2人がいなければシティには来なかった。経営陣と現場を結ぶ友情
ウォッチング・グアルディオラ特別公開 #8
戦術、指導、分析、会話、移籍、参謀、料理……ペップ・グアルディオラのAll or Nothingな仕事術を密着取材で明かす『ペップ・シティ スーパーチームの設計図』が3月31日に発売となった。その刊行を記念して、共著者ル・マルティンが雑誌『footballista』で連載中の『ウォッチング・グアルディオラ』から、選りすぐりのエピソードを特別公開。
#8は、ペップのマンチェスター到来に重要な役割を果たした2人、フェラン・ソリアーノとチキ・ベギリスタインとの絆について。
2016年7月3日、マンチェスター・シティはクラブの公式チャンネルにグアルディオラと、オアシスのノエル・ギャラガーのインタビューをアップした。グアルディオラ到着に合わせてエティハド・スタジアムで行われたセレブレーションの一環だった。そこでギャラガーはペップに「ザ・ロード」(主)と呼びかけていたのだが、今回筆者が上梓した『Cuaderno de Manchester』(『ペップ・シティ スーパーチームの設計図』のスペイン語版)でも前書きを書いてくれた彼は、その中でまたもや「ザ・ロード」と呼び、グアルディオラが「我われの小さくて馬鹿げたクラブ」(ギャラガー談)にやって来たことにあらためて感謝している。
この本を書くために取材してわかったのは、フェラン・ソリアーノ(CEO)とチキ・ベギリスタイン(SD)がいなかったら、ペップがシティを選ぶことはなかっただろうということだ。
グアルディオラのマンチェスターへの道は、実はあの16年7月のはるか以前、ニューヨークでウリ・ヘーネス会長へ「バイエルンのオファーを受ける」と言った瞬間からすでに開けていたのだ。ペップは、バイエルンからのオファーは一度だけだと知っていた。それに引き替え、ソリアーノとチキがいる限りシティにはいつでも行ける、と考えた。そして、それはその通りになった。
チキとペップはアイコンタクトだけで理解し合える。ずい分昔からそうだ。ペップがバルセロナのトップチームに上がった時、そこにはチキがいて握手を交わした。ペップを牛追いで有名なサン・フェルミン祭に連れて行ったのもチキだ。ペップは闘牛とワインと大騒ぎに馴染めず二度と行っていないが、チキはパンプローナに毎年必ず顔を出す。昨夏(2018年夏)行けなかったのは、働き者のソリアーノが祭の時期に会議を設定したからだった。
いつかはシティ……と決めていた
ペップはチキとソリアーノと再び一緒に働くことを宿題のように思っていた。まるで出すべきだったパスを出せなかったかのように負い目を感じていた。だからこそ、バイエルンを出て行くことを決めた時、弟の代理人ペレ・グアルディオラにシティを最優先にしてくれ、と頼んだ。リーガエスパニョーラ、ブンデスリーガの次はプレミアリーグへ行くことに疑いは抱いていなかった。
チェルシーとマンチェスター・ユナイテッドのオファーは金銭的に上で――実質的に白紙の小切手を渡されたのと同じだった――、クラブとしての伝統の重みもあった。しかし、シティには旧知の友、理想の上司というアドバンテージがあった。ソリアーノとチキは友の到着前からその下準備を始めていた。事前にスターリングやデ・ブルイネを獲ったのは、気に入ることがわかっていたからだ。ソリアーノはシティとグアルディオラに必要なものを熟知していた。後は時間の問題に過ぎなかった。
15年8月のある朝、ソリアーノはペレ・グアルディオラをバルセロナの家に招いた。交渉の時が来たと感じていた。シティの南米担当スカウト、ジョアン・パタシィはまた、ペップの親友でもあった。彼から「待望の時が来た」という情報を得ていた。ペレは言った。「ペップにとって最後のシーズンだ」
この言葉でCEOとシティは契約条件をまとめ始めた。その半年後、条件がそろったことに友情が加わってグアルディオラはOKサインを出したのである。
チキと共同でレストランをオープン
「チキとフェランはバルサに居た時から助けてくれていた。ここに来るのは挑戦だ。なるべく良いプレーをして、誇りに思えるようなプレーができることを選手とシティのファンに納得させたい」とペップはギャラガーに言った。その言葉は嘘ではなかった。ペップの友人で映画監督のフェルナンド・トゥルエバは、夢とは火を付けることで燃え上がるユートピアである、と言っている。ペップの火が燃えて生まれたシティのユートピア。その火を付けたのはチキだった。
ペップとチキは共同でマンチェスターの中心部に「タスト・カタラ」というレストランを立ち上げた。ベルナルド・シルバは「凄く高い」と冗談を言っているが、「良いものは常に高価なもの」というのがペップの口癖である。その通りだ。今おそらくマンチェスターで最高のレストランだろう。嘘だと思ったら、スティーブン・ドフールに聞いてみれば良い。シティが1月26日5-0で大勝しFAカップから追い落としたバーンリーのこの背番号16は、毎週1回はやって来るお得意客である。
「次にオファーを受けた時には、クロップやグアルディオラがそうされたように、上司にリスペクトを要求する」と、マンチェスター・ユナイテッドを去った際にモウリーニョは言った。だが、それは間違っている。モウリーニョは同じくらいボスに尊重された。だからこそ、グアルディオラに獲得させないという理由だけでアレクシス・サンチェスとフレッジを獲って来たのだ。
オーナーのマンスールとも特別な絆がある、とクラブ内部では見られている。「最初のシーズンはハードだった」となかなか勝てなかった時期を振り返ったグアルディオラは「本当にボスに信頼されていると感じたのはこの時だった」と語っている。
上司が友人という最高の環境でペップのシティは前進している。
Photos: Getty Images
Profile
ル マルティン
高名なスペイン人記者。1980年代からラ・リーガと母国代表をテーマに執筆活動に勤しむ。2001年出版の『La Meva Gent, El Meu Futbol(私の人、私のサッカー)』は、ペップ・グアルディオラ自身との共著。マンチェスターとバルセロナを行き来しながら、シティのグアルディオラ体制を追う。2016年から『footballista』で「ウォッチング・グアルディオラ」を連載中。