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初めて激励したくなった、ロナウドの涙

2014.01.17

フットボリスタ編集長 スペシャルコラム #2

 “クライベイビー”が久しぶりに泣いた。2009年にレアル・マドリーに入ってからは泣くのを見ていないので、EURO2008の準々決勝でドイツに敗れ、当時ポルトガル代表を率いていたスコラーリに慰められた時以来だろうか。

 “クライベイビー”と呼ばれたマンチェスターU時代の涙は、悔し涙ばかりの印象が強い。まだ少年の面影を残していた彼は、チームが大事な試合で負けたから、酷いタックルを食らったからといって泣いた。純粋な証拠なのだろうが、やはり悔し涙には発展途上のイメージがつきまとった。

 サッカー選手と涙と言えば、2010年7月、南アフリカW杯でのカシージャスの涙や同月のグティのRマドリーからのお別れ会見のそれを思い出す。一つは歓喜、もう一つは哀しみの涙だったが、どちらもやり切ったという満足感が涙腺を緩めた点では共通している。昨シーズンの最終節、デポルティーボの降格が決まった時のバレロンの涙のように、哀しみしかないという涙もあった。しかし、あれは自分の目標を達成できなかったからというよりも、申し訳ないというファンへの謝罪の想いが込められた涙であり、彼の責任感には共感させられるものがあった。

 そうした涙と比べると、かつてのロナウドの涙はより自分本位で、より未熟だった。負ければ悔しいのだろう、削られれば痛いのだろう。が、それはサッカーの日常の一部であり、そこでいちいち流す涙には感情移入できなかった。残酷に言えば、泣く暇があるのか?という感じだ。カシージャスやグティやバレロンがいくら泣いても“クライベイビー”とは呼ばれないだろう。あのあだ名自体がロナウドが成長過程にあったことの証明だった。

立派な個人主義

 ロナウドは泣かなくなってからいい選手になった。Rマドリーでの彼といえば、自分やチームに苛立つ姿ばかりである。涙を流して発散するエネルギーをこらえ、溜め込んで自分を向上させる方向へ向けたのだろう。

 あの顔、あの体、あのファッションだから格好つけとかキザとかいろいろ言われるが、グラウンド内の彼はプロ意識という点ではお手本のような選手だ。昨季までのモウリーニョ監督時代、監督と選手の軋轢(あつれき)、選手間の不仲などによってパフォーマンスを落とす選手が続出した。点差が開くと無気力なプレーという形でチーム内の雰囲気の悪さがのぞくことがしばしばあった。

 だが、ロナウドだけは違った。昨季、リーグ優勝が早々に絶望になろうと、モウリーニョに会見で皮肉られようと、他人事のようにゴールを量産し続けた。チームのことは関係ない、というのは個人主義だろうが、これは、全力プレーを期待するファンを裏切らない立派な個人主義だった。そうして積み上げた年間69ゴールはバロンドールに値するものだった。

 ロナウドにはナルシストという面もある。格好良くありたいという自分への強い欲求が、無気力な自分を、弛緩した体を許さず、90分間全力でプレーさせ鍛練を怠らないようにさせ、メッシの後塵を拝する自分を許さなかったのだろう。自己愛が彼を2013年のナンバー1プレーヤーにしたのだ。

 そんなナルシストにとっては、涙で顔をくしゃくしゃにする自分は格好悪かったはずだ。スーパーモデルである美しい奥さんは仕事を捨て切れず、最後までテレビカメラを意識して表情を保ち続けた。それに比べて、この日のロナウドの泣き顔はみっともなかったかもしれないが、初めて激励したくなるような涙だった。


Photo: Bongarts/Getty Images

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Profile

木村 浩嗣

編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。

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