本田圭佑のFKを、複雑な思いで見つめた夜。「悔しいけど、誇らしい」そのプレー
私が目撃した、チャンピオンズリーグ名勝負#3
欧州最高峰のコンペティションとして、これまで幾多の伝説をサッカー史に刻んできたUEFAチャンピオンズリーグ。その名勝負誕生の瞬間にスタジアムで立ち会った『footballista』執筆陣が、当時の興奮や感動を振り返る。
木村浩嗣氏が見届けた名勝負
09-10 セビージャ vs CSKAモスクワ
本田圭佑のFKがGKパロップの手を弾いてゴールに吸い込まれた瞬間の気持ちをどう表現すれば良いのだろう?
この夜エスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスファンの記者席に集まって来ていた日本の同僚たちから、「ウォー」とも「やったー」ともつかない歓喜の声が上がったことはよく覚えている。だが、私は“本田番”の記者ではなくセビージャ在住の記者であり、ベンチで采配を振っていたセビージャのマノロ・ヒメネス監督にもインタビューした経験もあった。特派員兼雑誌編集長としてセビージャに移り住んで1年3カ月が経ち、クラブ史上初のCL決勝ラウンド1回戦突破を目撃するはずの試合だったのだ(その後、今に至るまでこの悲願は達成されていない)。
私の取材するチームに本田がやって来た、というスタンスだったから、いくら同じ日本人が活躍したからといっても手放しに喜ぶわけにはいかない。あの夜スタジアムで、本田の決勝ゴールを複雑な思いで見つめていた、唯一の日本人であったことを告白しなければならない。
マノロ・ヒメネス監督は致命的な采配ミスをいくつも犯した。そもそも第1レグ、アウェイのモスクワで先制しながらアクセルを緩めて追いつかれた(1-1)ゲームプランが気に入らなかった。“アウェイでは引き分けでOK”というのは当時広まっていた大いなる誤解だった。アウェイゴールに2倍の価値があるのだから敵地でこそ追加点を取りに行くべきだったのだ。そうしなかったから、この夜CSKAに先制されると同点でも延長戦で、追加点を奪われたら“倍返し”しないと敗退、という窮地にいきなり追い込まれることになる。カヌーテとルイス・ファビアーノの強力2トップの[4-4-2]ではなく、カペル、ペロッティ、ヘスス・ナバスのウインガー3人を2列目に並べた[4-2-3-1]という、見え見えの“0-0逃げ切り策”も大外れ。翌年ウナイ・エメリ監督が就任してからのセビージャはEL3連覇を達成し欧州カップ戦のスペシャリストに成長するのだが、当時はまだ欧州の舞台では受け身の戦い方をするクラブに過ぎなかった。このCL敗退のショックで1カ月半後にマノロ・ヒメネス監督は解任されてしまうのだった。
“オンダ”から“ホンダ”に
歴史には光と影がある。日本人にとっては記念すべき試合でも、スペイン人の立場から見れば苦々しく忘れたい記憶なのだ。だが同時に、セビージャを倒したのが同じ日本人だったことは誇りに想っている。
当時の戦評には、「トラップの瞬間にボールを動かされてかわされるので、マーカーのゾコラは本田には飛び込んでいけなかった。26分にスタンケビシウスのクリアミスを拾ってネチドとのワンツーで飛び出しGKとの1対1を作り出したプレーや、先制点の場面でのスローインを素早くネチドへ預け、ドラグティノビッチが詰めてくる前に勝負をさせたプレー。自分が仕掛けても人を使っても、いずれも選択のセンスがいい」と書いている。
世界の超一流が集まるUCLの舞台では、本田は技術面でもスピード面でも飛び抜けた選手ではない。だが、場面場面で求められるプレーを見抜いて実行するセンス、戦術的理解力が抜群に高い。
今、乾貴士や柴崎岳がスペインで成功しているのはテクニックやフィジカルで卓越しているからではなく、監督やチームメイトが求めるプレーをやれているから。それを本田はCSKA加入後わずか2カ月半にしてやれていたのだから驚きだ。無回転FKの軌道も素晴らしかったが、何よりも素晴らしかったのは、あの大事な場面でFKを蹴らせてもらえるだけの信頼をチームから得ていたことなのだ。誰もが指摘するようにGKのミスに恵まれたことは事実だが、だからといってこうした本田の価値が下がるわけではない。
あの夜からHONDAはセビージャの人々にとって忘れられない存在となった。Hを発音しないスペイン語風に“オンダ”と呼ばれていたのが、“ホンダ”と正しく発音されるようになったのも懐かしい思い出。一昨年に清武弘嗣がやって来るまで、セビージャの人にとって日本人と言えば「本田」だったのだ。
何度かセビージャ加入の噂もあった。最も新しい噂は2013年12月、CSKAとの契約切れのタイミングで出たものだった。年俸の高さで断念せざるを得なかったが、前スポーツディレクターのモンチのスカウトリストに入っていたというのは事実だった。VVVフェンロー時代にモンチはすでに獲得に乗り出していたのだ。本田がセビージャに来ていたらどうなっていたか? あの夜見せた抜群のセンスで日本人選手に鬼門だったリーガの扉を開くパイオニアとなっていたかもしれない。「少なくともCSKAにいてセビージャを敗退させることはなかったはず」とは地元記者が悔し紛れに発した言葉である。
1得点1アシストという数字以上に、日本人が突破に決定的なパフォーマンスをしたという点でUCLの歴史上でも有数、いや唯一と形容できる試合かもしれない。悔しいがうれしい、セビージャファンの視線が何だか突き刺さるように感じられたあの夜は、私にとっても忘れられない。今見ればどんな思いになるだろうか?
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本田圭佑がUCL決勝ラウンド初の日本人得点者としてその名を歴史に刻んだこの一戦が『スカパー!』で放送される。詳しい情報は「UEFAチャンピオンズリーグ 名勝負クラシック」ページでご確認ください!
「名勝負クラシック」今後の放送予定
2009/10 ラウンド16 2nd leg
セビージャvsCSKAモスクワ
本田圭佑が直接FKから決勝ゴール!! CL決勝ラウンドにおける日本人初ゴールを含む1ゴール1アシストの大活躍で、本田がCSKAモスクワをベスト8へ導いた!
2/6(火)後11:00 CS800/Ch.580 スカサカ!
2009/10 準々決勝 1st leg
アーセナルvsバルセロナ
イブラヒモビッチの2ゴールでバルセロナが2点を先行。それでもウォルコットの投入で流れを変えると、CL通算50試合目となったセスクが足を痛めながらもPKを決め、アーセナルが第2レグに望みをつないだ。
2/7(水)後11:00 CS800/Ch.580 スカサカ!
2009/10 準々決勝 2nd leg
マンチェスターUvsバイエルン
マンチェスターUが3点を先行し、勝負は決したかに見えた。それでも、オリッチが前半終了間際に1点を返すと、CKからロッベンがスーパーボレーを叩き込む!アウェイゴール差でファン・ハールのバイエルンがベスト4へ。
2/7(水)深1:15 CS800/Ch.580 スカサカ!
2009/10 準決勝 1st leg
インテルvsバルセロナ
グループステージでも対戦したモウリーニョ・インテル対グアルディオラ・バルセロナ。バルセロナに先制を許すも、ミリート、エトー、スナイデルのトライアングルでインテルがホームで先勝。
2/8(木)後11:00 CS800/Ch.580 スカサカ!
2009/10 準決勝 2nd leg
バルセロナvsインテル
舞台をカンプノウに移した第2レグは28分にモッタが退場。それでもモウリーニョのチームらしくルッシオ&サムエル、ジュリオ・セーザルを中心に耐え抜いたインテルが決勝進出。
2/8(木)深1:15 CS800/Ch.580 スカサカ!
2009/10 決勝
バイエルンvsインテル
ファン・ハールとモウリーニョの師弟対決。ともにトレブルをかけて臨んだファイナルは、“2年目”のモウリーニョ・インテルに軍配。45シーズンぶりの欧州制覇を置き土産に、モウリーニョはレアル・マドリードの監督へ。
2/12(月)後11:00 CS800/Ch.580 スカサカ!
そして、来週2月13日(火)からはいよいよ17-18シーズンの決勝ラウンドが開幕! スカパー!では決勝ラウンド全試合を独占生中継! 詳しい情報はスカパー! UCL公式サイトをご確認ください。
Photos: MarcaMedia/AFLO, Getty Images
私が目撃した、チャンピオンズリーグ名勝負
3冠達成への分岐点で“ペップ・バルサ”を見せつけられた
10年経ち、あらためて思い知る中村俊輔“FK2発”の衝撃
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。