【インタビュー】イケル・ムニアイン:アスレティックはロマンティック
先輩に学び、経験を積み、2度の大ケガにも負けず笑顔を取り戻し、今ではキャプテンマークを巻いて愛するクラブを牽引している。2018年11月には現代のプロサッカー界では異例と言える 契約解除条項なしの新契約を結び、忠誠を誓った男にとって、アスレティックは世界で唯一の「僕の居場所」だ。(2020年2月19日収録)
いたずら小僧も大人に
落ち着いていくのは人生の掟。もちろん火花は維持しているよ
── 現在のチーム状態をどう見ていますか?
「すごく良いと思うよ。特にコパ・デルレイは(インタビュー時点で)準決勝に進んでいて、アスレティックとともに優勝する夢が広がっている。リーガの方は目標である上位に入ることができていない(同時点で10位)。2つのコンペティションで高いレベルを維持するのはとても難しい」
──週2回ペースで試合をこなすのはどうですか?
「肉体的にも精神的にも厳しいものだ。今日のサッカーは要求水準が高く、試合でもハードワークをしないと勝てない。足に疲労が蓄積するのは避けられない。だから試合に備える練習をするのはもちろんだけど、同時に体調を維持するために休むこと、栄養管理をすることも重要になってくる。そうしてなるべく良い状態で試合を迎えられるように心がけている」
── 昨日と一昨日は2日間の休養でしたが、何をしたのですか?
「週2回ペースで試合をしてきて本当に久しぶりに2日間連続で休めた。これまでできなかったこと、家族と食事をし、奥さんと子供たちとの時間を作り、そしてもちろんゆっくりしたよ」
── お子さんは何人ですか?
「2人、5歳の男の子と1歳の女の子だ」
── 食べてしまいたいくらい可愛い、と言われる年齢ですね。
「ほんと、食べたいくらいだよ(笑)。僕の人生にはなくてはならない存在だし、彼らが日々のやる気をくれるんだ」
── あなたは昔、「バート・シンプソン」(アニメ『ザ・シンプソンズ』のシンプソン一家のいたずらっ子)というあだ名でしたよね?
「若い時はそう呼ばれていたよ。たぶん、いたずら好きで大胆で落ち着きがないとか、そういうところが似ていたんだと思う。髪型も金髪のツンツン頭だったしね」
── でも、それはもう過去のことですよね?
「歳も取ったし大人にもなった。バート似というジョークは良い思い出として取っておくよ」
── 髭も生やしましたしね(笑)。
「そう。ルックスも完全に変えたからね(笑)。何かを変えるのは好きなんだ」
── 成熟は落ち着きをもたらす?
「そう。歳を重ね経験を積んで、物事に対して別の見方をするようになる。落ち着いていくのは人生の掟のようなもんだよ」
── でも、グラウンド上での火花というのは維持されているのでしょう?
「もちろん火花は維持しているよ。グラウンドに立った時はこれまでと同じような選手であろうと常に心がけている。もっとも、1部リーグで10年間プレーを続けることで学んだことを加えた今は、スポーツ的にもキャリア最高の時を過ごせていると思っている」
── 間違っているかもしれませんが、私にはあなたのプレースタイルが変わったように見えます。以前はサイドで突破、ドリブルをするウインガーというイメージでしたが、今はもっと真ん中でのプレーですよね?
「そうだ。最初の頃に要求されたのは、サイドで1対1を仕掛けてドリブルで抜いてセンタリングをする、というものだった。今は真ん中のポジションでボールをもらい、反転し、パスを出し、エリア内に侵入し、ゴールを狙う、というものになっている。少しポジションが変わって役割も少し変わったんだ。でも、自分のサッカーであるドリブルで打開し仲間にボールを渡す、というのは貫こうと思っている」
── 走るのはイニャキ(・ウィリアムス)に任せておけばいいですよね?(笑)
「そうそう(笑)。僕がボールを受けてイニャキが走る! それがウチの必殺技だよ!(笑)」
── 2月9日のソシエダ戦(リーガ第23節)では、あなたは過ちを犯しましたよね? あのタックルのことですが。
「ラ・レアルとのバスクダービーは特に熱が入る。試合終了間際で2-1で負けていて、グラウンドにいる者ならわかってくれると思うけど、焦っていたし脈拍も速まっていてボールに足を入れるのが遅れた。激しいプレーになってレッドカードをもらった。サッカーでは時どき起こってしまうことだ」
── あの時、印象的だったのは、退場後にカッカしていたあなたがクラブの誰かに諭されてすぐに我を取り戻して相手選手に謝ったことです。
「サッカーではあることだよ。ファウルを犯した瞬間にハードだったと気が付いたし、相手のミケル・オヤルサバルは若手でよく知っている選手だ。彼の状態を気にしたのはケガをさせたくなかったから。ボールを間にした奪い合いで足を入れるのが遅れた。だけど、相手には絶対にケガをさせたくない。ナーバスになっていたけど、アシスタントコーチと話をしたことですべてが変わった。両手を広げて謝り、幸いにも何もなかった」
── バスクのチーム同士のライバル心というのはちょっと他とは違うように見えます。私はセビージャに住んでいたのですが、あそこは“殺るか殺られるか”という感じでした(笑)。ここはそれほどではないですよね?……
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。