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極めて優秀なチームスタッツ、しかし…。サンフレッチェ広島に足りなかったものは何か?

2023.12.22

Jリーグ新時代に求められるもの――2023シーズン注目クラブ総括
Vol.6 サンフレッチェ広島

30周年を迎えたJリーグ、J1・J2注目クラブの2023シーズンを徹底総括。有望株や実力者の海外流出、人材流動の加速で変化する序列と台頭する新戦力、そしてACLの秋春制移行――環境が激変する新時代を生き残るための戦術&人心掌握術とは? 最終結果だけでは見えてこないチーム作りの方向性と試行錯誤、そして選手自身の成長と物語を専門家と番記者の視点で掘り下げる。

第6回は、J1トップクラスのチームスタッツを記録しながらも3位に終わったサンフレッチェ広島。1995年から取材を開始し、以来欠かさず練習場とスタジアムに足を運び、クラブへ愛と情熱を注ぎ続けた中野和也氏が、タイトルという栄冠を手にできなかった理由について考察する。

ポジティブな指揮官ですら表情を曇らせる「得点力不足」

 常にポジティブなミヒャエル・スキッベ監督の姿勢を見習い、前向きな部分からまず、言葉を繋いでみたい。

 シュート数(平均14.2本)、枠内シュート数(平均5.8本)、ラストパス数(平均9.7本)、クロス数(平均20.0本)、こぼれ球奪取(平均36.8回)。これらのデータがすべてリーグ1位を記録している(データはⓒJSTATS)。OPTA集計による得点期待値も、広島は札幌に次ぐ2位となった。

 ちなみに、平均失点0.82はリーグ2位(トップは浦和)、平均被シュート7.03本はリーグ1位。3失点以上の試合は一つもなく(失点最少の浦和でも3失点が1試合)、2失点も7試合だけ(浦和は6試合)。与えたPKもゼロ(浦和と広島だけ)と守備のデータでもトップクラスだ。

 今季の結果は3位。クラブ予算規模を考えれば、2年連続トップ3という実績は本当に素晴らしい。

 だが皮肉なもので、本来であればリーグ優勝を果たしてもおかしくないデータを叩き出しているからこそ、胸の中にモヤモヤが残る。

 タイトルが獲れなかった最大の要因はシンプルだ。得点能力である。

 チャンスの数はリーグナンバーワン、その質も得点期待値のレベルでみれば決して悪くない。だが肝心の得点数は平均1.24点で、優勝した神戸の1.76点や横浜FMの1.85点と比較するまでもない。
 攻撃はしているのに、多くの試合で相手を押し込んでいるのに、ゴールネットを揺らせない。シュート決定率8.3%はリーグ最下位であり、昨年同様今季も、二桁得点者を輩出できなかった。

 どんな状況にあっても、できるだけポジティブであろうとするスキッベ監督ではあるが、さすがに「得点数」に話が及ぶと、雲行きがあやしくなる。

 「どんなチャンスをつくっても、最後のところは個人のクオリティ。優勝争いを演じたチームと比べると、自分たちには残念ながらトップスコアラーがいない」

 優勝した神戸にも2位の横浜FMにも、得点王(大迫勇也とアンデルソン・ロペス)がいる。22得点を叩き出した2人のスコアラーがチームに勝利をもたらしたことは間違いない。

 一方で広島のチーム得点王はドウグラス・ヴィエイラの8得点。全て途中出場で8得点を叩きだした実績は素晴らしいが、彼に加藤陸次樹、ピエロス・ソティリウ、満田誠という広島のゴールランキングトップ4の数字を合わせても21得点。得点王が1人で記録したゴール数には及ばないのだ。あれほどチャンスをつくっているのに「ストライカーが中盤の選手程度しか、点を取れていない」。指揮官のそんな嘆きも、無理はない。

 2023年の広島に対して言うべきことは、一つだ。チャンスはたくさんつくり、守備も機能していたが、点が取れない。ここに尽きる。シンプルすぎるくらい、シンプルである。

満田誠の負傷離脱は大きな影響を与えたが…

 2023年を振り返ると満田誠の負傷離脱と復帰、この2つの出来事が、それぞれ分岐点になっているように見える。

 満田誠が前十字靱帯部分断裂という重傷を負ったのは、5月7日の福岡戦だった。そして次の神戸戦から8月5日の湘南戦までの11試合で広島は2勝2分7敗8得点14失点という、とんでもない大失速に陥る。

 開幕から福岡戦までの11試合で7勝2分2敗16得点8失点、満田復帰後(8月13日浦和戦)の12試合では8勝3分1敗18得点6失点。満田負傷離脱中の広島は、その前後とは違うチームになったかのような数字である。ちなみに、満田が出場した23試合の平均勝点が2.17で、34試合に換算すれば勝点は73まで積み上がる。つまり、優勝である。

 満田がプレーした23試合でも平均得点は1.48点と爆発的に伸びはしていないが、それでも不在時の0.73点と比較すれば大きな違いだ。加藤陸次樹とマルコス・ジュニオールがまだ加入していなかった最初の11試合と比較しても1.45得点/平均。いかに彼がチームの浮沈を握っていたか、データが示している。

 ただ、スキッベ監督の見方は少し違う。

 もちろん、満田という若者の存在の大きさは、誰よりも監督が感じている。だがそれだけで、チームが失速してしまったとは思っていない。

 指揮官はシーズン中、「(満田)マコとシオ(塩谷司)の長期離脱が痛い」と語っていた。ただ満田の負傷する前の個人戦績は11試合1得点2アシストと、決して爆発していたわけではない。

 塩谷の攻撃能力の高さは離脱(5月27日湘南戦〜7月8日鹿島戦)前に2得点を叩き込み、8月13日の浦和戦では加藤陸次樹に見事なスルーパスを通してのアシストという実績でも証明される。ただ、DFの離脱がそのまま得点数に反映されたと見るのは、無理がある。

 5月31日の浦和戦と7月1日の新潟戦を除き、塩谷や満田不在でもシュート数やゴール期待値でも上回っている事実からすれば、彼らのような「チャンスメイカー」の離脱だけが勝敗に影響したとは考えにくい。もちろん、満田のアグレッシブな守備や塩谷の攻撃参加がアタックに厚みを持たせたのは確かだが、それだけで得点は生まれない。

 結局はストライカーなのである。得点を取るという役割を、誰が果たすかということになってくる。それは、指揮官のシーズンを総括する言葉の数々からも、明白だ。

ドウグラス・ヴィエイラのジレンマ

 最初の11試合には、ドウグラス・ヴィエイラの大爆発があった。

 彼はプレシーズンの宮崎キャンプで負傷して出遅れ、今季初出場が3月19日の柏戦。その翌週の鹿島戦で途中出場から2得点を叩き出すと、そこから3試合連続得点。4月29日のC大阪戦まで6試合出場5得点とゴールを重ね、チームを牽引した。

Photo: Kayo Nakano

 ところがC大阪戦のゴール後、あまりに興奮しすぎてコーナーポストをへし折り1試合の出場停止処分を食らって以降、彼は得点が取れなくなる。5月27日の湘南戦でPKを決めて以降、再びゴールを奪うのは9月2日の鳥栖戦まで待たねばならなかった。

 どうしてドウグラス・ヴィエイラが点を取れなくなったのか。それは彼が、先発に回らざるを得ないチーム状況になってしまったからだ。

 ドウグラス・ヴィエイラの場合、先発だと守備の負担が重くなるのか、ゴール前で爆発的なパワーが出せなくなってしまう。かといって守備を捨てて攻撃にシフトすると、チームのコンセプトが崩れる。

 現実、昨季から今季にかけて背番号9は11試合に先発しているが、得点はゼロ。一方、途中出場では26試合で11得点。結果は明白だ。

 彼の力を最大限に引き出すには、途中出場で攻撃に専念させてやるのがベストだ。だが、それができなかった事情もある。ナッシム・ベンカリファの不調とピエロス・ソティリウのケガだ。

 ナッシムはずっと膝に爆弾を抱えたままプレーしており、一時は水を抜きながらトレーニングしていた。試合には出ていたが、トップフォームにはほど遠い。走れはしても、クオリティを発揮できなかった。秋口には大腿部を負傷し、離脱する日々も続いた。

 ピエロスはプレシーズンのトルコキャンプ前半に筋肉系の負傷をしてしまい、そこから復帰しては離脱の繰り返し。満田が負傷した福岡戦で越道草太のクロスをヘッドで叩き込んだゴールは、彼の能力の高さを示したが、その翌週にまたも負傷。一時はキプロスに帰国して治療を受け、回復して戻ってきたのが7月16日の横浜FC戦だった。約3カ月近い離脱である。

 その試合以降、6試合3得点とブレイクの予感を漂わせていたのに、またも負傷。10月は全く稼働できず、11月も先発できない。

 もし彼がいれば、あるいはナッシムが昨年の夏のような状況だったら、ドウグラス・ヴィエイラをベンチに置くこともできただろう。彼を常にハングリーな状態において、爆発を誘発することもできた。だが今年の夏、FWの選択肢は9番の他にない状況になっていた。

 「今シーズンは特に、FWの外国人選手たちのケガが非常に多かった」とスキッベ監督も口にする。……

Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。