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セリエA新スタジアム建設ブームの背景(後編)。キーワードは「商業施設」と「文化財保護」

2024.02.20

なぜ、新プロジェクトが続々発表?サッカースタジアムの未来#9

Jリーグ30周年の次のフェーズとして、「スタジアム」は最重要課題の1つ。進捗中の国内の個別プロジェクトを掘り下げると同時に海外事例も紹介し、建設の背景から活用法まで幅広く考察する。

第9回は、サッカースタジアムが公営かつスポーツ競技施設と位置づけられている、日本と似た状況のイタリア・セリエAの事例を紹介。後編ではユベントス、フィオレンティーナ、アタランタ、ボローニャ、カリアリなどの「モダン化」の個別事例を解説する。

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ユベントス・スキームという「1つの解答」

 前編で見た通り、イタリアにおける現代的なサッカー専用スタジアムの開発に端緒をつけたのは、2011年に完成したトリノのユベントス・スタジアム(ネーミングライツによる現在の呼称はアリアンツ・スタジアム)。

 トリノに本拠を置くユベントスとトリノは長年、トリノ市内に位置する市営の陸上競技場スタディオ・コムナーレを本拠地としていたが、1990年からは、同年開催されたイタリアW杯に際して市郊外の外縁部に新設されたスタディオ・デッレ・アルピに本拠地を移していた。しかしこのデッレ・アルピ、建築デザイン的には非常に美しいスタジアムだったが、陸上トラックがあるため観客席からピッチまでの距離が遠い(3階席からは200mも離れていた)上、約7万人収容というキャパシティが大き過ぎてスタンドは常時ガラガラ(1990年代を通してユベントスの平均観客数は4万人強、トリノはその半分)、しかし維持費=賃貸料は高額と、様々な問題を抱えていた。

 当時ユベントスの経営を担っていたアントニオ・ジラウドCEOは、竣工から10年も経たない1999年に、このデッレ・アルピを4万1000人収容の専スタに大改築するという構想を打ち出し、トリノ市に対して、もしこれが受け容れられなければ本拠地をトリノ以外の都市に移すことも考える、という強い態度に出た(これは当時、筆者が書いたそれを伝えるニュース)。

 この構想はその後の調整を経て、2006年のトリノ冬季五輪とリンクさせる形で具体化することになる。トリノ市は、90年に本拠地として使われなくなった後、ユベントスが練習場として使っていた旧コムナーレを冬季五輪の開・閉会式会場とし、その後はサッカースタジアムとして使用する前提で大規模修復してスタディオ・オリンピコ・ディ・トリノと命名(収容人員は2万8000人)。ユベントスとトリノは五輪終了後の06-07からここに本拠地を移し、それと同時にユベントスが約5年をかけて旧デッレ・アルピを大改築して、それが完成した2010年からはユベントスが新スタジアム、トリノがそのままオリンピコに残るという形で、両クラブともに自分たちの新スタジアムを手に入れることになった。複数のプロサッカークラブを抱えるイタリアの都市で、1つのスタジアムを共用せずそれぞれが自分の本拠地を持っているのは、今でもこのトリノだけだ。

 ユベントス・スタジアムは収容4万1000人、メインスタンドには2つのレストラン、各セクションに計8つの飲食スペース、計21のバールを配し、VIP用のスカイボックスも64備えるなど、商業施設としての付帯機能も充実させた、イタリアで初めての現代的スタジアムとなった。隣接地にはユベントス・ミュージアムとショッピングセンターも併設されており、試合開催日以外にも稼動するようになっている。

ユベントスのホーム、アリアンツ・スタジアム

 ユベントスはその後、スタジアム用地に隣接する17万㎡の広大な土地を買収し、クラブオフィス、トレーニングセンター、メディカルセンター、ホテル、ハイスクールなどを併設したヘッドクォーター「Jビレッジ」の建設を計画、2015年から段階的にオープンさせている。

トリノとフィオレンティーナが直面した「文化財保護の規制」

 一方トリノがそのまま残ったオリンピコ・ディ・トリノは、名称がオリンピコ・グランデ・トリノに変更されて現在に至っている。元々の躯体は、1930年代のファシズム時代にイタリア機能主義と呼ばれる様式に則って作られたスタジアムの1つで、バックスタンド中央に位置する「マラソン塔」と呼ばれるタワー、二層に分かれた観客席を結ぶ階段が上層の最前列に規則的に配されているなど、意匠的にフィレンツェのスタディオ・アルテミオ・フランキとの共通点が少なくない。オリンピックのために大規模改修を受けたため、スポーツ競技施設としての機能性は必要十分だが、商業施設としての付加価値部分が足りないことは否めず、前編で見た現代的なスタジアムの要件は部分的にしか満たしていない。

 上で触れたアルテミオ・フランキも、2020年代に入ってようやく、所有者であるフィレンツェ市による大規模改修計画が具体化している。1930年代に建設された機能主義様式によるファシズム建築という点ではオリンピコ・グランデ・トリノと同様で、こちらは1990年のイタリアW杯に際して一度大規模改修を受けているものの、それから30年以上が過ぎており、現代的なスタジアムとしての要件はほとんど満たしていない。

 ところが、ファシズム建築の代表的な事例という歴史的価値を持ち、築70年をすでに超えているため、前編で見た文化財保護の規制がかかっており、取り壊しはもちろん原形を留めない形での大規模改築も不可能。2019年に経営権を取得したアメリカ人オーナーの下で新スタジアムを求めるフィオレンティーナが、市が当初提示した「ユベントス方式」(土地使用権の長期貸与、上物はクラブに譲渡しクラブの負担で改築)によるリニューアル計画を拒否し、自前のスタジアム建設に動いた理由もそこにある。

 フィオレンティーナに袖にされたフィレンツェ市は、しかし2021年、コロナウイルス禍からの経済再建を目的とするEUからの補助金を財源とする独自の大規模改修計画を発表。フィオレンティーナが使用しないならそれはそれで構わない、という強気の態度を打ち出し、すでに入札による施行業者の決定を経て、具体的な改修スケジュールの策定を進めている。

 改修の具体的な内容は、現在の躯体を残しつつ、ピッチに近接したゴール裏スタンドをその上に乗せる形で新設し、現在はメインスタンドにしかない屋根を観客席全周に設置するなど、いわば既存スタジアムの内側にもう1つのスタジアムを造るというもの。歴史的建造物を活かす形での大規模改築となると、この方法以外にないというのが現実のようだ。……

Profile

片野 道郎

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。