天才少年からヒールへ――。ニコラ・アネルカの波乱万丈な半生
8月5日、Netflixでニコラ・アネルカのドキュメンタリーが公開になり、話題を呼んでいる。日本語では『アネルカ、天才プレーヤーの素顔』というタイトルだが、原題は『Anelka l’incompris』。
「incompris」は「誤解される」という意味の単語で、このドキュメンタリーが発するメッセージもそこにある。「いろいろな騒動は起こしているが、アネルカは誤解されやすい人物なんだよ」ということだ。
愚直なほど真っ直ぐな男
国立養成所のクレールフォンテーヌで1年先輩だったティエリ・アンリや、ロベール・ピレス、エマニュエル・プティらフランス代表の仲間、アーセナル時代の恩師アーセン・ベンゲル、同郷の親友で俳優のオマール・シーや家族らの証言を交えて構成されたこのドキュメンタリーは、少年時代からドバイで暮らす現在までのアネルカの足跡を、約100分間でまとめている。
見終わって思ったのは、確かにアネルカは愚直なほど真っ直ぐな人だということ。それから、サッカーに向かう気持ちは恐ろしく真剣であるということだ。
彼は8歳にして「ただのプロ選手ではなく、スターを目指す」と口にしていた。そしてまだ10歳そこそこの息子たちにも「サッカー選手というのはな、ものすごく厳しい世界なんだ。軽々しく『プロになる』なんて言うんじゃない!」と厳しい口調で説いている。
それだけに、理想的な形でプレーできる環境に自分の身を置くことを優先させるように立ち回れなかったものかと、見ていて残念に感じる部分も多々あった。
それに、早熟だったがゆえのプライドと、反骨精神旺盛なパリ郊外出身者という生い立ちも絡んでいるように思えた。
行く先々でトラブルに直面
アンリはアネルカが13歳でクレールフォンテーヌに入校した時について「『すごいヤツが入ってきたぞ!』とみんながザワついた」と振り返っている。
その後、16歳にしてパリ・サンジェルマンでトップデビューと順風満帆なキャリアのスタートを切るのだが、そこからは行く先々で、自発的にしろ、そうでないにしろ、様々なトラブルに見舞われている。
ベンゲル監督に見初められてアーセナルに移籍することになった時も、育成を受けたクラブで最初のプロ契約を結ぶ、というフランスリーグの掟を、ボスマンルールを盾に破った。
さらに上を目指したかった彼は20歳の時、当時の移籍金最高額でレアル・マドリーに迎えられたが、ここでもトレーニングをボイコットするという騒動を起こしている。
日々の行動から買い物したものまで逐一メディアに暴かれる度を越した報道のせいもあり、心身ともにコンディション不振に陥った彼は、スタッフと話し合いがしたいと直訴。「練習前に話がしたい」と懇願したが「練習後だ」と突っぱねられたことで、練習参加を拒否したのだという。
人によっては「え? そんなことで? 後でもいいじゃん」と思うだろう。
しかし、アネルカにとって大事だったのは練習の前か後かではなく、「自分と真摯に向き合う意思がクラブ側にあるのかないのか」という点だったのだ。
自尊心を傷つけられることに過剰に反応するエピソードは他にもあった。
2002年のW杯の後、当時のフランス代表監督ジャック・サンティニが視察に訪れた時、「君のことはよく知らないから呼ばない」と言われると、「PSGやアーセナルやRマドリードでプレーしてきた自分を知らないなんてあるものか」と呆れ、「『もう2度と来るな』と言ってやった」と話している。
まあ、サンティニは端から見ても微妙なキャラクターだったから、アネルカが不信感を抱いたのも一理あるが……。
ウェストブロミッチ時代も、開幕戦で自分を交代させたスティーブ・クラーク監督に対し「プレシーズン中、ずっと攻撃の中心を担った自分に対するこの扱いはなんだ!」と激怒した。
それによって次の試合から干されてしまうのだが、結局クラーク監督はその後、成績不振により更迭。新監督の下、数試合ぶりに出場した試合でさっそくゴールを奪うと、クラーク監督に向けて「どうだ、見たか!」という挑発ポーズをかましてみせた。
ところが、これが反ユダヤ思想のジェスチャーであると非難され、処分と罰金をくらっている。
W杯惨敗の責任を負わされたのか
ベンゲルはアネルカを「礼儀正しく、正直で誠実、忠誠心に厚い人物」と描写していたが、彼自身が他者への敬意をことさら重んじる人だからこそ、そうでない相手には嫌悪感を抱く。
ベンゲルやマンチェスター・シティ時代のケビン・キーガンなど、「この人は信頼できる」と思う師は、彼はとことん慕っている。逆に自分の哲学に反する相手には、容赦なく立ち向かう。
番組のクライマックスは、なんといってもあの事件、2010年のW杯南アフリカ大会だ。
練習をボイコットしたあげく0勝で敗退し、世界中に恥をさらしたフランス代表だが、ことの発端はアネルカとレイモン・ドメネク監督の衝突だった。2戦目のメキシコ戦のハーフタイム、スコアは0-0、ドメネク監督がさぞアネルカのせいだと言わんばかりに彼の名前を口にしたことで口論になった。
翌日の『レキップ』紙の1面に、アネルカがドメネクに浴びせたという放送禁止用語がでかでかと掲げられると、フランスサッカー連盟だけでなくスポーツ相や大統領も「国民の象徴であるサッカー選手にあるまじき行為である」とアネルカを非難。
アネルカは即刻追放処分となってチームを離脱し、それを不服としたチームメイトたちが練習をボイコットするなど内部崩壊した、という顛末だ。
このドキュメンタリーの中でアネルカは、大会が始まる前の練習試合の時から、共通意識のまったくないチームに危機感を覚え、離脱したいとさえ思っていたと明かしている。
気になったのは、この騒動の時に連盟がアネルカをかばわなかったことだ。2年前に放送されたドキュメンタリーの中でドメネクは、言葉のやりとりはあったが、『レキップ』紙に掲載された言葉は実際にはアネルカは発していない、と告白している。
ロッカールームでアネルカの隣にいたというウィリアム・ギャラスも「一切聞いていない」と証言しているのに、なぜ連盟はアネルカ側の主張を聞かず、即追放などという厳しい処分を下したのか?
メキシコ戦の後、選手たちは話し合いを持とうとドメネクを呼び出したが、ドメネクはこれにも応じていない。
ひょっとすると連盟は、勝ち目がなかったこの大会、実力不足で敗退したことになるより、一部の選手の暴挙のせいにしたほうが好都合だったから、もともと問題児扱いされていたアネルカに責任を負わせたのではないか? そんな深読みもしたくなってくる。
しかし、もしそれが事実だった場合、スケープゴートにされてしまう要素を持っていたという点に関しては、アネルカにも問題があった。
不器用な世渡り下手
良き理解者であるベンゲルは、「アネルカは日々の悩みを内側に溜め込んでいる。それがある瞬間に爆発してしまう。人々の記憶に残るのはその姿で、それが彼の印象になってしまっている」と語り、「環境にも恵まれなかった。そうでなければもっと上に行けていたはずだ」と結んでいる。
友達だったら、アネルカはものすごく信頼できる人なんだろうと思う。多くの人に心を開くことはしないが、「この人なら」と思った相手には誠心誠意、接するタイプだ。プライドは高そうだが、ズルやごまかしはしない。実直すぎて不器用な世渡り下手だ。
現在は家族とドバイで暮している。アネルカが「親友」と呼ぶ奥さんのバルバラさんが本当に良き理解者のようで、彼を支えているのは見ていて微笑ましかった。
このドキュメンタリーについて書かれた記事のコメント欄には「吐き気がする」「今さらこの選手について知りたくもない」といった辛辣な意見もあったが、「彼はあまりに実直だったから、偽善的な世界ではうまく立ち回れないんだろう」というような声もあった。
「その言動はどうよ?」という部分も含め、天才少年からヒールとなった波乱万丈のキャリアを知ることができるドキュメンタリーだ。
Photos: Getty Images
Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。