“中島浩司の息子”から“洋太朗”へ。「先の景色が見える」広島の至宝に見る夢
U-17W杯から占う日本の未来 #5
コロナ禍を経て2019年以来の開催となるU-17W杯が、11月10日にインドネシアでいよいよ幕を上げる。前回王者ブラジルをはじめとする24カ国が17歳以下の世界一を争うFIFA主催国際大会の最年少カテゴリーは、アンドレス・イニエスタからフィル・フォデンまでのちのワールドクラスが頭角を現してきた若手見本市。AFC U17アジアカップ優勝チームとして森山佳郎監督が招集した全員国内組の“06ジャパン”にとっては、18歳から解禁される国際移籍も見据えてその才能をビッグクラブにまで知らしめる格好の舞台でもある。逸材集団の登竜門への挑戦を見届けながら、彼らが背負う日本の未来を占っていこう。第5回はU-17日本代表の注目選手として中島洋太朗(サンフレッチェ広島ユース)にフォーカスする。
開幕前のトルコキャンプ、16歳のMFのワンプレーに驚愕
中島洋太朗に対する認識が変わったのは、1月18日だったと記憶している。
場所はトルコのリゾート地であるアンタルヤ市内の「カヤ・パラッツォ・ゴルフ・リゾート」の中にあるサッカー場。サンフレッチェ広島が今年、春季キャンプを行った場所だ。
この日、広島はトレーニングマッチを行った。相手はCSKAソフィア。ブルガリアの名門クラブであり、国内リーグ31回の優勝を誇る伝統を持つ。フリスト・ストイチコフというスーパースターを輩出したことでも有名だ。この日、東洋のいちクラブとの練習試合にCSKAサポーターが訪れ、声を飛ばし、チャントを歌った。また、ブルガリアのテレビ局が来訪し、カメラ6台を使って練習試合を生中継する。その様子を見るだけで、CSKAソフィアというクラブの価値がよく理解できた。
試合は、審判の未熟さばかりが目についた。とにかく、オフサイド。裏に出たら、オフサイド。広島だけなくCSKAの選手たちもフラストレーションがたまり、試合中に両チームの監督・選手が「あれはないよな」と話し合っていたほどのレベル。特に68分、ナッシム・ベン・カリファのスルーパスに飛び出して棚田遼が決めたループシュートは、チャンスメイクの形もフィニッシュも、すべてがパーフェクト。オフサイドと判定された時、CSKAのGKやDFが「ノット・オフサイド」と肩を叩いて慰めたほどのシーンだった。
そんな状況下の71分、広島ユース新2年生のMF中島が投入された。ポジションは[4-1-2-3]の右ウイング。広島ユースではボランチが主戦場だった彼にとっては慣れないポジションだ。
中島は広島のジュニアユースにいた頃から将来を嘱望されてきた才能だ。父・中島浩司の現役時代を彷彿とさせる創造力とパスセンスは突出しているという情報も聞いていた。ただ、筆者にとって彼のプレーを見るのは正直、初めて。父のプレーはずっと見ていたし、彼の知性あふれるスタイルが大好きだった。だが父は父、息子は息子。それはかつて森保一の息子たちを見た時、特に次男の圭悟の攻撃的なスタイルを見た時に強く感じたことだ。
77分、野津田岳人からのパス。中島は瞬間、ほんのちょっとだけ迷ったという。
「スルーするか、ちょっと触ってつなぐか」
外には、SBの茶島雄介が見えていた。広島ユースの大先輩を経由して自分が前でボールをもらうには、ちょっと触るべきだ。
コンマ数秒の決断。16歳はヒールでパス。すぐに前を向いた。茶島は15歳年下の後輩の意図をすぐに理解し、ダイレクトで前へ。そのボールを中島はやはりダイレクトでスルーパスを出した。飛び出したのはナッシム・ベン・カリファ。見事にネットを揺らす。が、オフサイド。誰がどう見てもオンサイドであり、ピッチレベルからとった映像からでも、ナッシムが後ろから飛び出していることは、わかる。場内は騒然。CSKAサポーターからも「違う」という声が漏れたほどのプレー。
ただ、筆者は違った意味で驚愕した。
この「得点」は、中島が野津田のパスを引き出した時からイメージしていた物語が、現実化したもの。実際、彼はこんなことを言っている。
「まあ、(サッカーは)状況が常に変わるから(予測は)難しいんですけど、先の景色がどうなるかは、いつも意識しています」
パスを出す時、中島はナッシムを見ずにプレーしている。ボールを受ける前にストライカーの位置を確認したことで「必ず飛び込んで来てくれる」という確信を持って、ラストパスを供給した。周りの選手たちのスタイルも、しっかりと頭に叩き込んでいたのだ。
松本泰志をはじめ、プロの先輩たちが「洋太朗は上手い」と称賛する。ただ当初は「ボール扱い」のことだと思っていた。しかし、CSKAソフィア戦の後は、認識が変わった。
中島が上手いのは、ボール捌きだけではない。パスの精密さだけでもない。常にビジョンをしっかりと持ち、数手先まで予測してプレーを選択できる賢さも含めて、先輩たちは「上手い」と評価していた。その言葉の正しさを、16歳のMFはピッチの上で証明したのだ。
プレーの発想は圧巻。でも照れ屋でシャイ
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Profile
中野 和也
1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。