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モナコの名ドクターが語るメディカルチームの使命、ケガをめぐる「5者」の関係性と“攻防戦”【前編】

2024.03.24

【特集】過密日程と強度向上による生存競争。ケガとともに生きる #6

サッカーにケガは付き物。“ともに生きる”術を磨いてきたサッカー界は、近年の過密日程やプレーの強度向上という変化の中で、ケガとどう向き合っているのか。予防や治療を通じて選手たちを心身両面でケアする様々な専門家の取り組みをはじめ、「サッカーとケガ」の最新事情を追う。

第6回は、フランスの名門ASモナコで2019年まで17年もの間チームドクターとして活躍し、現在は同国プロクラブのドクター連盟(AMCFP)で役員を務める68歳、フィリップ・クエンツ博士(Dr. Philippe Kuentz)にインタビュー。なかなか表に出てこないメディカルチームの仕事や現状について、前編ではクラブ、監督&テクニカルスタッフ(+個人トレーナー)、選手(+エージェント)らとの関わり方、昨今そこで直面する「由々しき問題」、モナコで尽力した「インビジブル・トレーニング」の内情など、体験談を交えて大いに語ってくれた。

理学療法士の数が近年23倍に。フィジカルトレーナーとの不可欠な知識の共有

――まず初めに、フランスのクラブにおける、メディカルチームの一般的な構成を教えてください。

 「私はフランスのフットボールクラブ、リーグ1とリーグ2、そして育成部門に従事するドクターたちを統括するアソシエーションの役員を務めています。我われの業務の一環として、定期的に会合を持ち、状況の分析も行っているので、それぞれにおいてどのように構成されているかを正確に把握しています。

 当然ながら、リーグ1とリーグ2は同じではありません。後者では人数も、予算も少ないですからね。リーグ1でも、上位5位以内にいるような強豪クラブとその他では違いがあります。例えばリーグ1では、どのクラブもドクターは2人体制になっています。現在リーグ2でも拡大しているところですが、理由はアウェイの試合にも帯同できるようにするためです。1人が帯同して、1人が残る。そうすることで、医療の目が常に行き届くことを徹底しているわけです。

 構成については、私が17年間モナコに在籍していた間にも変遷がありました。顕著なのは、理学療法士の数が2、3倍に増えたことです。クラブにもよりますが、現在では少なくとも4、5人の理学療法士が常駐しています。その他、ポドロジスト(足病医)、栄養士、心理学者。今日ではほとんどのクラブが心理学者、あるいは心理コンサルタントを置いています。それから整骨医ですね。彼らについては、フルタイムのクラブもあれば、外部から招いている場合もあります。

 彼らを束ねるのが、メインとなるドクターです。と、言葉でいうのは簡単ですが、実際にはそれほど単純ではなく、クラブ全体の機構の中で機能していくにはいろいろと問題があります」

――フィジカルトレーナーはどうですか?

 「彼らは監督たちと同じ、テクニカルスタッフ部門に所属します。テクニカルスタッフは基本的に、監督、アシスタントコーチ、GKコーチ、フィジカルトレーナーで構成されています。その中で攻撃、守備、全体的なコンディショニング、それぞれを専門とする人もいますし、スポーツ科学者のような新しいタイプのフィジカルトレーナーも最近では見られるようになりました。

 クラブによっては2人、時には3人、そのような厳密にはフィジカルトレーナーではなく、ましてやドクターでもない人が、パフォーマンス全体を統括するパフォーマンスディレクターの片腕となっています。そしてそのパフォーマンスディレクターという役職も、ここ最近ではクラブの組織の中でどんどん立場が向上して、あらゆることを調整する役割を担うようになってきています。この部分がうまく機能していると、それは素晴らしいのですが、そうでないと壊滅的になります」

――フィジカルトレーナーの業務には医療的知識も必要だと思うので、メディカル側に近いのかと想像していました。

 「ところが彼らは、監督やパフォーマンス担当者と連携しているテクニカルスタッフ側なのです。メディカル部門のスタッフの中にフィジカルトレーナーの資格を持つ者が何人かいるので、ケガ人が出た時には彼らが復帰時期についてなど、現場との調整に携わる感じですね。

 ケガをした選手が、コンディションを取り戻してチームに合流するまでにはインターバルがあります。大きなケガをした場合は最初はまず、50m歩いて戻ってくる、というところから始めます。この時点では、専門の理学療法士のもとで行います。その後、一定のレベルまで回復したらフィジカルトレーナーに引き継いで、あとは彼らが復帰までの調整を完了させます。しかしその際には、お互いがしっかり意思疎通を図る必要があります。理学療法士が時間をかけ過ぎてもいけないし、フィジカルトレーナーが急ぎ過ぎてもいけません。

 理学療法士が『このケガの状態ならまったく動いちゃダメだ』という判断をしたら、選手はどんどん体力を失い、衰弱してしまうかもしれません。そうすれば復帰までにさらに時間がかかってしまう。せっかくケガが治っても、体力が十分なレベルに達していない、ということが起こり得るのです。

 逆に、フィジカルトレーナーが急ぎ過ぎて『動いた方がいい』と急かしたことで、再びケガをしてしまったり、さらに悪化させたり、治癒を遅らせてしまうこともあります。ケガをしてからパフォーマンスを上げていくまでの過程は、両者が互いに知識とノウハウを共有して、賢く段階を踏んでいくことが欠かせないのです」

2016-17シーズンには17季ぶりとなるモナコのリーグ1優勝をピッチの外から支えたクエンツ博士。写真は2017年4月、FWにムバッペやファルカオ、MFにベルナルド・シルバ、ルマル、ファビーニョ、バカヨコ、モウティーニョ、DFにバンジャマン・メンディらがいたチームの練習風景

クラブのパフォーマンス部門+選手の個人スタッフ&エージェントという新たな“敵”

――そこに意見の相違による諍(いさか)いが起こるようなことは?

 「諍いの構図はとてもシンプルなんです。選手が素晴らしいパフォーマンスをすれば、それはフィジカルトレーナーのお手柄。しかしケガをしたら、ドクターや理学療法士の落ち度。だいたいこういう図になっているんですよ(笑)。

 しかし私のキャリアにおいて非常に多く見られたケースは、フィジカルトレーナーがしっかりコントロールしたり様子を観察したりせず、また我われの助言も受けつけずに性急に復帰を進めた結果、ケガを再発させてしまったというものです。メディカルスタッフは復帰を遅らせようとしているのではなく、最速を目指しているのだということを信頼し、と同時にメディカルチームの処方を尊重して、急ぎ過ぎないことが、ケガの再発の予防に繋がるのですから。

 双方がしっかりコミュニケーションを取って、うまくいかなかった場合はその要因を探り、早過ぎた、あるいは時間をかけ過ぎた、といった点を検証することが大事です。

 それから今日では、さらなる要素が加わって事態をより複雑化しています。トップクラスの選手が、自分専用のトレーナーをつけていることです。実際にお抱え選手のケガの治療についてクラブに乗り込んできた個人トレーナーと、私も対面した経験があります。

 我われは常に、選手ができる限り早く復帰することを目指して取り組んでいるわけですが、その我われの仕事に満足しない人たちがいる。だからこうしたプライベートなトレーナーが出現することになるのですが、そこで厄介なのが、彼らも雇われている以上、選手に対して何か有効と思われることをしなくてはならない、ということです。

 どういうことかというと、我われが選手に『10日目まで走らないように』と伝えたとしましょう。しかしプライベートのスタッフが『いやいや、それは慎重過ぎる。6日目からは走っていいよ。そのためのプログラムを作るから』と。そう言われた選手が、クラブと個人トレーナーからの指示で、2通りのプログラムで、つまりは2倍走っていた、ということもありました。それでケガを悪化させてしまうわけです。

 これは非常に由々しき問題なのですが、スターになって稼ぎが増えるほど、彼らを取り巻くスタッフも増える。ところが、ひとたびそうした選手が不運なケガをしてしまうと、彼らプライベートスタッフは一瞬でどこかへいなくなってしまうのです。彼らの言い分は『これはクラブと、クラブのメディカルチームの責任だ』です。実際、私も何度もこうした体験をしました。非常に重大な問題と言えるでしょうね。

 今後もメディカルチームが直面する難題は、クラブのパフォーマンス部門、そして選手のプライベートスタッフ、この2大勢力との攻防戦、ということです」……

Profile

小川 由紀子

ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。