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「誰もうまく付き合えていない」VARと“ハンド問題”を考える

2019.05.22

映像でプレーを確認するマヌエル・グラフェ主審

ドイツサッカー誌的フィールド

皇帝ベッケンバウアーが躍動した70年代から今日に至るまで、長く欧州サッカー界の先頭集団に身を置き続けてきたドイツ。ここでは、今ドイツ国内で注目されているトピックスを気鋭の現地ジャーナリストが新聞・雑誌などからピックアップし、独自に背景や争点を論説する。

今回のテーマは、シーズンを通して各国で議論を呼び続けたハンドのジャッジについて。VARによる判定の複雑化や競技規則改訂より来季から施行される新ルールに対する反応、そして問題の根本を探る。

 CLラウンド16、マンチェスター・ユナイテッド戦第2レグのアディショナルタイム。パリ・サンジェルマンの敗退を決めたのがピッチ上にいない審判であったことに憤慨したネイマールは、Instagramに「屈辱だ」と投稿しVARを罵った。

 PSGのDFプレスネル・キンペンベの腕にまったく“害のない”相手のシュートが当たりCKに。当初はそのままCKでプレーが再開するかと思われたが、VARが介入しPKという判断が下される――今日のサッカーにおける最大の問題の一つが、端的に現れたシーンだった。

18-19 UCLラウンド16パリ・サンジェルマン対マンチェスター・ユナイテッド戦第2レグ、議論を呼んだキンペンベのハンドの場面
議論を呼んだ、PSG対マンチェスターU戦でのキンペンベのハンドのシーン

VARの問題、ではない

 審判たちは、ハンドとの上手な付き合い方を見つけられないのだ。そして、VARはこの問題を解決するどころか、かえって難しくさえしている。

 ピッチにいる審判の判定が“ブレる”くらいなら、まだ許すことができた。だが、映像を観ているVAR担当審判が似通ったシーンで違ったジャッジを下すのは、非常に腹立たしい。

 「この議論は疲れるどころか、耐えがたくなる寸前だ」と『ベストドイチェ・アルゲマイネ』紙。ブンデスリーガでは進歩らしい進歩がないまま、この問題を2年も抱えてきている。

 なお、昨年のロシアW杯決勝フランス対クロアチア戦でのペリシッチのハンドの時も、VARは絶対に介入してはいけなかったであろう。

ロシアW杯決勝フランス対クロアチアで、VARによりペリシッチのハンドと判定された場面
ロシアW杯決勝、VARによりペリシッチのハンドと判定された場面。1-1の状況で、両チームの命運を大きく左右するジャッジとなった

 この難題について、「ビデオ判定ではなく、ハンドの定義それ自体がこのスポーツ最大の問題であり、毎週のように観客と監督たちを狼狽(ろうばい)させる」と指摘するのは『南ドイツ新聞』だ。莫大な額の金に名誉、将来の懸かる重要な試合の一場面を“一瞬で”判断しなければならないというのは、審判にとって過大な要求となることしきりである。そして、その議論の多くは「選手が故意に手や腕でボールに触ること」を罰するハンドリングにまつわるものだ。

 事態は急を要することを国際サッカー評議会(IFAB)も認識した。ゆえに、来シーズンからの競技規則改訂に踏み切ったのだ。

 新ルールでは、腕または手が肩より高い位置でボールに触れた場合はほぼハンドとなる。例外は、ボールがその前に身体の別の場所に当たった時、または相手によって故意にボールへと触らせられた時、避けようとして腕が肩より上に上がってしまった時。また、攻撃側が有利になる場合、故意でなくともファウルとなる。例えば、偶然に手や腕で得点を決めてしまった時やビッグチャンスに繋がった時などが該当する。逆に、守備側の選手が故意でないハンドによって有利になる場合にはファウルとならない。

 しかしながら、この改訂に対する反応は芳しいものではない。

 「今回の変更がさらなる議論を導くであろうことは、現時点ですでに明らかだ……これらのルールはプロサッカーはもちろんのこと、特にユースの試合、アマチュアリーグ、世界の草サッカーにおいて、判定をめぐる争いを増やすことになるだろう」と『FAZ』紙が推測すれば、元国際審判のウース・マイヤーは「故意のハンドの明文化を試みる一方で、選手の自然な動きの流れを見分ける審判の目を養う訓練を怠ってきた」と批判的な見解を示す。

「故意か否か」が現場の主張

 審判とIFABは致命的に道を誤り、自分たちの判断力や経験への信頼を放棄してしまった。その何よりの証左が、故意であるか否かの判断基準を示す具体例の列挙である。「手または腕がボールに向けて動いているか、あるいはボールが手または腕の向きに動いていないか」「ボールが手か腕に当たった選手と、その前に触れた選手との間の距離はどのくらいか」「ボールと接触した手または腕が、競技者の身体から張り出していたか(=故意を示す)」「ボールに手か腕で触った選手は、自分の身体の及ぶ範囲を広げたか」……。

 しかし、観客はもちろんエキスパートでさえ、これらの文言のせいで核心が“故意性の有無”であることを忘れてしまうであろう。「これらの文言で明確になることは何もない。私からすれば、かえって事を複雑にしているように思える」というのが、W杯やEUROなど800試合以上の試合を裁いた元審判であるマイヤーの見解である。

 VARの導入により映像を見て判断できるようになったことは、審判の判断に“統一感に欠け、基準となる原則がない”印象を強めることとなった。キンペンベやペリシッチのように、まったく故意的でない接触がハンドとされる。そして、この2つのケースにおけるもう一つの“ミス”、それがVARの介入である。審判がピッチの上で判断した結果であれば、まだ受け入れられたのだが。

 新しい規則が判定を明確にする場合もあるだろう。だが、現場の多くの人間は、IFABから別の指針が示されることを望んでいた。

 「故意であるかそうでないかで決定をすべきだ」

 こう明言するホッフェンハイムのナーゲルスマン監督をはじめ、多くの監督や選手がこう考えている。100年以上前から存在するこのルールのルーツに戻る方が、意義があったのではないか。しかし残念ながら、多くの審判には、選手たちの動きの裏にある動機を感じ取る十分な洞察力がないのだ。

 思わしくないのは審判のハンドとの付き合い方である。にもかかわらずVARを疑問視すると、完全に間違った方向に向かってしまう。

 「VARは素晴らしい。ただ、誰もそれとうまく付き合えていない」というのが、『ケルナー・シュタットアンツァイガー』の出した結論である。

Translation: Takako Maruga
Photos: Bongarts/Getty Images, Getty Images

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ダニエル テーベライト

1971年生まれ。大学でドイツ文学とスポーツ報道を学び、10年前からサッカージャーナリストに。『フランクフルター・ルントシャウ』、『ベルリナ・ツァイトゥンク』、『シュピーゲル』などで主に執筆。視点はピッチ内に限らず、サッカーの文化的・社会的・経済的な背景にも及ぶ。サッカー界の影を見ながらも、このスポーツへの情熱は変わらない。

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