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【インタビュー】監督シャビが見据える「バルセロナ帰還」の条件

2020.08.17

CLバイエルン戦での衝撃的な大敗により、クラブ内外から改革を求める声が噴出しているバルセロナ。監督人事に関しても様々な意見や憶測が飛び交う中、期待が高まっているのがレジェンドであるシャビ・エルナンデスの帰還だ。

しかし、報道を見る限り、彼の答えは今回も「NO」のようだ。

今年1月、エルネスト・バルベルデ解任時には実際にオファーを受けながら、首を縦に振ることはなかった。彼が自らにGOサインを出す「タイミング」とは、いったいどんな条件がそろった時なのか。

彼が古巣を指揮するために必要だと考えている要素と、今年でちょうど10周年となったスペイン代表でのワールドカップ制覇の記憶について小社刊『ペップ・シティ スーパーチームの設計図 のル・マルティン記者が聞き出したインタビューを特別掲載。監督シャビが見据えるキャリアプランの一端に触れてほしい。

シャビ・エルナンデスはサッカー界で世界的に認められたアイコンである。バロンドールは受賞できなかったが、パスを出し続けてその地位を勝ち取った。“ペロイーナ”を発明した者、という声もある。ペロイーナとは、ボールを受けた時に反転してボールを触らずしてプレーし続けるアクションのことである。今から10年前、南アフリカではイケル・カシージャスがすべてを止め、ダビド・ビージャが決勝進出に必要なすべてのゴールを決め、オランダ相手のアンドレス・イニエスタのゴールが歴史的な優勝を手繰り寄せた。しかし、史上初めてスペインがワールドカップを掲げることができたのは、繋いだパスのおかげである。あのチームのアイディアのエッセンスとプレースタイルのシンボルと言える選手がいるとすれば、史上初めてEURO連覇とワールドカップの3冠を連続達成し1つの時代を作り上げたチームを結び付けた選手がいるとすれば、それはシャビ・エルナンデスだろう。ペップ・グアルディオラのバルセロナ、ルイス・アラゴネスとビセンテ・デル・ボスケの代表は、彼とボールが刻むリズムで踊った。長期間、世界は彼の望むようにプレーしたのだった。10年後の今日、シャビは暑くなり始めたカタールにいる。プレーを辞め監督になった。結婚し2人の子供を持つ。ラマダン(断食月)の最中、カップ戦の準決勝を待っている。バルセロナのオファーを断ったのはそんなに前のことではない。その理由はいろいろあるが、チャンスは再びやってくることを知っている。30分間の電話インタビューで、10年前に南アフリカで起きたことを振り返り、カンプノウでこれから起こるかもしれないことを語ってもらった。

世界制覇の秘訣と財産

このチームで勝てなかったら、永遠に勝てないと考えながら降り立った

── 南アフリカを思い出すと何が頭に浮かんできますか?

 「まず、いかにすべての人たちが我われに親切だったかということ。南アフリカの人たちの素晴らしさ。そしてチームメイトのことだ。今も電話で連絡を取り合っているよ。もちろん頻度には差がある。毎週電話する者もいるし、彼の誕生日と奥さんの誕生日に電話をする者もいる。でも全員との関係を維持している。このエピソードはあのチームが何だったかを象徴していると思う」

── 10年前、優勝できると感じたのはいつでしたか?

 「子供の時にもそれを夢見たことはなかった。実際、若い時はワールドカップというのはブラジル人、ドイツ人、イタリア人だけが勝つものだといつも思っていて、自分が勝てるなんて想像したこともなかった。まさかスペイン人が勝てるなんて、それまでの人生で思ってもみなかった」

── でも、あなたはU–20(1999年ワールドユース)では世界一になっています。

 「そうだけど、スペインは下のカテゴリーの成績はいつも良かったからね。だけどA代表は別で、ルイス・アラゴネスが率いたEURO2008までまったく勝てなかった。あそこでネガティブなジンクスが崩れ、自分たちのこと、自分たちのスタイルを信じることができた。我われのプレーのアイディアと併せて、良い流れでW杯に乗り込めたことで、今回勝てなかったら絶対に勝てないと思った。あの年は我われの年で我われのワールドカップだったんだよ。このチームで勝てなかったら、永遠に勝てないと考えながら南アフリカに降り立ったことをよく覚えているよ」

南アフリカ行きの飛行機内で、クラブでの同僚でもあったプジョルとの1枚

── 着いて最初のスイス戦で負けましたね。何を思いましたか?……

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インタビューシャビ・エルナンデスバルセロナ

Profile

ル マルティン

高名なスペイン人記者。1980年代からラ・リーガと母国代表をテーマに執筆活動に勤しむ。2001年出版の『La Meva Gent, El Meu Futbol(私の人、私のサッカー)』は、ペップ・グアルディオラ自身との共著。マンチェスターとバルセロナを行き来しながら、シティのグアルディオラ体制を追う。2016年から『footballista』で「ウォッチング・グアルディオラ」を連載中。

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