レッドブル・グループのネットワークを活用し目覚ましい進歩を遂げるRBライプツィヒ。そんな彼らの前に、規則の壁が立ちはだかった。だが、表向きには規則に従いつつも、裏ではあの手この手を駆使した拡大戦略を進めている。
今季のELでは歴史的なダービーが行われた。その名は「缶ダービー」(Dosen-Derby)。飲料メーカー「レッドブル」社が創立した2クラブ、レッドブル・ザルツブルクとRBライプツィヒがGSで同組になったのだ。前者は2005年にレッドブルがオーストリアの名門ザルツブルクを買収して生まれ、後者は2009年、同社がドイツ5部のクラブの経営権を手にして創り出された兄弟クラブ。昨年9月、ついに公式戦での初対決が実現した(壮絶な打ち合いの末にザルツブルクが2-3で勝利)。
ただ皮肉なことに、その対決実現のために、彼らは1度袂を分かたなければならなかった。UEFAが主催する大会では、同一会社が所有するクラブは1つしか出られない、という規定があるからだ。
ラングニックは両クラブのSDを兼任していたが、2015年にRBライプツィヒに専念することを発表。一方で、ザルツブルクの役員からレッドブルの人間が総退任。同社はザルツブルクのスポンサーの一つという立場に変更された。つまりRBライプツィヒの親会社はレッドブルのままだが、ザルツブルクでは広告主になっているのだ。
また、レッドブルは保有する4クラブ(RBライプツィヒ、ザルツブルク、NYレッドブルズ、レッドブル・ブラジル)を統括するために、社内に「Head of Global Soccer」という役職を設けていた。過去にはディトマール・バイアースドルファー、ジェラール・ウリエが務め、2017年までRBライプツィヒのオリバー・ミンツラフCEOが兼任していた。だが、これもUEFAのルールで問題になる可能性があったため、2017年4月、ミンツラフはRBライプツィヒに専念することを発表。同年にはUEFAの指示により、ザルツブルクの胸ワッペンの牛が2頭から1頭に変更になった(欧州カップ戦のみ)。とにかく両クラブの独立性を高めるために、とことん分離が図られたのだ。
「グループの長」復活の動きも
しかし、あくまでこれは建前の話だ。“裏”では関係が続いている。両クラブで指導者と選手の育成で協力し合う契約が結ばれ、UEFAもそれを承認。法的には独立関係にあるが、依然として兄弟なのである。
例えば、RBライプツィヒの大口スポンサーであるジュース会社「ラウヒ」の社長はザルツブルクの役員を務めている。そして何より移籍は相変わらず活発で、この冬、ハイダラとボルフ(加入は来季)がザルツブルクからRBライプツィヒへ。両者間の移籍はこれで27例目になった。
レッドブルの4つのクラブで戦術が共有されており、選手の適応はスムーズだ。DFベルナルドはレッドブル・ブラジル→ザルツブルク→RBライプツィヒという道筋をたどり、昨夏、移籍金900万ポンド(12億6000万円)でブライトンへの移籍を果たした。
ザビツァーの獲得時には、グループのメリットを生かした。2014年当時、このMFはラピド・ウィーンに所属し、国内間には高額の移籍金が設定されていたが、国外への移籍には200万ユーロ(2億5000万円)しかかからなかった。そこでまずRBライプツィヒが安価に獲得し、すぐさまザルツブルクへレンタルするという“トリック”を使った。RBライプツィヒへの移籍の確約を、ザルツブルク加入の条件にする代理人も出始めているという。
現在、RBライプツィヒのスカウト責任者は、サウサンプトンやトッテナムでスカウトとして活躍したポール・ミッチェルだ(デレ・アリやトリッピアーを発掘)。空位になっている「Head of Global Soccer」に彼を抜擢し、再びグループ内の情報共有を強める計画がある。
選手発掘の競争が熾烈になっており、情報がますます価値を持つ時代になった。 本音と建前を使い分け、レッドブル帝国の領土拡大は続きそうだ。
Photos: Bongarts/Getty Images, Getty Images
Profile
木崎 伸也
1975年1月3日、東京都出身。 02年W杯後、オランダ・ドイツで活動し、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材した。現在は帰国し、Numberのほか、雑誌・新聞等に数多く寄稿している。