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柱谷哲二の言葉、リカルド・ロドリゲスの戦術、ダニエル・ポヤトスの指導。徳島ヴォルティス・岩尾憲にプレーメイカーの感覚が芽生えるまで

2024.10.02

【特集】プレーメイカーは絶滅するのか?#6

インテンシティの重視、ビルドアップの機能分散が加速する現代サッカーに、果たしてプレーメイカーの居場所は存在し続けるのか?トニ・クロース、チアゴ・アルカンタラという時代を彩った名手が相次いで現役を引退した今、考える司令塔たちの未来。

第6、7回は前後編に分けて、今夏に浦和レッズから徳島ヴォルティスに復帰した岩尾憲のインタビューをお届け。前編ではプレーメイカーの感覚が芽生えるまでのキャリアと出会いを振り返ってもらった。

「遠藤保仁選手を参考に」ため込んでいたボランチ像

——今回は『プレーメイカーは絶滅するのか?』という特集の中で選手の目線として、Jリーグ屈指のプレーメイカーである岩尾憲選手の考えをお聞かせいただきたいです。まず「プレーメイカー」という言葉から、どのようなイメージや役割を連想しますか。

 「そうですね……。サッカーは11対11で行われるという前提があり、様々な条件によって状況や戦況が変化しやすいスポーツなので、そういった情報をいろいろな角度からキャッチして、的確・適切にプレーを選択できる、またはマネージメントできる。そういった感覚を持っている人のことを言うのかなと思います。僕が屈指ではないと思いますが(苦笑)」

——ご自身にそうした資質や適性を感じ始めたのはいつ頃からでしょうか。

 「そこは間違いなく、プロになってからの方がより多くの情報をキャッチできるようになったと思います。それを実際に行動に移すところ、状況をどう変えていくのかまでできるようになったのは、そんな遠い昔ではない感覚です。それこそやっぱり、徳島(ヴォルティス)にリカルド(・ロドリゲス監督)が来て、戦術的な要素の再現性がより高まることによって、起きることがある程度統計化されていくというか、データ化されていく中で思考も整理できるようになりました。『こういう時にこういうことが起こる確率は高いよね』みたいなのは、割と取れるようになったかなと思います」

2017年から4シーズンにわたって徳島の指揮を執ったリカルド・ロドリゲス監督。史上初のJ2優勝&7季ぶりJ1昇格を置き土産に、浦和へと去った

——ポジションを振り返っても、西邑楽高校時代はサイドハーフを中心に務め、日本体育大学時代はSBからボランチに変わっていますが、プロ入り前は現在とは違うタイプだったのでしょうか。

 「そうですね。プロ入り前はそうした全体のマネージメントやオーガナイズといったサッカーIQ的なものよりも、どちらかというとパーソナリティを真似するみたいな概念の方が強かったです。遠藤保仁選手を参考にしていたので、『遠藤選手がなぜこの局面でこのパスを選んでいるのか』みたいなのを考えるのが好きでしたし、その後の現象を見るのも好きでした」

——プロキャリアをスタートさせた湘南ベルマーレもボールをじっくり持つスタイルではなかったですが、遠藤選手のイメージを実現するにしてもギャップがあったりしたのでしょうか。

 「そこはやっぱり、湘南スタイルと呼ばれるものがありましたので。かけ離れているとまでは言わないですけど、再現しにくい環境にいたのは確かかなと思います。それが水戸(ホーリーホック)に期限付き移籍させてもらってから、『自分の持っている感覚やボランチ像を思う存分発揮してほしい』ということを、当時の強化部や監督の柱谷哲二さんに言われて、ため込んでいた遠藤選手のプレーイメージなどを、一気に試せる機会が来たみたいな感じでしたね」

2011年から2015年まで湘南に在籍した岩尾。最終年は水戸へ貸し出されていた

「自分への期待は一緒」も…四人四色の外国人監督

——そして徳島に移籍してリカルド・ロドリゲス監督と邂逅しました。その後も外国人監督の下でプレーされていましたが、それぞれの監督に違いはありましたか。

 「それぞれ違いましたね。リカルドはやっぱり戦術家で、ボード上の引き出しがものすごく多い監督でした。相手に対してこういうことが有効だというマグネットを動かすアイディアや、ハーフタイムや飲水タイムでの修正能力だったり、戦術的なものによってどう自分たちが優位に立つかというところは、リカルドのストロングだったと思います。チームとしての配置や狙いを明確にしてくれるので、ピッチ上でゼロから考えるのではなく、選択肢があらかじめ整理されている。だから次に起こることが予測しやすい。そういう再現性のあるサッカーで余裕ができて実際にやってみたい、やってみようと頭の中にあった概念もよりプレーに乗せられました。……

Profile

ジェイ

1980年生まれ、山口県出身。2019年10月よりアイキャンフライしてフリーランスという名の無職となるが、気が付けばサッカー新聞『エル・ゴラッソ』浦和担当に。footballistaには2018年6月より不定期寄稿。心のクラブはレノファ山口、リーズ・ユナイテッド、アイルランド代表。