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現役プロの38%が心の病を抱えているサッカー選手とメンタル傷害

2020.03.28

FIFProが2015年に発表した「プロサッカーにおける心の健康問題の調査」結果は、衝撃的なものだった(本文参照)。サッカー選手が、一般の人よりもはるかに、鬱(うつ)や不安障害に苦しんでいる背景には何があるのか。

 サッカー選手と心の問題について最も詳細で信頼できる調査を行っているのは、UEFAでもFIFAでもない。彼らはフィジカルのケガの対策には熱心でもメンタルのケガへの関心は薄い。心身両面のケガの主因である過密日程の解消に、減収を恐れて抜本的な改革ができないことからわかる通り、興行主である彼らには結局のところ、選手の健康は二次的な問題でしかない。スター選手というコンテンツを欠くのはまずいからケガは減らした方が良いが、目に見えない心の問題には目をつむる。よって、選手自身が自らの手で調査して、警鐘を鳴らして自衛するしかないわけだ。

 2015年、国際プロサッカー選手会(FIFPro。各国選手会を統合する国際機関)が、日本人を含む現役選手607人、元選手219人へのアンケート調査の結果、「現役サッカー選手の38%、元選手の35%が、過去4週間以内に鬱または不安障害に苦しんだ」という衝撃的な発表をした。これはとんでもない数字である。「一生のうちに」重大な鬱や不安障害に苦しむ人の割合は一般に20%程度と言われており、それを「調査時点から4週間以内」の結果で大きく上回っていたからだ。さらに翌年、FIFProは「1シーズン、1チーム(25人)で3~9人が、鬱や不安障害など精神的な問題を抱える」という、やはりショッキングな追跡調査の結果を明らかにした。

 データはいずれも本人の判断でイエス、ノーを答えたもので精神科医の診断によるものではないから誤差はあるだろうし、健康被害の“被害者”に当たる選手会が行ったもので公正性に欠ける面もあるかもしれない。そもそも、ダウン系の鬱とアップ系の不安障害を一緒くたにするのも乱暴な話だ。よって、額面通りに受け取れないのだが、それでもFIFAやUEFAがメンタルのケガに本腰を入れていない現状では、これが最も信頼できる調査なのだ。

 いずれにせよ、数字は上下するかもしれないが、一般の人よりもサッカー選手の方が鬱や不安障害に罹(かか)りやすいのは、確かなように思われる。なぜなのか?

 FIFProの分析やスポーツ専門の心理カウンセラーの考察、ロベルト・エンケ(鬱)、アンドレス・イニエスタ(鬱)、ヘスス・ナバス(不安障害)、ボージャン・クルキッチ(不安障害)、アンドレ・ゴメス(不安障害?)などの実例からは、次の4つの理由が浮かび上がってくる。

衝撃的な死から10年が経った2019年11月9日、ドイツのスタジアムではエンケへの哀悼が捧げられた

1つ目は、チーム競技ゆえ背負うものが大きく、敗戦を精神的に消化しにくい。

 テニスなど個人競技は自分の名誉のために戦うが、サッカーなどチーム競技は、チームメイトやクラブの名誉のために戦うし、地域や国に代表することもあるので背負うものがより大きい。テニスでも国別の団体戦はあるが1人の選手の責任の範囲は、1対1の個人勝負に限定される。

 敗戦の消化の仕方も違う。デビスカップ決勝でスペインが敗れてもラファエル・ナダルは自分が勝てばある程度満足だろうが、W杯決勝でチームが敗れればイニエスタは自分のゴールに決して満足しないだろう。テニスなら敗れても勝っても突き詰めれば自分の勝利であり敗戦であって、他人のせいという“理不尽”が介入する余地は少ないが、サッカーはチームメイトの出来次第で自分の生涯最高のプレーが台なしになることもある。

 ケガに強いレジリエンスの優れた選手の例としてテニスのラファエル・ナダルが挙げられるが、彼の叔父でコーチであるトニ・ナダルが「他人任せになり、本人の抵抗力が養われないから」と心理カウンセラーの介入に反対しているのは象徴的だ。敗戦や挫折をナダル本人の努力のみによって克服できるのは、それらの原因を自らに課すことができるテニスという個人競技だからだろう。

テニス界最高峰のグランドスラムで歴代2位の通算19勝、その1つ全仏オープンで12勝を挙げ“クレーキング”の異名を持つラファエル・ナダル。コートを離れればレアル・マドリーファンとしても知られる

2つ目は、サッカーというスポーツの過剰なエモーショナルさ。

 W杯となれば数十億人の視聴者が観戦する世界で最もポピュラーなスポーツ、サッカーの注目度は、他のどんなスポーツよりも高い。と同時に、サッカーのスタジアムほど罵声が許容されているスポーツ観戦施設はない。またテニスの例で恐縮だが、拍手だけで「クワイエット・プリーズ」とアナウンスされるのとは選手が観客から受けるプレッシャーの桁が違う。その熱にほだされて乱暴で粗雑な攻撃があふれる、という点でサッカーメディアに相当するスポーツメディアはないだろう。サッカー特有のファンと選手の感情で結び付いた濃密な関係は、エンブレムにキスをするパフォーマンスに象徴される。

 そのエンブレムの重さに耐え切れずアンドレ・ゴメスは家に閉じ籠(こも)るようになり、ボージャンは“メッシ2世”の肩書きから解放されるためにバルセロナを離れた。エンケが孤立していくのは移籍の噂が出て、味方のファンから罵倒されてからだった。

2007年に17歳と19日でリーガ初ゴールをマークし、 リオネル・メッシの持っていた最年少記録を更新(当時)したボージャン。しかし2011年バルセロナを退団、イタリアやオランダ、ドイツ、イングランドでプレーしたのち、2020シーズンからアメリカ・MLSへ活躍の場を移した

3つ目は、サッカー選手という職業の不安定さ。

 サッカー選手にケガは付き物だ。フィジカルなケガは日々の練習と週末の試合という日常生活を中断させ、軽傷の場合はレギュラーの座の喪失、重傷の場合はこのまま復帰できないのではないか、との心配や恐怖というメンタルなケガをも誘発する。プロの場合はサッカー一筋の人生だから引退後の生活が激変する。日課と収入減と社会的な評価をすべて奪われれば心のバランスを崩すな、という方が無理である。

 先のFIFProの調査では、全治1カ月以上の重傷を3回以上経験した選手が「心の健康に問題を抱える可能性は2~4倍」、ケガによって早期引退を余儀なくされた場合は「特に心の病気を患うリスクが大きい」と指摘している。

 加えて、雇用契約の期間は3年が普通で最長でも5年、晩年になると1年契約が当たり前で、キャリアアップには“海外転勤”(移籍)が不可欠となれば、「安定」とはほど遠い職業であることがわかる。高額の報酬は不安定さの見返りでもあるのだ。

 文化圏の違う異国での生活に適応できなかったエンケ、ホームシックでパニックを起こしたヘスス・ナバスなどグラウンド外の問題で心のバランスを崩す例は少なくない。彼らのように重傷ではなくとも、期待された新戦力が環境に適応できず短期間で放出されたなんて例はいくらでもある。

デビューから間もない2005年に不安障害を発症したヘスス・ナバス。クラブのプレシーズン合宿から“脱走”するなど精神的苦難に苛まれたが見事に克服してみせた

4つ目は、サッカー選手=ヒーロー&超人伝説。

 エリートアスリートであり高額所得者でありヒーローである選手たちは、“フィジカルが強靱であるだけでなく、鉄のハートを備えた超人である”という虚構に、アイドル視するファン側だけでなく選手側も取り付かれている。不安や迷い、ためらいを監督やチームメイトに打ち明けることは「弱みを見せること」である、という考え方はサッカー界には根強くある。

 心の病は一般社会でもタブー視されがちだが、そうした超人伝説のはびこる世界では「もしバレたら選手生命は終わりだ」(エンケ)というところまで選手を追い詰める。心の病だけで大問題なのに、マスコミやファンの目が光る前でその病を隠さなくてはならない、という重圧が、病をさらに悪化させることになる。

 ボージャンがEURO2008の代表メンバーの招へいを断わったのは、実は不安障害で行きたくとも行けなかったのが真実だ。その際に「夏休みに行くから」と言い訳したことで、彼には“非国民”の烙印さえ押された。エンケは心の病を秘したまま命を絶ち、公にした者もヘスス・ナバスやイニエスタ、ブッフォンのようにキャリアの晩年あるいは引退後のことが多い。その点、現在進行中の問題として告白したアンドレ・ゴメスは異色だった。“人間らしさ”を告白した勇気をカンプノウの観衆はスタンディングオベーションで讃えたのだが、彼が安息の地を見つけたのは告白の5カ月後に移籍したイングランドでのことだった。

バルセロナではビッグクラブの重圧に苦しんだアンドレ・ゴメスは2018-19途中にエバートンへ。19-20は試合中のタックルでフィジカル面で重傷を負ったが復活を果たした

Photos: Getty Images, Bongarts/Getty Images

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木村 浩嗣

編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。

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