J3を一年で脱出した大分トリニータ、開幕戦で見せたサポーターの力【特集:J3に落ちたときに大事なこと】
J3に落ちたときに大事なこと#1 大分トリニータの場合
近年の競争激化で、J2からJ3に降格したクラブは簡単には上がれなくなった。今J3で何が起きているのか、降格した後チームは何をどう準備すべきか。降格経験のあるクラブの番記者が降格当時の事情、そしてその時に何が大事だったかを振り返る。
第1回で取り上げるのは大分トリニータ。2013シーズンから3シーズン後にJ3まで急降下するも、3シーズン後には再びJ1へ返り咲くV字回復を成し遂げることができたのは、サポーターの支えがあってこそだった。そんなサポーターの献身を中心に、ひぐらしひなつが回顧する成功と転落、そして復活のストーリー。
2015年12月、大分は町田とのJ2・J3入れ替え戦に敗れてJ3降格となった。2013年にはJ1で戦っていたチームの、急流に飲まれたかのような転落劇だった。J1経験クラブでは初のJ3降格という不名誉な記録もマークしながら屈辱を噛み締めたあの日から、8年の歳月が流れている。
誕生して3シーズン目のJ3という未体験ゾーンでの戦いは、いろいろと衝撃的だった。当時のJ3は試合中継が行われておらず、スタジアムに行かなくてはその内容を知ることができない。所属クラブの多くはその拠点を地方都市としており、交通の便が良好とは言えない大分からアウェイへの移動負担も増えた。基本的にデーゲームなので1泊では帰れないことも多い。アウェイのスタジアムの多くは簡素なたたずまいで、プロリーグの興行としてはさみしい印象を拭えず、観客数も驚くほど少なかった。
初めてのステージは、すべてが過酷だった。降格決定後に主力を中心とする11人の戦力が流出したものの、他クラブに比べれば充実した戦力と見なされており、開幕3連勝で快調にJ2復帰へと走り出すかに思われたが、話はそう簡単ではなかった。第4節からは4戦白星なしで、第8節終了時点には10位にまで順位を落とす。長距離移動を伴う夏場のデーゲームや簡素な設備など不慣れな要素にも「それを言い訳にはできない」と選手たちは歯を食いしばっていたが、やはりその環境での試合経験を積んできたチームの方が、いろいろな意味でタフだった。ともに降格組となった栃木が順調に勝ち点を積む中、第19節にはその栃木との直接対決にも敗れ、首位栃木と3位大分とは勝ち点9差に開く。客観的に見れば残り11試合でそれを埋めることは困難に思われた。……
Profile
ひぐらしひなつ
大分県中津市生まれの大分を拠点とするサッカーライター。大分トリニータ公式コンテンツ「トリテン」などに執筆、エルゴラッソ大分担当。著書『大分から世界へ 大分トリニータユースの挑戦』『サッカーで一番大切な「あたりまえ」のこと』『監督の異常な愛情-または私は如何にしてこの稼業を・愛する・ようになったか』『救世主監督 片野坂知宏』『カタノサッカー・クロニクル』。最新刊は2023年3月『サッカー監督の決断と采配-傷だらけの名将たち-』。 note:https://note.com/windegg