マラドーナとナポリ。光と影のはざまで生きた7年間と、今なお続く「神」への信仰
【ナポリ特集】待ちわびたスクデット奪還の意味 #5
2022-23シーズンのセリエAを制したSSCナポリ。第6節以降一貫して首位をキープすると、2月の時点で2位に18ポイントの差をつけ、その後もリードを維持したまま独走。時間の問題だと思われていた優勝決定の瞬間を迎え、世界中のサポーターたちの歓喜が爆発した。ディエゴ・マラドーナ在籍時代以来となる、実に33年ぶり、3度目のリーグタイトル。このイタリア南部のクラブにとって待ちわびたスクデット奪還は、どのような意味を持つのだろうか。
#5では地元で、そして彼の母国でも語り継がれる「マラドーナのナポリ」について、当時を知る関係者たちの証言を交え、アルゼンチンからChizuru de Garciaさんに伝えてもらった。
アルゼンチンほどのサッカー大国ならばセリエAの情報も頻繁に取り上げられるのだろうと思われるかもしれないが、実際は異なる。
大国だからこそサッカー愛好家たちの関心は何よりもまず国内のサッカーに注がれ、欧州サッカー界の話題はあくまでも「おまけ」に過ぎない。今シーズンのように、5カ月前にW杯で優勝したばかりのアルゼンチン代表選手がCLでもELでもファイナリストに名を連ねる(インテル、マンチェスター・シティ、セビージャ、ローマの全チームにW杯優勝メンバーが所属している)という稀な展開でもない限り、ニュース全般の中で海外サッカーが取り上げられることは滅多になく、通常、唯一の例外はリオネル・メッシだけと言っていい。
だが今回、ナポリが33年ぶりにスクデットを勝ち取ったことはアルゼンチンでもトップニュースとなった。国が深刻な経済危機に見舞われ、100%を超えるインフレの話題で連日持ち切りの状況にありながら、『クラリン』紙や『ラ・ナシオン』紙といった有力紙を含む多くの新聞がナポリの優勝を一面で大々的に報じた。
その理由は説明するまでもなく、ディエゴ・マラドーナにある。
1984年6月、23歳だったマラドーナは当時低迷していたナポリに移籍し、中核となってチームを引っ張り上げ、1986-87シーズンにクラブ史上初となるセリエA制覇に大きく貢献。1989-90シーズンには2度目の優勝を成し遂げたが、マラドーナが去った後のナポリはこれまで1度もスクデットを手にしていなかった。
『クラリン』紙は、ナポリ市内にあるマラドーナの壁画前で祝福するサポーターの写真に“El Napoli de Maradona, otra vez campeón”(マラドーナのナポリ、再度チャンピオンに)の見出しを添え、「あの時以来の快挙」に特別な感慨を覚える人々の涙腺を刺激した。マラドーナのナポリ――そう、多くのアルゼンチン人にとって、ナポリは「マラドーナのチーム」なのである。
まるで脱水機の中で振り回されながら生きていたようなものだった
マラドーナの人生は波乱に満ちていたが、その中でもナポリに在籍していた約7年間は特に激しく、ピッチの中でも外でも、彼自身にも周りにも、多大な影響と強烈なインパクトを残した時期だった。あの時、マラドーナは母国でもナポリでも栄冠をもたらして「神」となり、長年連れ添ったパートナーのクラウディアとの間に2人の娘を授かった一方、愛人クリスティーナ・シナグラの出産や地元マフィアとの避けられない交流、コカイン中毒との戦いに苦しんだ。……
Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。