ロナウド獲得、もう一つの狙い。CR7とユベントスのブランド戦略
ニューヨークに本拠を置く世界的なブランド開発会社「インターブランド」が手がけたロゴをイメージアイコンとして、グローバル市場に「JUVENTUS」というブランドを再定義する――サッカー界では前例がなかった斬新なブランド戦略の仕上げとして獲得されたのが、世界一のSNSフォロワー数を持つ「クリスティアーノ・ロナウド=CR7」だ。33歳に巨額の投資を行った驚きの移籍オペレーションの、真の狙いに迫る。
ユベントスがクリスティアーノ・ロナウドの獲得を本気で狙っている、というニュースが流れたのは、ロシアW杯のまっただ中、昨年6月末のことだった。偶然か必然か、それと相前後してラウンド16でポルトガルがウルグアイに敗れてロナウドのW杯は終わり、7月に入ると移籍報道は一気に過熱していくことになる。
移籍が正式発表されたのは7月10日。アンドレア・アニエッリ会長が自ら交渉の詰めを行うため、急遽プライベートジェットを飛ばしてギリシャでバカンスを送るロナウドのもとに駆けつける、という手の込んだ演出でまる1日マスコミの注目を引き付けておいて、その日の夕方にまずレアル・マドリーが退団(とユベントス行き)を発表、ほどなくしてアニエッリ会長、ロナウド、代理人ジョルジュ・メンデスが3人並んでシャンパングラスを掲げ交渉成立を祝っている写真がマスコミに出回り始める。そして数時間後に満を持してユベントスが、「CRIS7IANO」というロゴが作り出す白黒ストライプをバックに、おなじみ仁王立ちポーズのロナウドがシルエットで浮かび上がるという、クラブのロゴと連動したグラフィックとともに、オフィシャルサイトとSNSで移籍の成立をアナウンスした。
@cristiano https://t.co/88xFtX3Xw4 #CR7Juve pic.twitter.com/nnG0N4074U
— JuventusFC (@juventusfc) 2018年7月10日
455億円はピッチ上では回収不可能
この一連の動きを見ていて強く感じたのは、ユベントスにとってロナウドの獲得は何よりもまず「マーケティング・オペレーション」であるということだった。
もちろん、今月34歳を迎えたとはいえロナウドは今なお毎年40ゴールを量産する世界最高レベルのストライカーであり、アニエッリ会長以下すべてのユベンティーノにとって悲願であるCL制覇に向けた「ジグソーパズルのラスト1ピース」になり得る存在だ。ピッチ上のパフォーマンスに対する大きな期待があることは疑いない。
しかし、たとえ天下のロナウドとはいえ、キャリアのピークを過ぎて衰退局面に入ろうとしているプレーヤーに、総額3億5000万ユーロ(約438億円)を上回る巨額の資金(移籍金1億2200万ユーロ+税込年俸5500万ユーロ×4年)を投下するというのは、純粋にピッチ上のパフォーマンスだけに対する投資としては、明らかに常軌を逸している。移籍金の減価償却と毎年の年俸を合わせて、ユベントスはロナウドのためだけに年間9000万ユーロ弱、売上高のおよそ4分の1にもあたる金額を費やす計算になるのだ。
ロナウドがフィジカルコンディションの維持に偏執的なまでのこだわりを持ち、多大な時間を捧げていることはよく知られた事実だ。しかしそんな彼とて、運動能力的な衰えや長年酷使された肉体の摩耗による故障という自然の摂理から逃れることは不可能だ。契約は4年だが、シーズンを通してトップレベルのパフォーマンスを期待できるのは35歳まで、つまり2年というのが常識的な判断だろう。もし純粋に戦力的な投資だとすれば、この2年間でユーベがCLタイトルを獲得できない限り、この投資は失敗だという結論にならざるを得ない。スクデットやCLベスト4ならば、ロナウド抜きでも手に入れることが可能なのだから。
さらに言えば、同じ1億ユーロの移籍金を支払うにしても、例えばそれが25歳のポール・ポグバならば、2、3年後にはそれを大きく上回る金額で売却できるだけの「資産価値」が残る。しかし36歳になったロナウドにつく値段は、1億ユーロどころか1000万ユーロがいいところだろう。つまりピッチ上のパフォーマンスを除いた選手としての「資産価値」は実質ゼロということだ。
これだけ不利な条件がそろっているにもかかわらず、3億5000万ユーロという巨額を投じる決断を下したのだとしたら、それはプレーヤーとしての戦力的/資産的な価値だけでなく、ピッチ外で様々な利益をもたらしてくれる商業的な価値までも視野に入れた投資であると考えなければ、話の辻褄が合わない。実際、ピッチ外でのロナウドは、サッカー、そしてスポーツという枠を超えて、ハリウッドスターやポップシンガーと肩を並べるだけの知名度とアピールを備えた世界的なスーパースターでありセレブリティである。この巨額の投資を「正当化」する理由があるとすればむしろそちら、セレブリティとしての商業的価値の方にあるのではないか。「マーケティング・オペレーション」という言葉を使うのはそういう意味においてである。
最も先進的なブランド戦略
かつて、1990年代のセリエAでは、ジェノアの三浦知良獲得やペルージャの中田英寿獲得がそう呼ばれたものだ。しかしそれは、戦力になるかどうかわからないマイナーカントリーのスタープレーヤーを、出身国からのスポンサーやファンを呼び込むという付加価値を当てにして獲得してみる、という程度の試みでしかなかった。それと比べると、今回ユベントスがロナウド獲得によってスタートさせたプロジェクトは、まったくの別世界と言っていい。
ユベントスは、ヨーロッパの頂点を争うエリートクラブの中にあっても、フットボールクラブという枠を越えたエンターテインメント企業への成長・脱皮を目指したビジネス展開に最も自覚的であり、またその点において最も先進的なクラブである。それを象徴するのが、昨シーズンから導入した新しいロゴマークによる徹底したブランドマーケティング戦略だ。
クラブのシンボルマークを「エンブレム=紋章」ではなく「ブランドロゴ」として再解釈したユベントスの新ロゴマークについては、以前詳しく取り上げたのでここでは触れない。重要なポイントは、このブランドマーケティングの背景には、プロサッカーチームとしての活動を「コアビジネス」としながら、チームがピッチ上のパフォーマンスを通して確立し高めた知名度や人気、イメージを武器として、「JUVENTUS」ブランドの様々な商品・サービスを展開していこうという、新しい企業戦略があるという点だ。イタリアの「ローカルなプロサッカークラブ」から、サッカーを軸として様々なビジネスを展開する「グローバルなエンターテインメントカンパニー」に脱皮するというのが、ユベントスが描く将来的なビジョンであり、ロゴマークを核とするブランドマーケティングはそのための重要なツールなのだ。
その観点に立って考えると、ロナウドという存在は、ユベントスというブランドの商業的な価値を高め、マーケットを世界へと拡げていく上で、これ以上ないほどに理想的な起爆剤だと言える。
SNSで可視化されたクラブの価値
ユベントスは、イタリアでは他を寄せ付けない絶対的なリーダーであり、ヨーロッパや南米でも名門クラブとして認知・評価されているが、アジアや北米を含むグローバルマーケットにおいては、レアル・マドリー、バルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドといったスーパーメガクラブに、その知名度と人気において大きく後れを取っている。それを象徴的に示すのが、Instagram、Twitter、Facebookといういわゆる3大SNSの総フォロワー数で、上に挙げたビッグ3に大きな差をつけられているという事実だ。スペイン2強はそれぞれ1億8000万人強、ユナイテッドも1億1000万人のフォロワーを抱えているのに対し、ユベントスは5000万人弱に過ぎない。
ところがロナウドは、Facebook1億2240万人、Instagram1億2640万人、Twitter7320万人、合わせて3億2200万人という世界最大級のフォロワーを持っているのだ。これはネイマールやメッシと比べても1.5倍以上という圧倒的な数字である。NBAのスーパースターであるレブロン・ジェームスのフォロワーが計1億200万人、世界的なポップスターのジャスティン・ビーバーのフォロワーが2億8500万人と言えば、その凄さがわかるだろうか。しかもユベントスのフォロワーがイタリアと南米に偏っているのに対し、ロナウドのフォロワーはアジアや北米も含む世界中に満遍なく広がっている。ロナウドを獲得したことで、ユベントスはこれまで手が届かなかったグローバルマーケットに、一気にリーチできる可能性を手に入れたというわけだ。実際Instagramのフォロワー数を見ても、2月時点では860万人だったものが、ロナウド加入後の7月末時点で、一気に1345万人まで増えている。これだけの短期間で1.5倍増というこの数字を見ても「ロナウド効果」のすさまじさがわかる。
ユベントスが描いているシナリオは、「JUVENTUS」というブランドに「CR7」という大きな付加価値をつけることによってその商業的価値を大きく高め、マーチャンダイジングやスポンサーといったグローバル市場をターゲットにしたビジネスを成長させ、それによって売上高を大きく伸ばしてライバルたちとの距離を縮め、同時に巨額の投資も回収する、というものだろう。事実、ロナウドの獲得はSNSのフォロワー数だけでなく、ユベントスの株価までも大きく押し上げた。噂が上った7月2日時点で0.666ユーロだったものが、入団発表直後の7月22日には0.887ユーロと、33%もの値上がりを見せたのだ。これはロナウドがユベントスにもたらすであろう成長に、株式市場が大きな期待を寄せていることを証明する事実だ。
『ロナウド・エコノミクス』による予測
それでは、ロナウドは具体的にどれだけのビジネスをユベントスにもたらし得るのだろうか。世界4大監査法人の1つであり、「フットボールマネーリーグ」でおなじみのデロイトに対抗して近年フットボールビジネス分野に力を入れているKPMGが発表したレポート『ロナウド・エコノミクス』は、様々な角度からそれを試算している。
入場料収入とブロードキャスティング収入が頭打ちになっている現在、メガクラブの売上高を左右する最も大きな要因は、スポンサーとマーチャンダイジングを中心とするコマーシャル収入である。16-17シーズンの数字を見ても、スペイン2強やユナイテッドがここで3億ユーロ前後の売上高を稼ぎ出しているのに対し、ユベントスのそれは1億2000万ユーロと3分の1強に留まっている。
象徴的なのがその中心を占めるキットスポンサーと胸スポンサーの契約金額。上に挙げたビッグ3はそれぞれ1億4000~1億5000万ユーロだが、ユベントスはアディダス(キット)とジープ(胸)を合わせて4000万ユーロ止まりなのだ。しかしKPMGは、ロナウドがもたらす知名度と注目度、そしてその結果としてのブランド価値上昇によって、ユベントスは向こう3年でコマーシャル収入を7500万ユーロ~1億ユーロ上乗せすることができるだろう、と試算している。マーチャンダイジングの主力商品であるレプリカユニフォームの売上だけでも、19-20シーズンには現在の2000万ユーロが1.5倍から2倍の数字に膨らむだろうという見通しだ。3年後にはコマーシャル収入だけで投資が回収できるレベルまで売上高が伸長する、という見通しになるわけだ。
もちろんこれは、最も楽観的な見通しに立った「バラ色の未来像」であり、現実は様々な要因によって少なからず左右されることになる。その最大のファクターが、ロナウドがピッチ上で発揮するパフォーマンスであることは言うまでもない。ロナウドの獲得がユベントス・ブランドの商業的価値向上に繋がるためには、ピッチ上での活躍が大前提となる。その点で何らかの勝算がなければ、商業的な目論みは文字通り「獲らぬ狸の皮算用」で終わるしかない。
チームの残り10人が彼にゴールを決めさせるためにプレーすることを要求し、それに対して自らのゴールによって勝利をもたらすことで応えるというロナウドのプレースタイル(というよりもストライカーとしてのありよう)は、絶対的な個の力よりも11人全員がチームのために献身することによって勝利を追求するという、ユベントスの伝統的なクラブ哲学、そしてそれに基づいて構築されてきた近年のチームのあり方とは一線を画すものだ。その意味でアレグリ監督は、新シーズンに向けたチーム構想をゲームモデルのレベルから練り直す必要に迫られていると言ってもいい。それがどんな形に結実し、どのように機能するか。今シーズンの「ピッチ上の」ユベントスを見る上で最も重要なポイントはそこだろう。しかし同時に、ピッチ上のパフォーマンスがピッチ外のビジネスとどのように結び付き、影響し合って進んでいくのかというのも、極めて興味深い視点であることは間違いない。
※記事内のデータは、断りのない限りロナウドが移籍した2018年7月時点のもの
Photos: Getty Images
Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。