コロナ禍を経たからこその「ワクワク」。日常を失った“06ジャパン”が森山監督と世界に挑むまで
U-17W杯から占う日本の未来 #8
コロナ禍を経て2019年以来の開催となるU-17W杯が、11月10日にインドネシアでいよいよ幕を上げる。前回王者ブラジルをはじめとする24カ国が17歳以下の世界一を争うFIFA主催国際大会の最年少カテゴリーは、アンドレス・イニエスタからフィル・フォデンまでのちのワールドクラスが頭角を現してきた若手見本市。AFC U17アジアカップ優勝チームとして森山佳郎監督が招集した全員国内組の“06ジャパン”にとっては、18歳から解禁される国際移籍も見据えてその才能をビッグクラブにまで知らしめる格好の舞台でもある。逸材集団の登竜門への挑戦を見届けながら、彼らが背負う日本の未来を占っていこう。第8回では今夜18時に初戦を迎えるU-17日本代表が歩んできた成長の軌跡を、現地取材を続ける川端暁彦氏とたどっていく。
「これは相当まずい気がする」
今から2年前、まだ「U-15」日本代表だったチームを見た時の率直な印象だ。反町康治技術委員長や影山雅永育成ダイレクターも似たような感想とともに危機感をあらわにしていたので、外野の勝手な感覚というわけでもない。
誤解を恐れず言ってしまえば、まあ、強くはなかった。
無理もないのだ。何しろ、2年前はまさにコロナ禍の真っ盛り。本来なら中学年代で主力選手としてリーダーシップを発揮しつつ、日常から真剣勝負のタフな経験を積み上げている状態で選手たちは集まってくる。それがリーグ戦は打ち切られ、全国大会は消滅し、日常のトレーニングすら許されなくなる状況が続いていた。
この翌年、再開されたU-15の全国大会の取材に行ったら、「遠征して合宿するという経験すらほとんどしていない世代なんで、みんなメチャクチャ楽しそうなんですよ」なんて話を聞かされ、「それは良かった」と思う半面、失ったモノの大きさも実感させられた。
翌年、「U-16」日本代表となったチームを森山佳郎監督が預かった時、最初に手をつけたのは「ゲーム経験」だったのも記憶に新しい。チームが一丸となって戦って勝つ、あるいはタフに戦って負けて悔しがることを体感させることが出発点だった。
コロナ禍でまだ国際試合は解禁されていないので御殿場に高校サッカーの強豪チームを集めてひたすら試合をこなしたのだが、前年末は淡々と代表活動をこなしていた選手たちが解き放たれたようなプレーを見せていて驚愕したのを覚えている。一番驚いたのは、ゴールが決まった時に、それが公式戦のように選手たちが控えメンバーも含めて喜びを爆発させていたことだったりもする。
自らがイジられ役になることもいとわずにポジティブな空気感を作り出す森山監督の魔法という見方もあるだろうし、そうした面は間違いなくある。ただ、それ以上に「プレーできる喜び」という大前提や「同年代のライバルが集まって代表チームとして戦う面白さ」を、コロナ禍を経たからこそ強く感じて表現できる世代なのだということもよくわかった。
国際経験を含めてコロナ禍ゆえに与えられなかったモノは確かに多くあるのだが、それが彼ら個々人を弱くしたかと言えば、必ずしもそうではない。むしろ、そういう環境でも向上心を失わずにポジティブな努力を積み上げてきた選手たちという面もあったわけだ。
中村コーチらとの分業も。対世界を意識してのアジア制覇
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Profile
川端 暁彦
1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣『エル・ゴラッソ』を始め各種媒体にライターとして寄稿する他、フリーの編集者としての活動も行っている。著書に『Jの新人』(東邦出版)。