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「結果」と「成長」のジレンマの果てに…横内昭展がジュビロ磐田に残したものとは?

2024.12.25

去り行く監督たちのレガシー#2
横内昭展(ジュビロ磐田)

2024シーズンのJリーグが終わり、惜しまれつつチームから去っていく監督たちがいる。長期政権でチームの黄金期を作り上げた者、独自のスタイルでファンを魅了した者、困難なミッションから逃げず正面から向き合い続けた者……リスペクトすべき去り行く監督たちがそれぞれのクラブに残したレガシーを、彼らの挑戦を見守ってきた番記者が振り返る。

第2回は、就任1年目でジュビロ磐田をJ1昇格に導いたものの、2年目で無念の降格となり自ら身を引くことを決断した横内昭展監督。その2年間の歩みを目の前で見てきた森亮太記者は、彼の指揮官としての姿に大きな尊敬を抱いている。

 監督というのは誰よりも「結果」に向き合わなければいけない厳しい職業だ。

 昨季のように1年間の補強禁止という異例のシーズンの中で、1年でJ1復帰へ導いた手腕を称えられたと思えば、今季のように残留争いを強いられ、最終節まで粘りを見せても最終的な結果がJ2降格となれば、それまでの功績はなかったかのように責められてしまう――。

 もちろん、その責任と向き合わなければならないのがプロクラブの監督という職業であり、組織をマネジメントするトップに立つ者の宿命だ。結果で判断され、過程は評価されづらい。そんな世界で生き残っていかなければいけないのが監督という職業だ。

「信頼」のマネジメント

 日本代表のコーチとして臨んだカタールW杯を終えた横内昭展が、次なる職場として選んだのは“監督”という新たな挑戦だった。

 広島で現役を終えた後は、育成年代を教えるところから指導者としてのキャリアをスタートし、当時は「子どもたちが砂遊びをしてしまって、ショックを受けた」こともあったと言う。そこから広島や日本代表でコーチという立場で長らく裏方として経験を積んできた。だが、自身の中では「前々から監督のチャンスがあればやりたいとずっと思っていた」という思いがあり、JFAで欧州駐在強化部員というポストに就いていた藤田俊哉スポーツダイレクターとの繋がりもあって、2023シーズンよりジュビロ磐田の監督を引き受けた。

 ただ、就任が決まった頃のクラブは過渡期にあった。

 2022シーズンはJ1で最下位。クラブ3度目の降格という現実を突きつけられただけでなく、さらに追い討ちをかけた出来事としてFIFAから1年間の補強禁止処分が言い渡されるという、どん底にいた。「こんな状況で一体誰が監督を引き受けてくれるのか……」。それが当時のクラブに対する偽らざる見え方だった。

 そんなクラブからのオファーを「こんなチャンスはもうないと思った」という前向きな気持ちで引き受けた指揮官とともに歩んできたこの2年間を振り返りながら、ジュビロ磐田というクラブが受け継ぐべきレガシーを紐解いていきたい。

 トレーニングが始まる前、大久保グラウンド(磐田の練習場)のクラブハウスから階段を降りてピッチに姿を現すと、真っ先に練習を観戦しに来たサポーターの前へと出向いて、必ず一礼する。

 これは横内監督が就任当初からずっと続けてきた所作だった。

 そういった温かい人柄は、取材時の対応でも垣間見せてくれた。練習取材日には必ず監督の囲み取材が行われ、その時間が30分を超えることも珍しくない。それでも横内監督は嫌な顔一つ見せず、むしろ「何でも聞いてください」と報道陣と正面から向き合った。毎回のように取材時間が長いことで、こちらが質問するのを止めようとしてもその様子を察して、横内監督の方から「聞きたいことあるでしょ?」とこちらを気遣ってくれたことも一度や二度ではなかった。そんな周囲への気遣いができる人間だった。

 そういった人柄は、選手たちへの接し方にも表れた。……

Profile

森 亮太

1990年生まれ、静岡県出身。主に静岡県で活動するフリーライター。18年からジュビロ磐田とアスルクラロ沼津の番記者としてサッカー専門新聞”エルゴラッソ”やサッカーダイジェストなど、各媒体へ記事を寄稿している。