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いろいろなものが見えてしまう賢いアタッカー。ガンバ大阪・山田康太が新天地で描く新たな「9番」像

2024.04.23

日本人9番の潜在能力 #2
山田康太(ガンバ大阪) 

「9番」という背番号は、点取り屋=ストライカーという印象が強い。過去にフットボリスタでは「日本人ストライカー改造計画」と題した特集で世界に通用するストライカーとは何なのか?を考えてみたが、あれから4年が経ち、若手の海外移籍が加速する中で、今Jリーグの舞台で活躍する日本人9番の現状に注目してみた。現代サッカーを生き抜く多種多様な9番はどんなキャリアを過ごし、これからどこへ向かおうとしているのか――。 

第2回は、モンテディオ山形でブレイクを果たし、柏レイソルを経て、今シーズンはガンバ大阪で9番を付けている山田康太だ。これまでのプレースタイルを考えると、意外にも思える背番号を任された俊英を、山形の番記者・佐藤円に語ってもらう。

大きな転機はトップ下へのコンバートだった!

 モンテディオ山形から完全移籍で柏レイソルに移籍した山田康太が、わずか1年でガンバ大阪に完全移籍した。数ヶ月経ち、ガンバのユニフォーム姿に目は慣れてきたが、慣れないのが背番号だ。「山田康太」の「9」にはいまだ違和感が残っている。

 ガンバの背番号9と言えば、(パトリック・)エムボマやマグロン、アデミウソンなど外国籍のストライカーが着けてきたイメージがある。彼らはパワーやスピードなど、フィジカル面で突出した特長もあったが、山田康太がその系譜に収まるのかどうか。筆者はガンバ大阪のチーム事情に詳しくない。さまざま事情があったのだろうと、ただただ想像するしかない。

 山田は横浜F・マリノスから期限付き移籍した20年の水戸ホーリーホックで、それまでのキャリアを大きく超えるシーズン35試合に出場した。しかし、本当の意味でブレイクしたと言えるのは、期限付き移籍先をモンテディオ山形に変更した21年だろう。リーグ戦全42試合に出場し、キャリアハイとなる8ゴールを挙げている。

 水戸ではボランチやサイドハーフでプレーすることが多かったが、山形でも当初はボランチ要員として計算されていた。開幕戦からの5試合にも4-4-1-1のボランチで先発。しかし、チームは第2節に初白星を挙げたあとは勝利から遠ざかる。山田も第6節からはサイドハーフへ配置換えが行われたが、チームは攻撃が停滞し、山田も目立った活躍ができないままとなっていた。

 転機は第9節・V・ファーレン長崎に1-3で逆転負けを喫した直後。就任2年目の石丸清隆監督はこの時点で契約解除となり、正式に次の監督が決まるまでは佐藤尽コーチが暫定監督として指揮を執ることになった。その初戦の第10節・ジュビロ磐田戦では、それまでトップ下でプレーしていた南秀仁をボランチに下げ、トップ下に山田を配置する新たな布陣が試された。山形はこの試合を1-0で勝利する。

 佐藤監督は、南にはビルドアップで最終ラインから引き出す役割を求めるとともに、「トップ下で活動力がある選手でボールを受けられる選手をチョイスしようとしたときに、今日に関しては康太が適任かなと思って採用した」と山田をトップ下にコンバートした理由を語った。

 佐藤監督が4試合で2勝1分1敗と持ち直したところで、バトンは新たに招聘されたピーター・クラモフスキー監督へ。そこから山形は4連勝、さらにクラブ新記録となる7連勝と快進撃を見せ、引き分け2試合を挟んで13試合負けなし。序盤の停滞感は完全に払拭された。

「自由にプレーしている」という見立ては正しくない

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Profile

佐藤 円

1968年、山形県鶴岡市生まれ。山形のタウン情報誌編集部に在籍中の95年、旧JFLのNEC山形を初取材。その後、チームはモンテディオ山形に改称し、法人設立、J2参入、2度のJ1昇格J2降格と歴史を重ねていくが、その様子を一歩引いたり、踏み込んだりしながら取材を続けている。公式戦のスタジアムより練習場のほうが好きかも。現在はエルゴラッソ山形担当。タグマ「Dio-maga(ディオマガ)」、「月刊山形ZERO☆23」等でも執筆中。