「やっぱり負荷が掛からないと人間って成長しない」 中村憲剛がカナダ・パシフィックFCで海外研修を行った理由(インタビュー前編)
【特集】「欧州」と「日本」は何が違う?知られざる監督ライセンスの背景#14
日本の制度では20代でトップリーグの指揮を執ったナーゲルスマンのような監督は生まれない?――たびたび議論に上がる監督ライセンスについて、欧州と日本の仕組みの違いやそれぞれのカリキュラムの背後にある理念を紹介。トップレベルの指導者養成で大切なものを一緒に考えてみたい。
今年の4月。中村憲剛の姿はカナダのビクトリアにあった。『S級コーチ養成講習会』のプログラムとして定められている海外研修で、パシフィックFCというクラブを訪れていたからだ。ヨーロッパサッカーが隆盛を極める今、それは意外に思えるような選択だったが、クラブの全面的なバックアップを得ながらカナダで過ごした2週間半は、とにかく素晴らしい時間だったという。今回はそんな貴重な経験を改めて振り返ってもらうインタビュー。前編ではそもそも研修先にカナダを選んだ理由や、チームに受け入れられていく過程を、中村が語り尽くす。
5年前から彼らとの“ストーリー”は始まっていた!
――今回は『S級コーチ養成講習会』の『2週間以上の海外プログラム(インターンシップ)』のお話を伺いたいのですが、いろいろな候補先もあったであろう中で、なぜカナダのパシフィックFCに行ったかというところからお聞かせください。
「時をさかのぼること、2019年1月ですね。フロンターレのクラブスタッフで一緒にやっていた高尾(真人)という人間が、フロンターレを退職したあとにカナダに移住して、日本から来る学生へのスポーツ留学の支援事業やサッカースクールの運営を始めていたんです。それで2018シーズン終了後に『そうだ!高尾に会いに行こう!』と思い立って、家族5人みんなでカナダに行きました。思っていた以上にカナダは良い国でしたし、ビクトリアという街も自然が多くて、人も優しいし、良い場所でした。
滞在中に高尾が『実はカナダで今年からプロリーグが始まるんですけど、ビクトリアにもパシフィックFCというクラブがあるんですよ』と言って、パシフィックFCのホームスタジアムに連れていってくれたんです。その時は今ほどの設備じゃなくて、メインスタンドも半分ぐらいしかなかったですし、『ここでやるのか』という感じだったんですけど、そこで子どもたちや高尾と遊びでボールを蹴って、『ああ、カナダにも、ビクトリアにも、サッカーが息衝いているんだ』と。ここからカナダのフットボールが始まる予感はあって、『凄くいいな』って。高尾も『憲剛さん、パシフィックに入ってくださいよ』みたいなことを言ってきて(笑)。街中にあるグッズショップにも連れていってくれて、店内の壁面のエンブレムの前で、新入団会見みたいに写真も撮ったんですよ。それも今から考えればフリが効いているんですけど、とにかく凄く良い印象でした。
その翌日にバンクーバーへ行ったのですが、ビクトリアのあるバンクーバー島から行く手段は飛行機かフェリーかプロペラ機のどれかだと。家族会議の末、プロペラ機で行ったんですけど、その日の朝は飛ぶか飛ばないかのギリギリの天候で、なんとか飛んだものの、プロペラ機がそれはもう揺れて、妻以外全員酔ってしまい……(笑)。それもあって、『帰りは絶対フェリーで帰ろうよ!!』と子供たちがあまりにも必死に言うので、フェリーで帰ることになったんですね。そうしたら、そのフェリーの待合室で現・パシフィックFC監督のジェイミー(ジェームズ・メリマン)にたまたま会ったんです。その時のジェイミーはパシフィックのコーチになる予定だったので、当時の監督とGMも一緒にいて、そこで高尾が彼らを紹介してくれたんです。だから、実は5年前にジェイミーとは顔を合わせているんですね」
――全部話が繋がっているわけですね。
「繋がっているんです、ちょっと怖いぐらいに(笑)。出来過ぎなストーリーですよね。でも、それも偶然の連続じゃないですか。だから、海外の研修先を決める時にいくつか候補はあったものの、自分の中では割と早い段階で『これはもうカナダだな』と決めているところはありました。同時にパシフィックFCのクラブスタッフに田代楽という、フロンターレのプロモーション部にいた人間が去年から入っていて、『これはもう運命だな』と。5年かけてパズルのピースが埋まっていく感覚でした。
ヨーロッパも当然興味はありましたし、行ったら行ったで、メチャクチャ得られるものがあったのは百も承知でした。ただ、どこまで中に入って見られるかは未知数でしたし、それならば自分のことをよく知っている人間が2人もいて、1人が監督と知り合いで直接交渉できて、もう1人がクラブの中で働いているならば、『チームスタッフの一員』として扱ってもらえて、“中”で起きていることすべてをガッツリ見られる環境にしてもらえると思いました。
それとあともうひとつとして、カナダが次回のワールドカップ開催国の1か国であるということが、最後のピースとしてポーンとハマったんです。日本にはカナダのサッカーを知っている人はそこまで多くないはずだし、カナダでプレーしている日系の選手や日本人選手はいますが、自分が行くことで、『カナダのいま』を伝えられることができるかなと考えて、『もうこれは行くしかない』と。全部の条件がここでハマって、決めました」
――プロペラ機で酔いまくったのも無駄じゃなかったと。
「本当ですよ。あの時間、無駄じゃなかったんです。行きのプロペラ機が良い感じだったら、帰りもそのまま使ったわけで。30分で移動できますから。フェリーは1時間半掛かるので。でも、そのフェリーでジェイミーに会ったわけですし……。ということで、ピッチ上もピッチ外でも盤石の態勢を築いてもらえました。ただ……唯一不安があるとしたら、自分1人で海外に行ったことがないこと(苦笑)」
――ああ、サッカー選手っぽいですねえ(笑)。
「ですよね(笑)。ちなみにJクラブの国内研修で去年札幌に行った時に、人生で初めて1人で飛行機に乗ったんですよ。ダメですね、本当に(笑)。羽田空港で家族とバイバイして、搭乗口に入って出国して、1人でバンクーバー行きの飛行機に乗る時も無駄にソワソワして。何も難しいことはないのに(笑)、それくらい不安だったということで、1番ビビっていたのは、バンクーバーからビクトリアに行く時に、『荷物をいったん出さないといけない』ということでした。
僕はそこまで流暢に喋れないので、もうメチャメチャ緊張しましたし、しかも到着しても携帯もなかなか繋がらなかったことが不安に拍車をかけました。海外ローミングがなくて、持っていったWi-Fiも最初は稼働しなくて、もうパニックです。『誰とも連絡取れないじゃん』って。Wi-Fiが繋がる数分間が永遠に感じましたよ(笑)。LINEが通じた時には泣きそうになりました。そのあと荷物を引き取って、ビクトリア行きのカウンターになんとか預けることができました。そこからは少し余裕が出て。1人でスタバ買ったりして(笑)」
――ちょっとずつ成長していったんですね(笑)。
「43歳のおじさんが小学生の夏休みみたいな冒険をしましたね(笑)。海外研修のおかげで“自力”が付きました」
カナディアン・プレミアリーグってどういうリーグ?
――ちなみにカナディアン・プレミアリーグは、どういうリーグだと捉えていますか?
「立て付けで言うと、カナダの5州から8チームが参加しているリーグです。シーズンは4月から10月の1季制で、最終的には1位から5位までのプレーオフで順位が決まります。プレーオフのレギュレーションはちょっと複雑ですね。あと、カナダのカップ戦もあります。それはMLSに所属しているバンクーバー・ホワイトキャップスやトロントFCも参加するんです。日本で考えると天皇杯的な意味合いですかね。カナダのクラブの大会です。正直、スタイルは……どういうイメージがあります?」
――いや、まったくイメージ自体がないですね。
「そうですよね。僕もそうでした。ダイナミックな展開が多いリーグなのかなと思っていた中で、実際は全部のチームを見れたわけではないのですが、見たチームはどのチームも明確なスタイルがあって、4局面のオーガナイズがしっかりとされたフットボールをしていました。それこそパシフィックもそうでしたけど、可変式を取り入れているチームも多かったです。そう言えばバイエルンのアルフォンソ・デイヴィスはバンクーバー・ホワイトキャップスの下部組織出身で、14歳ぐらいのころの彼をジェイミーが見る機会があったらしくて。『ちょっと見ただけで「あの子はいますぐ契約すべきだ」と言ったんだ』と。
そういう若くて才能ある選手も国内にいっぱいいるので、パシフィックも若手を多く起用していましたね。リーグに21歳以下の選手を何分以上使わないといけないレギュレーションがあって、パシフィックがダントツで起用しているとジェイミーは言っていました。だから、サッカー的にもそうですし、若手を育成する施策もそうですし、ちゃんと整備されていると感じました。ビルドアップ時には相手を見ながら可変していくような感じで、レーンの概念もトレーニングからしっかり標準装備されていると。プレスもやみくもに行くのではなくて、キチッと3ラインをコントロールしながらやっていましたね。
クラブハウスのメディカルルームにあるTVには毎日ヨーロッパの試合が国を問わず流れていたので、スタッフはもちろん、選手たちも日常的にヨーロッパを意識しているでしょうし、トレーニングのオーガナイズを見ても、そこに近い感覚は感じました。フィジカルが強く、スピードのある選手も多いですし、個人でもしっかりテクニックを持ってやれる選手も多かったです。ただ、ピッチはパシフィックもそうですが、人工芝のチームが多いですね。ビクトリアはそうでもないらしいですけど、他の地域は雪も降るので、天然芝だと管理が難しいのかもしれません」
――リーグ戦も何試合かご覧になったと思いますが、スタジアムの雰囲気も含めた盛り上がりはいかがでしたか?
「パシフィックのスタジアムはキャパシティが6,000人ということでしたけど、『たぶんそんなに入らないです』と楽が言っていました。滞在中に4,500人ぐらい入った試合がありましたが、熱量もあってとてもいい雰囲気でしたね。あとはアメリカに隣接している影響もあると思いますが、週末のゲームを『エンターテインメント』としてスタッフの人たちも提供しているし、地域のファン・サポーターも非日常の雰囲気を体感しながら、地元のチームを応援しながら、楽しむような感じでした。ちなみに距離的な問題かもしれませんが、アウェイサポーターはほぼ来ないですし、クラブスタッフもそこまで来ないんです。
パシフィックのアウェイゲームも本来の帯同メンバーは18人なんですけど、16人で行きました。理由を聞くと『渡航費が高いし、宿泊費も高いからなんだ』と。カナダはいろいろなものが高騰していて、遠征費がかなりクラブの財政を圧迫するとのことでした。なので、選手だけでなく帯同したスタッフも最小限で、僕と高尾を入れて7人なので、普段は5人で行くということになりますね」
――人が少ないなら、それでやるしかないですからね。
「そうなんです。少しビックリしましたけど、みんなはそこまで動揺している様子はありませんでした。食事も日本に比べると種類がそこまで多くなかったですし、トレーナーも1人でした。普段もそうでしたが、みんな身体が強いので、怪我や違和感がない限り、メディカルルームを利用することは多くなさそうでした。まだリーグ自体も始まって5年目ぐらいで、ジェイミーも『まだいろいろな面でアマチュア感が抜けていない』と言っていましたね。そもそも給料も23人のスカッドの合計が、日本円で言えば1億2千万円なんですよ」
――全員プロ契約ではあるんですか?
「プロ契約だと思います。あとは23人以外にキーパーは練習生として練習参加させたり、足りなくなったら下部組織から呼んだりしていました。パシフィックの下部組織の練習も行きましたけど、室内練習場なんです。『え?トップよりお金が掛かっているのでは!?』と思いました。一緒に練習もしましたけど、トップにいるコーチがそこでもコーチを兼任しているので、トップと同じトレーニングをやるんです。トップと繋がっているので、『選手たちもイメージしやすいだろうな』と思いました」
――カナダにもプロサッカーが息衝き始めている雰囲気は感じたんですね。
「感じましたね。それはパシフィックもそうですし、アウェイのカルガリーに行った時も。ただ、広大な国土の中での8チームなので、国全土で盛り上がっているかというと、まだまだだと思います。前回のカタール大会で36年ぶりにW杯へ出場したことと、2年後に自国開催のW杯が控えているということで、スタッフに聞いても明らかに盛り上がり始めているということでしたし、スタジアムに行けば熱狂的な空気もあるので、面白かったですよ」
「SNSでの積極的な発信」「14番のユニフォーム」はフロンターレ感満載!
――それこそクラブからSNSでいろいろな発信をしたり、ユニフォームが用意されていたりと、いわゆる普通の海外研修ではありえないような迎えられ方でしたね。
「そこは主に(田代)楽がやってくれました。彼曰く、身の回りのお世話は高尾さんができるのに、自分に憲剛さんから“直電”が掛かってきて、『楽、頼むな』って言われたってことは、意訳すれば『オレをイジれよ。おいしくしろよ』とイコールにしたと(笑)」
――フロンターレスピリッツですね(笑)。
「天野春果直属の部下だったので、『やっぱりオレがやらなきゃ』という想いに駆られたらしいんですよ。それで事前にいろいろな仕込みをしたと。クラブスタッフや広報の上司にも『こういう人が来るから』というプレゼンをして、『え?そんな人が来るの?』という感じになり、そしたらその上司も『じゃあちゃんと迎えないと』ということで、クラブも全面バックアップをしてくれて、ああいう形になりました。……
Profile
土屋 雅史
1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!