なぜサッカーは数字だけで測れないのか?野球に学ぶ総合評価指標の重要性と活用術(前編)
日本と世界、プロとアマチュア…
ボーダーレス化が進むサッカー分析の最前線#2
日本代表のアジアカップ分析に動員され注目を集めた学生アナリスト。クラブの分析担当でもJリーグに国内外の大学から人材が流入する一方で、欧州では“戦術おたく”も抜擢されている今、ボーダーレス化が進むサッカー分析の最前線に迫る。
第2回と第3回で登場するのは、野球データアナリストの大南淳氏。日本では二大人気スポーツの立ち位置にあるサッカーと野球は、それぞれ極めて遠い関係にあると考えられていた。しかし2000年代に入ってMLBオークランド・アスレチックスのデータ活用による成功例が伝えられる。いわゆる「マネー・ボール」をきっかけに野球を参考にしたデータ分析が志向されるようになる中、野球選手の総合評価指標“WAR”がサッカー界でいかに実現したのかを、野球データアナリストの観点から前後編に分けて解説する。
FWメッシとMFブスケッツはどちらが優れている?
リオネル・メッシとセルヒオ・ブスケッツ、アーリング・ホーランドとアリソン・ベッカー、あるいは三笘薫と遠藤航。あなたはそれぞれどちらが優れた選手と考えるだろうか?
一人ひとりにサッカーに対する価値観があり、それによって回答も変わってくるだろう。だがそもそもこの質問自体がナンセンスと感じた人も多いのではないだろうか。メッシとブスケッツはともにトップクラスだが役割がまったく異なる選手だ。メッシの貢献度は「ゴール数」である程度可視化できるかもしれないが、それでブスケッツを評価するのは難しい。ブスケッツはビルドアップの局面、あるいはボール奪取で貢献をする選手だからだ。
ホーランドとアリソンについては言うまでもない。ホーランドはストライカーであるのに対し、アリソンはキーパー。ホーランドを同じFWであるモハメド・サラーを比較するのならまだわかるが、手を使えるGKとの比較には無理があり過ぎる。
客観的なスタッツを使うとより難しい。サッカーには様々なスタッツがあるが、それらのほとんどはある特定のスキルの結果が表現されているに過ぎない。例えばシーズン30ゴールを決めるCFと空中戦勝率80%を超えるCBのどちらが優れているだろうか。これらをもって選手の総合的な優劣を判断することはできない。これはxG(excepted Goals/ゴール期待値)やデュエル勝利数、走行距離といった近年になって現れた先進的なスタッツについても同様である。
だがサッカーから離れて別のスポーツを見てみると、実はこうした異なるポジションや役割の選手を比較することは一般的になっている。その先駆けとも言えるスポーツが野球だ。野球では20年ほど前に、どんなポジションの選手でも同じ土俵の上で総合的に比較、評価できるスタッツが開発された。
その代表が総合評価指標「WAR(Wins Above Replacement)」である。WARを簡潔に説明するならば、一軍半レベルの選手に比べその選手がチームの勝利をどれだけ増やしたか。打撃、投球、守備、走塁、あらゆるプレーの評価を1つの指標にまとめあげ、勝利貢献度を表したものだ。ポジションが異なる選手を比較するだけでなく、その選手の勝利への貢献度も直接計測できる。「マネー・ボール」を生んだ野球のデータ分析、セイバーメトリクスの1つの到達点と言っていい。
日本のプロ野球においてもこのWARによる評価システムは確立している。例えば以下が2023年のWARランキングだ。昨季のトップはWBCでも活躍したソフトバンクの近藤健介。WARは8.1であるため、一軍半レベルの選手が出場した場合に比べ、8.1勝チームの勝利を増やしたという評価だ。
そしてポジション欄を見ると、様々なポジションの選手が入り乱れていることがわかる。同じ野手の中での比較ならわかるかもしれないが、ランキング5位には先発投手の山本由伸も入った。
このように異なるポジションの選手が入り乱れる勝利貢献度のランキングは、サッカーの世界では見たことがないのではないだろうか。例えば2023-24シーズンのプレミアリーグでホーランド(FW)とマルティン・ウーデゴール(MF)とフィルジル・ファン・ダイク(DF)が上位に並んだ上で、それぞれチームの勝利を何勝増やしたと具体的に値が示されているようなイメージだ。
しかし実はWARのようにあらゆるプレーを総合した勝利貢献度を表現することはサッカーであっても可能なようだ。そしてこうした視点こそが、現代における世界最先端のサッカーで重要となってきている。
MLB選手への契約提示にまで及ぶWARの影響力
サッカーでこういった評価がなぜ重要となっているかを知るために、もう少し深くWARについて理解しよう。
そもそも野球は非常に多くのスタッツにあふれたスポーツだ。打率、本塁打、打点、盗塁。投手では防御率、投球回、奪三振など、公式記録だけで数え切れないほどのスタッツが存在する。この点でサッカーとは大きく異なる。
これほど多くのスタッツがあることで、以前から選手の評価を行いやすいスポーツではあった。契約の交渉も選手個人が残したスタッツをベースに進行できる。
しかしそれでも困難はあった。たとえば打率.320、5本塁打のアベレージヒッターAと、打率.250、30本塁打のパワーヒッターB、この2選手はどちらが優れているだろうか。あるいはアベレージヒッターAと、150イニングを防御率3.00で投げる先発投手Cとの比較だとどうだろう。さらにAは30盗塁の優れたランナー、Bはシーズン無失策の優れた二塁手でもあった場合どうだろう。このように複数のスタッツがポジションや役割をまたがって登場すると、評価は困難になる。
そんな中、WARは「勝利」という1つの通貨で選手を総合的に評価できる指標だ。この中では先ほどの選手A、B、Cもすべて同じ土俵で比較することが可能になる。あらゆる選手が勝利という単位のもと序列化されるのだ。以下に総合評価指標に必要な5つの条件を一覧化した。こうした特性をすべて備えたサッカーのスタッツはおそらく見たことがないはずだ。……
Profile
大南 淳
野球のデータ分析を手がける株式会社DELTAのアナリスト・編集者。主著に『プロ野球・MLBが10倍楽しくなる! よくわかるセイバーメトリクス』。趣味のサッカー観戦でも、リパプールを中心にプレミアリーグ全般をデータ視点で追う。Xアカウント:@ominami_j