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ここがヘンだよ、アルゼンチン人。“外国人の視点”で弱点を探る

2019.07.16

芸術としてのアルゼンチン監督論 Vol.10

2018年早々、一人の日本人の若者がクラウドファンディングで資金を募り、アルゼンチンへと渡った。“科学”と“芸術”がせめぎ合うサッカー大国で監督論を学び、日本サッカーに挑戦状を叩きつける――河内一馬、異国でのドキュメンタリー。

 褒め過ぎたのかもしれない。アルゼンチン人を。私は、ここに外国人として暮らしている身として、彼らの性質、この国の特徴を注視する必要があった。その代償として、アルゼンチン人が持っている良い部分ばかり見てしまう傾向があったことは、おそらく否定できない。そしてそれを、決して悪いことだとは思っていない。特にサッカーにおいて、この国には長い歴史があり、そして日本よりもはるかに結果を出しているのだ。彼らの良いところを探して何が悪いというのか。と思っていたのだけど、さすがに褒め過ぎていたのかもしれないので、ここでいったんバランスを取りたいと思う。

「ピッチでマイナスに働く」行動集

 10時開始の練習が雨で中止になったことを12時にお知らせしてくるところとか、床屋に行って髪を切ったら全身髪だらけになるところとか、平気で授業に先生が来ないことがあるとか、そういうことを言い出すとキリがないから、今回はサッカーの試合中、ピッチでマイナスに働くことが多いアルゼンチン人の行動について書いていこうと思う。もし読者の中に、近々アルゼンチン人と対戦しなければならない方がいれば、ぜひ参考にしていただきたい。ゲームに勝つには、相手の弱みを探る必要がある。

 日本と同じように、もしくはそれ以上に、街にはいくつものフットサルコートが点在している。1時間に1人当たり数百円を払えば、いつでも自由にサッカーができる。ほとんどの施設の中には3~5個くらいのコートがあって、6対6くらいがベストの大きさだろうか。私もたまに、友人たちとボールを蹴っている。時には夜の23時からプレーすることがあって、最初は頭がおかしいのかと思ったが、今でも頭がおかしいのかと思っている。日本と違うところがあるとすれば、1時間の利用時間を1分でも無駄にしてはなるまいと、休憩なしで1時間プレーをすることである。これまで多くの異なるグループの友人とプレーをしたが、例外なく休憩がないことを考慮すれば、おそらくこれが普通なのだろうと思う。最初は頭がおかしいのかと思ったが、今でもしっかり頭がおかしいと思っている。

 その国のサッカーを知るには草サッカーを見ると良い、とはよく言われたものだ。おじさんが休日にやるサッカーや、若者がやっている独立リーグを見ると、その国の人々の特質がよくわかるように思う。だから私は、友達とサッカーをする時も、おじさんたちとサッカーをする時も(ちなみにこの国のおじさんたちは本当にサッカーがうまい)、よく彼らを観察し、観察し過ぎてプレーに集中できずたまに怒られる。アルゼンチンの人々にとって、サッカーとはあくまでも本気(ガチ・死ぬ気・絶対勝つ)でやるものであって、たとえそれが友人同士の遊びであっても、そこに妥協は存在しない。私が日本人を発揮して「3-0とかちょっと、あれじゃない、つまらなくない? 空気悪くない?」と思っているところ、チームメイトはあと5点くらい取る顔をしている。

 いつでもどこでも負けたくないがために、その反動として、プレーがうまくいかない時や負けている時、日本語で言う「不貞腐れる」ようなやつが必ずいる。そうなると、もうどうすることもできないのだ。「機嫌が悪くなっている」という言葉の方が正しいのかもしれないが、黙り込んで自分以外の何かのせいにし始めるやつもいれば、ファウルばっかりになるやつもいれば、仲間と喧嘩するやつもいる。

 このどうにもならない「気性の荒さ」ともいうべきものは、アルゼンチン人の試合を見たことがある人なら、少なからず心当たりがあるのかもしれない。簡単にいうと、日常生活もサッカーも同様に、ものすごくキレやすい。例えばロシアW杯のオタメンディを見ても、ファウルの数が増え、相手と小競り合いをし始めると、そこから精神やプレーが落ち着くことは一向にない。先日のコパ・アメリカでブラジルに負けた時、普段穏やかな友人は机を壊し(そして自ら修理し)、もう一人はピザをテレビに投げつけた(そして自ら掃除した)。

例として名前の挙がったオタメンディはロシアW杯GS第2節のクロアチア戦(写真)、ラウンド16のフランス戦で相手と小競り合いを起こしイエローカードをもらってしまった

 技術が低い試合になればなるほど、その傾向は強くなっていくように思う。私が初めて11人制のサッカーを友人とした時は、もう、どうしようもない状態になった。11人中10人(私を除く)が機嫌を損ね、ファウルの数が大幅に増える。私はファウルばかり繰り返す彼らに対して「サッカーしようよ」とイライラするが、彼らにとってはファウルをして相手を止めようとしない私こそが、「サッカーしようよ」である。「ただで負けるなよ」と、そう言われているような気がした。

「荒れたフットボール」が育むもの

 さて、冒頭で「アルゼンチン人の悪いところ」と言っておいて恐縮だが、このような特徴が、果たして本当に「悪いところ」と言えるのだろうか、と考えてみてほしい。

 その場面だけを見れば確かにマイナスに働いていることが多いかもしれない。ただ、サッカーというゲーム全体を長い時間軸で見た時、私には決して「絶対悪」ではないように思える。彼らのサッカーに対する考え方、そして国民性を見ていると、なんと素直で自然な反応なのだろう、と思う。素直に感情を表現することを忘れてしまいがちな我われからすると、アルゼンチン人の姿はあまりにも醜く、そしてまた美しい。

 ここで大事なのは、感じていることをストレートに表現するような選手たちを、うまく束ねる力を持った優秀な選手(リーダー)や監督、指導者がいるということだ。逆を言えば、難しい性格の選手たちを勝利に向かわせることができなければ、おそらくこの国でリーダーを務めることはできない。日本人の集団を束ねるのとは、また違う能力が必要になってくるだろう。この環境で育つリーダーは真のリーダーで、この「荒れたフットボール」の中で育つテクニシャンは、本物のテクニシャンなのかもしれない。

 結局褒めてしまう形になってしまったから、最後に1つ。人が寝ている時に音楽を爆音で流すのだけは、本当に良くないぞ。

芸術としてのアルゼンチン監督論


Photos: Getty Images

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河内 一馬

1992年生まれ、東京都出身。18歳で選手としてのキャリアを終えたのち指導者の道へ。国内でのコーチ経験を経て、23歳の時にアジアとヨーロッパ約15カ国を回りサッカーを視察。その後25歳でアルゼンチンに渡り、現地の監督養成学校に3年間在学、CONMEBOL PRO(南米サッカー連盟最高位)ライセンスを取得。帰国後は鎌倉インターナショナルFCの監督に就任し、同クラブではブランディング責任者も務めている。その他、執筆やNPO法人 love.fútbol Japanで理事を務めるなど、サッカーを軸に多岐にわたる活動を行っている。著書に『競争闘争理論 サッカーは「競う」べきか「闘う」べきか』。鍼灸師国家資格保持。

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