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ドイツサッカーを熟知するモラス雅輝と学ぶ、クロップ流「飾らない」マネージメント術

2020.09.12

9月12日、いよいよ幕を開ける2020-21シーズンのプレミアリーグ。昨季は序盤からリバプールがタイトルレースを独走。ライバルたちの追撃を許さず30年ぶりの国内リーグ制覇を成し遂げたが、新シーズンではどんな展開が待ち受けているのだろうか。

そんな昨季王者の圧倒的な強さの秘密に迫ったのが、結城康平著の『“総力戦”時代の覇者リバプールのすべて』だ。本書は選手一人ひとりから彼らを支える謎の専門家集団まで紹介しているが、ユルゲン・クロップ監督は彼らをどのようにまとめ上げているのか。そのマネージメント術について、ドイツで彼の活躍を目の当たりにしてきたヴィッセル神戸コーチのモラス雅輝氏に話を聞いた。

ドイツの監督像を変えたクロップ


――今回はユルゲン・クロップ率いるリバプールが2019-20シーズンのプレミアリーグを制したということで、彼の母国であるドイツのサッカー事情に精通しているモラスさんにお話をうかがいたいです。まず、同じ指導者でもあるモラスさんはクロップのどんなところに注目されていますか?

 「僕がドイツに渡った1990年代は、規律や厳しさの文化がドイツサッカーに色濃く反映されていた時代でした。選手は指導者の言う通りにするのが当たり前で、監督も元プロ選手の厳格な人ばかりだった。だから当時は彼らのインタビューも、一般人やライト層からしたら面白味のない真面目な受け答えが多かったんです。それが2001年、クロップがマインツの監督になった時に大きく変わりました。彼の記者会見は『エンターテインメント』なんです。そこに注目していますね」


――エンターテインメントというと?

 「YouTubeでクロップのインタビューを見てもらえばわかるんですけど、笑顔やジョークにあふれているんですよね。あと、専門的なことや批判的なことを話す時も、うまくまとめてしまう。2018年に記者会見で『ネーションズリーグは世界で最も意味のない大会だ』と過密日程を批判した時も、最後は『代表監督に選手を次の試合から外してもらうように電話をかけないと』と冗談を交えながらまとめていて、記者たちも噴き出していました。そうすると、彼の意見に対して抵抗感を抱いたり反対する人はあまり出てきませんよね」

会見中、通訳に「とてもセクシーな声だ!」「もう一回お願いできる?(笑)」と反応し、記者たちの笑いを取るクロップ


――ドルトムント時代にクロップの下でプレーしたパトリック・オボモイェラにインタビューをしたことがありますが、彼も「笑いを絶やさない人」と称していましたね。

 「クロップの後にマインツとドルトムントで監督を務めた(トーマス・)トゥヘルも『私は半日準備しないと舞台に立てないが、彼は準備しなくてもワンマンショーができるだろう』と話していたほどですからね。ドルトムントでも記者会見では、広報と2人で漫才のように場を盛り上げていました。リバプールでも突然、広報の誕生日をお祝いしていましたよね。本人も、サッカーの監督になっていなかったら『テレビ業界で仕事をしていて、トークショーの司会者をしていただろう。自分にとって無関心な物事に興味があるふりをして語れる才能が私にある。今こうして話しているようにね』と語っていたくらいです。おかげで特にマインツでは選手やサポーターだけでなく、メディア、さらにはサッカーに興味のなかった人たちに愛されていて、ただただ感心するばかりでした。チームとクラブをまとめただけでなく『街ごと熱狂させた』と言われていましたね」


――ただ、クロップは時にシリアスな一面も覗かせますよね。特に印象的だったのが、2018-19シーズンの会見で語っていた「サッカーの最も重要な役割は人々を楽しませることだと考えている。私たちは命を救えないし何も生み出せない。できるのは手術ではなくサッカーだけだ。それなのに人々を楽しませられないのなら、何のためにプレーするんだ?」という言葉で、サッカーファンの間でも大きな話題となりました。

 「ドイツ語圏や欧州でよく言われるのが、『ユーモアのある人の言うことをよく聞く』ということです。いつも砕けた感じで親しみのある笑顔を浮かべている人が突然、真面目な表情で深く語るとみんな耳を傾けるんですよね。リバプールという世界有数のビッグクラブに行ったことで、クロップの発信力は大きくなりましたけど、彼の口調も雰囲気も無名だったマインツ監督時代からずっとそのままなんですよ。定型文のような回答に逃げず、感情が豊かで本来の自分を隠さないので親近感を抱きやすいですし、そのサッカーだけでなく記者会見でも私たちを楽しませてくれます。そんな彼のスタンスがドイツサッカーで指導者業界の常識や文化を覆していった印象ですね。僕のような指導者からしてみれば、クロップには本当に助けられています」


――余談ですが、マインツはお話に出てきたようなクロップやトゥヘルのように、プロ選手として実績があるわけではない人材を積極的に監督として登用していますよね。そこにはどのような背景があるのでしょうか?

 「彼らを抜擢したのは、クリスティアン・ハイデルというマインツの元GM(ゼネラルマネージャー)です。彼はマインツ生まれマインツ育ちの地元っ子で、お父さんはマインツの市長。ずっとサッカーが好きで、試合に100~200人くらいしか観客が集まらない時代から旗を振って応援していたほどのマインツファンだったんです。地元で車のディーラーとして経営をしていた彼ですが、あまりにも熱狂的だったのでクラブの会長まで名前が知れ渡り、マインツの経営にも関わるようになりました。当初は名誉職として無給で長い間サポートをしていたようです。ところが担当する仕事の量が増えていって、いつの間にかGMとして選手や監督の契約を取り仕切るようになっていたんですよ。当時はクラブハウスがなかったので、代わりに彼のディーラーハウスで交渉していたみたいです(笑)」

1992年から2016年まで24年間にわたり、愛するマインツのために尽力してきたハイデル


――今では考えられないですね(笑)。

 「そうなんですよ(笑)。その仕事をする中でハイデルは『監督に必要な資質』を考えていたそうです。実はマインツもクロップが監督に就任するまでは、監督をすぐに代えるクラブとして知られていたんですね。結果が出ず、経営も安定せず、給料も低く、練習の環境も悪い。そんなクラブに不満を抱える監督は少なくなく、ハイデルと衝突し交代する流れが続いていました。その中で、彼が導き出したのが『選手経験は一切関係ない』という答えでした。プロ選手としての実績がない監督でもチーム内で権力を持てるように、ハイデルは契約以外で選手と話をしないと決めていました。そうやって彼は2016年まで在籍したマインツで、クロップ、トゥヘル、(マルティン・)シュミットらプロ選手としてのお墨付きのない指導者を育て上げていったんです」

解説業でも色褪せない「クロップらしさ」


――クロップにお話を戻すと、2006年のW杯では解説者として活動していたんですよね。当時モラスさんは欧州にいらっしゃいましたが、彼の解説をご覧になられていかがでしたか?

 「いや、楽しかったですよ(笑)。当時ドイツでは公共放送『ZDF』が代表試合の放映権を持っていたので、試合前のプレビューや試合後のレビューは堅い印象がありました。だから、ライト層からすると敷居が高く、試合は見ても分析は見ない人が多かったんです。その解説者として2005年に、当時マインツを率いていたクロップがシーズン中にもかかわらず抜擢されました。現役のブンデスリーガの監督を招くだけでも画期的だったのに、有名監督ではなくドイツ2部で約3年、1部を約2年経験しただけのクロップを指名したので、かなり勇気ある判断だったと思いますね。彼は試合映像を止めて選手やスペースに印をつけながら、視覚的にわかりやすく解説していたんですけど、一般人でもわかる言葉を使っていたんですよね。おかげでエンターテインメント色が強くなり、よりライト層にもわかりやすい分析になりました」


――どのような解説のスタイルだったのでしょうか?

 「基本的にはポジティブな点を褒めていくんですけど、時にピンポイントで改善点を指摘するスタイル。でも、『この選手は本当によくやっていたよ。あとはここをこう改善すればチームはもっと良くなるんじゃないかな』と優しさが含まれている言い方だったんですよね。誰も敵に回さない的確な分析だったので、その評判は『テレビの中のドイツ代表監督』というあだ名がつく程でした。その番組もクロップのおかげで大賞を受賞していたくらいです」

2006年のドイツW杯で解説するクロップ


――ちなみに、当時のドイツの解説はどのようなスタイルが主流だったのでしょう?

 「当時だと『優れたリベロがいれば失点をしない』『この失点はこの選手が抜かれたのが原因』というチームではなく選手個人に焦点を当てた解説が普通でした。でも、クロップはチーム戦術という文脈の中でプレーを説明していたんですよね。今では『いかにサッカーが複合的なスポーツであるか』をライト層の人も理解していますが、僕はこうしてサッカーファン全体の戦術理解度が上がる流れを加速させた一つの要因が、クロップの解説だったと考えています」


――お話を聞いていると、当時のクロップの解説を見たくなってしまいますね(笑)。

 「あと、クロップが解説をする中で良かったのは、分析以外での言動がクロップそのままだったんですよ。例えばゲストとしてペレがスタジオに来た時、彼ははしゃいでいて、サンバの音楽が流れると一緒に踊っていました。同席していた解説者の母国が敗退した時には一緒に涙を流したり、もちろんドイツが勝てば喜びを爆発させていたり……。TVを通じて視聴者にとって友達のような存在になっていったんです。おかげで、彼はそれまで監督をしているマインツでしか知られていませんでしたが、全国的に有名になったんですよ。その後、ドルトムントの監督に就任して大きな結果を出して、名実ともにドイツを代表する監督になりましたね」

「スペシャル・ワン」から「ノーマル・ワン」へ


――クロップの選手とのコミュニケーションについてもお話を聞かせてください。コロナ禍でリバプールはオンラインセッションをしていて、その様子が一部公開されていましたよね。

 「そのセッションは僕も見ていたんですけど、『クロップのチーム』だと感じました。いわゆる家族のような雰囲気が出ていたんです。例えば、ファン・ダイクを『相変わらず体が硬いぞ』とからかったり、マネには『ホームプログラムはちゃんとやってるのか?』と聞いたりして、その会話を聞いている選手も笑顔になるような声かけをしていましたね。あと、誕生日の選手に向かって『みんなで祝おう』と盛り上げたり、『それぞれの母国語でバースデーソングを歌おう』とチーム全員をコミュニケーションに参加させるのも上手でした。選手たちがお互いに冗談を言い合える雰囲気を作っていましたね」


――オンラインでのコミュニケーションだと、やり取りが一方通行になったり、限られた人の間でしか行われないことも少なくないですよね。サッカーチームの場合は選手が20人以上いるので、オンラインで一人ひとりが会話に入るのはなおさら難しい。でも、クロップはそこもうまくオーガナイズしています。

 「そこで重要なのは『誰が意見をしても責められない・怒られない・批判されない』という雰囲気作りですよね。とはいえ、守るべきルールがないわけではありません。特にドイツ人は規律を非常に重んじています。ドルトムントの元キャプテン、(セバスティアン・)ケールの言葉を借りれば、クロップも『チームの規律を乱す行為をした選手に対してはとても厳しく言うし、ルールを決めてそれを守らせることに関して1人の独裁者だ』と。クロップ本人もテレビ番組で『私はいつも向上心や野心がある選手と仕事をする。1つの成功によって力を発揮しなくても生活は保証されていると勘違いした選手には、さよならを告げるしかない』と語っていました。そうした選手をあっさりと切る厳しさも彼は持ち合わせているんですよね」


――線引きは明確なんですね。

 「ただ、そうした判断は冷たいことがあっても、その前後のプロセスは暖かいままなんです。クロップは選手が退団する時も一緒に涙を流したり、その選手の人間としての素晴らしさを語ることが多い。ドルトムントでは、『君は私の選手だった。だから、このクラブを離れても一生私の選手だ。サッカーのことでも、キャリアのことでも、プライベートのことでも、何かあったら私に連絡しなさい。いつでも相談に乗るよ』とデデに伝えていましたね。規律に基づいて監督としての権限を行使するのでしょうけど、それ以外に関しては『父』と呼ぶ選手もいるくらい、とても暖かいんです」


――リバプールは数々の専門家を招いていることで知られていますが、彼らのようなスタッフに対してはいかがでしょう?

 「スタッフに対しても同じです。クロップは選手としてうまくいかなかった経験もあってか、『自分の限界』を知っているんですよね。『私は決して優れた人間ではない。私よりも専門的な知識を持っている人たちはたくさんいる』『私は自分の髭すらちゃんと剃ることができない人間だ』と公の場で口にしているくらいですから。リバプールの監督になった時に『ノーマル・ワン』と自称したのも有名な話ですよね。彼はスタッフたちに頼っていることを隠しませんし、その手柄を横取りすることもない。栄養士のモナ・ネマーをバイエルンから引き抜いた時も『私たちが獲得した本当のワールドクラスが彼女だ』とドイツメディアに語っていたくらいです。そんな謙虚な彼の下で働きたがる専門家は少なくないでしょうね。

クロップはリバプールでの初会見でも「母は家でこの会見を見ているだろうけど、私の話している言葉がわからないだろうね。でも、誇りに思ってくれているに違いないよ」とジョークを忘れなかった

 そうしたクロップのように『優れた人材を生かすヒューマンマネージメントが監督の中で違いを生み出している』という認識は、 現在ではリバプールに限らずサッカークラブの抱えるスタッフの規模が拡大しているので、ドイツ語圏でかなり広がっているように見えます。うちの(トルステン・)フィンク監督もヒューマンマネージメントに長けた指導者で、分析スタッフやスカウトの意見に耳を傾けてから判断しているんです。ドイツではビジネス界がそこに注目していて、ブンデスリーガの監督が大企業の経営セミナーに招かれることも増えていますね」


――「スペシャル・ワン」を自称していたジョゼ・モウリーニョが代表的ですが、昔は逆に権威を得るために自分自身を大きく見せる監督が多かったですよね。ただ、近年は対照的なマネージメント術を扱うクロップが成功を収めているので、今後はリーダーシップの在り方も変わってきそうです。

  「本当にその通りだと思います。今後はクロップと同じような考え方を持つ指導者も増えるでしょうね。昔は『選手に対して威厳を示さないとチームをまとめることができない』と考えられていましたが、近年のドイツ語圏ではリーダーシップを形容する言葉として、『正真正銘の自分を出す』『ありのままの自分を出す』というニュアンスの『アウテンティシュ』(authentisch)が定着しつつあります。今は選手たちもインターネットを使って、その指導者の長所や短所などいろんな情報を調べたり聞いたりできますよね。だから、『どちらもさらけ出して、本当の自分を見せた方が信頼関係を築きやすいのではないか』という議論も起こっています。その代表格がクロップだと僕は考えていますね」


――あと、そのモウリーニョも『苦労がない社会生活で繊細な選手が生まれている』と言っていたんですけど、選手そのものの変化もありますよね。

 「昔は(フェリックス・)マガトの恐怖政治に代表されるように、わがままな選手をコントロールするために規律と罰を与えていたんですけど、そういう選手が減ったという見方もあるかもしれません。ただ、クロップは指導者向けのインタビューで『プレッシャーや罰でマネージメントしようとする指導者もいるが、私は納得していない。楽しんで意欲的に仕事に取り組める職場を作り上げれば全員が力を発揮できると考えている』と語っているんですよね。

 実際に彼は以前から、マインツで選手から監督になった時も『今まで通りクロッポ(クロップの愛称)と呼んでくれ』と元チームメイトに言っていたそうですし、ドルトムントでもベテランの選手たちからそう呼ばれていたんですよね。これは日本に限らず欧州でもなかなかないことです。もちろん日本の文化、メンタリティ、社会の仕組みを考えると調整も必要ですが、クロップのマネージメント術は日本の指導者の参考になると考えています」

Masaki MORASS
モラス雅輝
(ヴィッセル神戸アシスタントコーチ)
1979.1.8(41歳)JAPAN

東京都出身。16歳でドイツへ単身留学。ケガのため、97年に18歳で選手から指導者に転身。ドイツ3部(女子)からキャリアをスタートし、その後オーストリア・ブンデスリーガ1部(女子)のヘッドコーチや各育成年代の監督を歴任。ザルツブルクで研鑽を積み、オーストリアサッカー協会育成アカデミーのU-19ヘッドコーチを経て、09年から浦和レッズのトップチームコーチを務めた。12年、ブンデスリーガ・スポーツマネジメント・アカデミーにアジア人として初めて合格し14年に卒業。同年にSVホルン(オーストリア2部)のヘッドコーチに就任。在籍中に日本企業による同クラブの経営参画の足がかりを作った。17年、バッカー・インスブルックの女子部門で監督兼スポーツディレクターに就任。初年度からトップチーム(オーストリア2部)およびセカンドチーム(同3部)をリーグ優勝と昇格に導いた。19年よりヴィッセル神戸でアシスタントコーチを務める。


Edition Cooperation: Dan Ozu
Photos: Getty Images, Bongarts/Getty Images, ©VISSEL KOBE

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Profile

足立 真俊

1996年生まれ。米ウィスコンシン大学でコミュニケーション学を専攻。卒業後は外資系OTAで働く傍ら、『フットボリスタ』を中心としたサッカーメディアで執筆・翻訳・編集経験を積む。2019年5月より同誌編集部の一員に。プロフィール写真は本人。Twitter:@fantaglandista

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