『フットボリスタ主義』選外集
春だ! 桜の花も咲いてる! 人が入れ替わり陽気もいい。となると、出会いの季節だ。
だけど、サッカーってモテますか?
選手のみなさんは大モテかもしれない。ゴールを決めて「キャー!」、セーブをして「ワー!」、クリアをして「ステキ!」。
スポーツをする男は昔から人気者だった。それが野球であれ、剣道であれ、サッカーであれ同じだ。体を鍛える、汗を流す、規律に従うという行為には、行為者としても観戦者としても魅きつけられる。「友情、努力、勝利」。やはり、この3つがセットになっている世界は強いのだ。
いや、モテるかどうかを聞いたのは、選手じゃなくって、観戦や応援でサッカーを楽しんでいる人たちにだ。
やはりウディ・アレンです
「ねぇ、映画行かない?」。
スペインで女の子を誘う時の決まり文句はこれだった。
ウディ・アレンの、どう見てもモテそうにない本人演じる主人公が女性に追いかけ回される、コメディ。このポジティブな恋愛観は、下心をまるで知的で楽天的なメッセージのように伝えてくれたものだ。アレンだけでなく、ジム・ジャーミッシュやクシシュトフ・キェシロフスキ、ビム・ベンダース、ティム・バートン、ラース・ファントリアーなんかにも、泣かされたり、笑わされたり、考えさせられたりして、映画館を出た後バルに誘う口実を与えてもらった。
女性と映画を見た回数は、スペインでの12年間で100回に達するかもしれない。とはいえ、映画の約束が恋人の契りではないのだから、大モテだった訳ではない。あくまで誘いの口実として映画は役に立った、と言いたいのだ。
対して、「ねぇ、サッカー行かない?」の首尾はどうか。
今思い返しても、女性をサッカーに誘い一緒に行ったのは、一度しかない。付き合ってくれたのはアルゼンチン娘2人。サラマンカ対バレンシアの試合でオルテガとクラウディオ・ロペスの悪口と、「ホルへ・バルダーノ、カッコいいわ!」という溜息を聞いたのを覚えている。
野蛮人のスポーツという汚名
サッカーはナンパに向かない――これがスペインでの真実だ。
サラマンカ大学に通っていた関係で知り合う機会が多かった女子大生には、特に受けが悪かった。「ラウール? 興味ない」ではなく、「サッカー? 嫌い!」と眉をひそめられる。
“サッカーは知的スポーツだからインテリジェンスがない者にはわからない”が、スペイン男たち定番の陰口だが、女たちの言い分は真逆。サッカーは罵声、乱暴なプレー、非紳士的行為(ダイブとか抗議とか)、グラウンド内外の暴力が横行する粗野なスポーツだと思われていて、やる方も見る方も野蛮人だと考えられているフシがあった。
「少年チームの監督を」、「子供って純真で」と瞳をキラキラさせながら呟くと、風当たりはぐっと弱くなった。しかし、「子供たちを応援してあげて」という甘言に乗せられグラウンドにやって来た娘たちは、「何やってんだ! カバーに行けよ!」、「駄目! お前ベンチ!」などの私の罵声に触れると、もう二度と帰って来てくれなくなるのだった。
こうした女たちの偏見に、「サッカーは健全な精神と肉体の持ち主が」などと抗弁するべきだったかもしれない。
が、その代わりに、男子大学生に対してはサッカーで盛り上げ(これがまた国籍を問わず、大人気であった)、女子には「ねぇ、ケン・ローチの新作興味ある?」と豹変する小狡い手練を身に付けた。まぁ、背に腹は変えられないってことだ。
で、日本ではサッカーってモテるのだろうか。
「カンプノウで日向ぼっこはどう?」は無理。とはいえ、「CL見に来ないか」じゃあいきなりだ。Jリーグのにわかファンになる手は、動機が不純と怒られそうだし。
やはり、この春もサッカー以外――映画は不作。美術館が狙い目か――で行くしかないみたいだ。
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著者・木村浩嗣が自らピックアップした「『フットボリスタ主義』選外集」、全6本を特別公開!
- 「ナンパの道具としてのサッカー」
- 「国歌を歌わない選手を許すべきか」
- 「代表拒否? てーへんだ、親分!」
- 「サッカーライターは金持ちになれない」
- 「映画のボカシとサッカーのタブー」
- 「“コエマン”と“ウードス”に見る、愛国的言葉遣い」
Photo: Getty Images
Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。