クラブ史にその名を刻んだ男の中の男。セレッソ大阪・山下達也が真摯に積み重ねてきた努力の価値
【特集】チームリーダーの在り方#6
山下達也(セレッソ大阪)
サッカーチームが一つの集団としてまとまるには監督の力はもちろん、選手たちの中にもリーダーが必要だ。カリスマ性、コミュニケーション力、人格、仲間からの信頼、経験や実績……チームリーダーには様々なものが求められ、様々なタイプがいる。Jクラブのキャプテンたちの実情を探ることで、複雑性の高いサッカーというスポーツのリーダーシップの在り方について考えてみたい。
第6回は、セレッソ大阪を支え続けてきた今季のキャプテン、山下達也だ。2度の移籍と、2度の復帰を経て、桜色のユニフォームで引退を決断した「男の中の男」が考え続けてきたリーダーの背中とは。
プロとしての矜持。「足を引っ張っている」と自省する責任感の強さ
10月23日、セレッソ大阪を長年に渡って支えてきた山下達也の今シーズン限りでの現役引退が発表された。その理由について山下は、「まだやりたい気持ちはあるけど、体が付いてこない。自分はトレーニングで自信を付けてきた。それを満足にできない。やり過ぎるとケガをする。そのバランスが難しかった。公式戦のたびにケガをして、強度の高い試合になると耐え切れない自分がいた。入った瞬間に足を痛めて負けた天皇杯の甲府戦、ルヴァンカップの町田戦でも前半で腰を痛めて交代した。サッカーはチームスポーツ。一人がケガで足を引っ張ると、勝敗にも関わる。それが(引退を)決断した一番の理由」と語った。
この言葉に出てきた2つのカップ戦。ルヴァンカップのプレーオフラウンド第1戦・FC町田ゼルビア戦では、先発し、キャプテンマークを巻いて前半は奮闘。押し込まれながらも1-0で折り返す原動力となったが、腰痛によりハーフタイムで退くと、急遽、後半から入った鳥海晃司がハンドの反則でPKを献上。同点に追い付かれ、流れを失ったチームは1-3の逆転負けを喫した。
天皇杯3回戦・ヴァンフォーレ甲府戦でも、1-1で迎えた延長後半から出場したが、すぐに筋肉系を負傷。実質1人少ない状況で戦うことになると、延長後半7分、甲府に決勝点を奪われ、チームはトーナメントから去ることになった。もちろん2つの敗退は彼だけの責任ではない。チームとして招いた結果だ。ただし、「足を引っ張っている」と自省する責任感の強さこそ、山下のプロとしての矜持でもある。
柏レイソルでの2年半を経て、C大阪へ2度目の復帰を果たした22年から1年1年が勝負だった。昨シーズン終盤は自身の状態に手応えも掴み、「まだやれる」と今季の契約も更新。強化部も一人の戦力として期待を寄せた。迎えた今シーズンは、J1第2節・鹿島アントラーズ戦でピッチに立ち、C大阪の選手としては19年以来となるJ1リーグ出場も果たした。以降も出場した試合ではかつてのような力強いプレーも見せていたが、それでも前述したように、「強度の高い試合になると、耐え切れない」(山下)状態。気持ちの充実に身体が追い付いていかない現状に、もどかしさを覚えた。
スカウトとして山下の獲得に携わり、その後もコーチ、監督として長年に渡って指導してきた小菊昭雄監督は、山下について、「ここまでプロサッカー選手を長く続けて来れたのは、彼の努力の賜物。私が関わった選手の中でも、一番、努力ができた選手」と評する。それだけに、これまでのプロ生活を支えてきたトレーニングを満足に積めない現状に、甘んじることはできなかった。「自分は練習で追い込む。それができなくなった時点で」(山下)プロサッカー選手としてのキャリアに終止符を打つ決断を下した。「小菊さんと同じタイミングで辞めるのも何かの縁かな」。柔らかな笑みを浮かべ、そう語る背番号23の表情が印象的だった。
転機は札幌への移籍。古巣復帰後は日本代表も二冠も経験
2006年、神戸市立御影工業高等学校を卒業した山下は、香川真司、柿谷曜一朗らと桜のユニフォームに袖を通す。徐々に出番を増やし、活躍していく同期を尻目に自身は06年から10年の5年間で、J2リーグ16試合、天皇杯1試合の出場に留まった。この時期について山下は、「自分では必死にやっていましたが、周りに付いていけなかった。このまま試合に出られず、カテゴリーを下げて頑張っていくしかないんかな、という思いもありました」と振り返る。
プロサッカー選手として転機となったのは、11年、北海道コンサドーレ札幌への完全移籍だ。CBの一角としてレギュラーを掴むと、J2リーグ37試合に出場し、チームのJ1昇格にも貢献。「シーズンを通して目に見える結果を残せたのは、大きな自信になった」と語る。この活躍がC大阪幹部の目にも留まり、翌年、C大阪は移籍金を払って1年で買い戻す決断を下す。
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Profile
小田 尚史
2009シーズンより、サッカー専門紙『EL GOLAZO』にてセレッソ大阪と徳島ヴォルティスを担当。2014シーズンより、セレッソ大阪専属となる。現在は、セレッソ大阪のオフィシャルライターとしてMDPなどでも執筆中。