のアウトサイドで切って叩き込んだゴールだろう。

ガリンシャとペレ

 そして魔球といえばロベルト・リベリーノ。1974年W杯、東ドイツ戦のFKが伝説になっている。壁の間に割り込んでいたジャイルジーニョがしゃがむと、そのボール1、2個の隙間を打ち抜いた。隙間を抜けてなおグイッと曲がる強烈なシュートにGKも呆然。リベリーノは小柄な体格にもかかわらず左足が強烈で、CKをミスキックして逆のコーナーまで飛ばしてしまうキック力の持ち主だった。パワーだけでなく精度も抜群。数々のFKを決めている。曲げてドスンと落とす迫力のあるキックだった。

リベリーノのFK

 リベリーノの次は日本でもお馴染みのジーコ。この頃になるとボールとシューズが劇的に改良されていて、1970年代からは世界的にFKの名手が続出することになる。

10番系キッカーと剛球系キッカー

……

Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

関連記事