『フットボリスタ主義』選外集
「てーへんだ、てーへんだ、親分!」
「まあ、落ち着けハチ」
――と、銭形平次がなだめて、毎回物語が始まるのだ。ハチこと八五郎はドラマの世界での古典的な狂言回し役であり、江戸の町でぶらぶらする噂好きの彼が殺しだのの事件を拾って、銭形親分にご注進に及ぶ。で、平次が事件を洗っている間に、早合点やおっちょこちょいで捜査を混乱させ、見当違いの推理で笑いを誘う。
まあ、近年のスター・ウォーズで言えばジャー・ジャー・ビンクス(あれは「道化」と「馬鹿」を混同した酷い役柄。最近の2作では登場回数が激減していて安心した)みたいなもの。ストーリーの導火線役をしつつ、推理一本だと飽きてしまう視聴者のために、道化を演じてチャンネルを変えさせないのが役目だ。
ハチは当てにならん
そんなうっかり者の姿を思い出して自問する時がある。我われマスコミは八五郎でいいのか?と。てーへんだ、てーへんだと大騒ぎして視聴者や読者にご注進に及び、「何事でぇハチ、落ち着かねぇか」とたしなめられる。で、水を一口飲んだ後、息を切らして「カターニアの森本が代表拒否しました! 岡田親分のスタイルも気に食わないようです!」と言う。
当然、親分は「何ぃ!」となる。
で、あわてて事件を洗ってみたら「行きたくない」とは言ってるものの、その理由は「カターニアのプレーに集中したい」。代表監督批判の方は「プレースタイルが違う」としながら、自分のスタイルは「カターニアスタイルですかね」と答えている。
何ですか、こりゃ?
これが事件ですか?
今号のインタビューで森本本人が語っているが、彼の真意は要約すると“未熟な自分が成長するためにクラブでのプレーに専念したい”に過ぎない。「カターニアスタイルですかね」のくだりは完全に冗談に聞こえるが、これが日本の報道によると「言い切った」となっている。イタリアのテレビ番組を見て、ニュアンスや口調を拾った結果なのだろうか?
私は、この報道を読んで掘り下げる必要なしと思った。引用された発言を見て、彼が代表チームや代表監督を拒否したと言うよりも、“自分の力が代表レベルにない”と謙虚に語っているのだろうと想像できたからだ。もちろん、そこには、“ハチの言うことは当てにならん”という判断もあった。
わざと早合点の小ずるさ
てーへんだ、てーへんだを連発していると、本当にオオカミが来た時に誰も信じなくなる。
あの時代劇にしても、八五郎の性格から言って彼は毎日てーへんだを連発しているはずで、その中で本当に事件だった時に限ってTVカメラが入っている、と推測すべきだろう。たまには大事件も拾ってくるし、何よりハチの憎めない性格を愛しているから、銭形の親分は毎度の大騒ぎも大目に見ているのだ。
だけど、マスコミ版ハチの方は「かわいい奴よのぉ」と許す気にはならない。なぜなら、その大騒ぎの裏に、“イノセントなふりをして煽ってやろう”という、ずる賢い計算が透けて見えるからだ。
銭形の八五郎は天然だが、マスコミ版の方はうっかりや早合点をわざとやっている。二十歳の若者の発言を、大人が分別と常識と職業倫理(情報の裏を取る)のフィルターにかけず、てーへんだ、てーへんだと騒いでいる。
それだけでも許せないのに、ハチのふりをして“大袈裟でも、誇張でも勘弁。だって無邪気だから”と逃げ道を用意している。“あっしは親分(視聴者や読者)のためにやってるだけですから”と正義や善意を隠れ蓑にしているのだ。
いやはやこれでは、岡っ引きの手下の方がよっぽど立派だ。
伝える側が演じるべき役柄は、ハチじゃなくて銭形じゃないですかねぇ。本当にてーへんなのか判断し調べてみる、という。
使いっ走りしてる場合ではない、と思うんですけど。
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著者・木村浩嗣が自らピックアップした「『フットボリスタ主義』選外集」、全6本を特別公開!
- 「ナンパの道具としてのサッカー」
- 「国歌を歌わない選手を許すべきか」
- 「代表拒否? てーへんだ、親分!」
- 「サッカーライターは金持ちになれない」
- 「映画のボカシとサッカーのタブー」
- 「“コエマン”と“ウードス”に見る、愛国的言葉遣い」
Photo: Getty Images
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。