FEATURE

「分析通り」の同点弾も総合的に及ばず…スペイン戦で勝負を分けた序盤の攻防と経験の不足

2023.11.22

U-17W杯から占う日本の未来 #15

コロナ禍を経て2019年以来の開催となるU-17W杯が、11月10日にインドネシアでいよいよ幕を上げた。前回王者ブラジルをはじめとする24カ国が17歳以下の世界一を争うFIFA主催国際大会の最年少カテゴリーは、アンドレス・イニエスタからフィル・フォデンまでのちのワールドクラスが頭角を現してきた若手見本市。AFC U17アジアカップ優勝チームとして森山佳郎監督が招集した全員国内組の“06ジャパン”にとっては、18歳から解禁される国際移籍も見据えてその才能をビッグクラブにまで知らしめる格好の舞台でもある。逸材集団の登竜門への挑戦を見届けながら、彼らが背負う日本の未来を占っていこう。第15回では、3大会連続でのベスト16敗退が決まったスペイン戦(●2-1)で勝負を分けた要因を、現地取材した川端暁彦氏が探る。

 U-17スペイン代表を率いるホセ・ラナ監督は「タフな試合だったね」と言ってニヤリと笑った。

 ホセ・ラナ監督の考えるスペインのスターティングオーダーは固定的で、第1・2戦とラウンド16の3試合はほぼ同じラインナップ。11人中7人がバルセロナ所属の選手たちで、特に「中央をバルサで固めている」(森山佳郎監督)ため、サッカーの志向もまさにバルサ。森山監督は「スペインらしいチーム」と評していたが、[4-3-3]の配置も含め、たしかに我われが「スペイン」と聞いて思い浮かぶようなチームである。

 もちろん、ホセ・ラナ監督はバルサの選手が多数になっていることを問われて「たまたまそうなっただけなんだ。すべてのベイビーを愛している」と答えていて、“バルサ贔屓”のような見られ方をするのは嫌なのだろうと察せられた。

 いずれにしても、そのスタイルは、ここまで記録した「パス本数」と成功数でスペインが大会一番という数字が端的に示す通り。「ボール回しがめちゃくちゃ上手いチーム」という言葉は、映像を見た日本の選手たちもそろって口にしていた表現である。

中2日を前提に組み上げられたゲームプラン

 ポーランド、アルゼンチン、そしてセネガルと異なる大陸の相手と連戦をこなしてきた日本だが、スペインもまた「これまでの相手とはまったく違うスタイル」(森山監督)を持つ異質な相手である。「本当に四者四様」(廣山望コーチ)の相手にどう向き合うか。まずそのゲームプランがポイントだった。

 「スペインは消耗する戦いをしてこなかった」という試合前の森山佳郎監督の見立ては正しいだろう。

 グループステージではマリとカナダを相手に戦った最初の2試合では前半のうちに相手に退場者が出る戦いとなり、世界で最もボールを動かせるチームの強みをフル活用し続けられたし、最後のウズベキスタン戦はすでに突破を決めていたため、メンバーを大幅入れ替え。主力を温存しながらの戦いだった。

 さらにグループステージ3試合とラウンド16がすべて同会場。移動なしなのもアドバンテージである。試合までのインターバルも長かった。

 対する日本は、アルゼンチンとの第2戦に敗れた時点で第3戦までフルパワーで戦い抜くことが確定。セネガルに勝ち切ったが、開幕前に4名が追放されて純粋に人数不足のポーランドは、インドネシアの気候で疲弊していたこともあり「日本との初戦だけパワーが残っていた」(森山監督)形で、第2戦からセネガルとアルゼンチンに得失点差のボーナスを献上。2勝1敗ながら3位抜けという苦しい形に終わった。

 セネガルにもう1点奪って2位抜けしてれば良かったと思われるかもしれないが、その場合は欧州最強国フランスと対戦。日本がずっと苦手としている相手でもあり、こちらはこちらで微妙なところだった。

 いずれにしても、体力的余裕が日本よりスペインにあるのは確かだった。必然的にゲームプランも「最初から行くと、最後まで持たない」(森山監督)ことを前提に組み上げられることにはなった。守備的に構えて試合に入る形はセネガル戦からの継続事項で、そこもメリットに思えたのだろう。中2日で現地入りが前日、空港から直接練習場に乗りつけてトレーニングするしかないというスケジュールから考えても、難しいことを新たに仕込む余裕はないという点もあったように思われる。

 結果論から言えば、日本が慎重に入り、スペインが果敢に入ってきた序盤の攻防が勝敗を分けたと言えるだろう。

「スコア以外はこれ以上ない前半だった」

……

Profile

川端 暁彦

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣『エル・ゴラッソ』を始め各種媒体にライターとして寄稿する他、フリーの編集者としての活動も行っている。著書に『Jの新人』(東邦出版)。