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「One Love One Heart」水戸ホーリーホック・本間幸司が26年間で作り上げてきた幸せな情熱の連鎖

2024.11.08

【特集】チームを陰から支えるベテランGKの矜持#6
間幸司(水戸ホーリーホック)

GK1人しかピッチに立つことができない特殊なポジションだ。注目されるのは、ピッチ上で輝く正守護神。それ以外のGKたちにスポットライトが当たることは少ない。1つのクラブにすべてを捧げ続けてきた者、数多くのクラブを渡り歩いた経験を持つ者、常に上を目指し続ける向上心を忘れない者……チームを陰から支えるベテランGKの矜持をぜひ知ってほしい。

第6回は、水戸ホーリーホックの、いや、Jリーグ界にとってもレジェンド中のレジェンドの登場。クラブ在籍26年目となる47歳。先日現役引退が発表された本間幸司がたどってきた濃厚なキャリアの中から、彼を間近で見つめ続けてきた佐藤拓也がとりわけ思い出深いトピックスを厳選し、思い入れたっぷりに記してくれた。

Main Photo: ©MITO HOLLYHOCK

根底にあったのは「クラブのため」「チームのため」「地域のため」という思い

 9月25日、プロ生活29年、水戸ホーリーホック在籍26年。JFLとJ2リーグ合わせて600試合に出場してきた本間幸司の今季限りの現役引退が発表された。

 その報を聞いた時、頭の中で流れたのは本間が敬愛する「レゲエの神様」ボブ・マーリーの「One Love」という曲だった。

 「One Love(ひとつの愛) One Heart(ひとつの心)」

 それは、まさに本間が水戸で作り上げてきたものだった。

 水戸に在籍して26年。苦しい時期の方がはるかに長かった。

 1999年に浦和レッズから当時JFLで戦っていた水戸に加入。チームはJリーグ入りを目指していたが、専用練習場はなく、日々練習場を転々とする日々を送った。そして、土のグラウンドやシャワーのない施設で練習することも珍しくなかった。

 親会社を持たない市民クラブとして運営していた水戸はJリーグ参入後も資金的に苦しみ、経営難から存続の危機に陥ることもあった。

 またホームゲームのスタンドは毎試合空席が目立ち、閑古鳥が鳴く状況が続いた。そして、チームも毎年のように下位に低迷。当時、J3があれば、「降格候補」の筆頭に挙げられていたことだろう。

 市民・企業・行政からの信頼を得ることができず、クラブ・チームとして前に進めない状況が続いた。

 それでも、本間はわずかな光を信じて奮闘し続けた。身体能力の高さを活かし、スーパーセーブを連発して水戸のゴールを守り続け、さらに、ピッチ外では積極的に地域活動に参加して、地域との絆を作り出そうとし続けた。

 その根底には「クラブのため」「チームのため」「地域のため」という思いがあった。

人生の転機となった水戸1年目。見つかった「自分より大切なもの」

 水戸短期大学付属高校(現・水戸啓明高校)卒業後、浦和レッズに加入した本間だったが、怪我の影響もあり、3年間公式戦に出場することができなかった。サッカーへの情熱は消えかけてきた。その時にJリーグ入りを目指している水戸からオファーが届いた。

 「1年だけ故郷の茨城でプレーして現役をやめよう」

 そう考えて、水戸への移籍を決断したが、チームに合流して衝撃を受けたという。

 「みんな、純粋にサッカーが好きな選手ばかりで、Jリーガーになろうとひたむきにプレーする選手たちの姿を見て、今まで自分がどれだけ恵まれた環境でプレーしていたのかを知って愕然としました。僕よりもはるかにサッカーに対する強い思いを持つ選手ばかりで、ある意味初心に帰ることができたんです」

 チームメイトのサッカーに対する情熱に触れた瞬間、本間の中で消えかけていたサッカーへの火が激しく灯り出した。「同じ思いを持った仲間たちと一緒にプレーできることが楽しかった」。そして、J2参入を決めたことが本間を変えるきっかけとなった。

 「サッカー人生で優勝とか昇格とか、何かを成し遂げたことがなかった。自分たちの手で昇格の条件をつかみとった充足感で心が満たされました。僕にとって99年は人生の転機となりました」

 本間が手に入れたものは昇格という結果だけではなかった。……

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佐藤 拓也