戦術とマネージメントの融合――「雰囲気」を科学する
TACTICAL FRONTIER
サッカー戦術の最前線は近年急激なスピードで進化している。インターネットの発達で国境を越えた情報にアクセスできるようになり、指導者のキャリア形成や目指すサッカースタイルに明らかな変化が生まれた。国籍・プロアマ問わず最先端の理論が共有されるボーダーレス化の先に待つのは、どんな未来なのか? すでに世界各国で起こり始めている“戦術革命”にフォーカスし、複雑化した現代サッカーの新しい楽しみ方を提案したい。
戦術を重要視するアプローチは、チームの配置やメカニズムを机上で解読することを可能にするが、一方で「人間によってプレーされるスポーツ」であるフットボールの複雑性を軽視することに繋がるリスクを内包している。11人という比較的多くのプレーヤーが105m×68mのピッチをカバーしなければならない特性から、フットボールは不確定要素の多いスポーツだと考えられている。だからこそ、チームのモチベーション管理は重要だ。ジョセップ・グアルディオラやマッシミリアーノ・アレグリ、ユリアン・ナーゲルスマンが常に意識しているように、指揮官にはチームをマネージメントするスキルが求められる。今回はチームのパフォーマンスを最大化するために必要不可欠な「雰囲気」のマネージメントについて考えていきたい。
Googleの「プロジェクト・アリストテレス」
チームビルディングについての研究は日本でも注目を集めつつあるが、この分野におけるパイオニアがGoogleであることに疑問の余地はないだろう。彼らはデータ分析の専門家である利点を生かし、様々な施策の効果を検証。組織論において、様々な議論のテーマを提供している。日本ではどうしても優秀なマネージャーのスキルに依存し、言語化が疎かになりやすい領域を深く掘り下げていくGoogleのアプローチは、「プロジェクト・アリストテレス」という大規模な実験に帰結する。
彼らは大規模な資金を投じ、複雑に要素が絡み合うコミュニケーションという難題に挑んだ。その結果「心理的安全性」がチームの生産性の鍵であるという結論にたどり着く。同時に、成功するチームのコミュニケーションスタイルは「1つのパターンに限らない」事実を発見。チームを構成するメンバーの仲が良ければ成功するわけでもなければ、平等であれば成功するわけでもないのだ。
例えば、メディアが日本代表を報道する際「コミュニケーション」や「雰囲気」といった言葉が頻繁に用いられ、チームの具体的な機能性の検証を避けるための「便利なツール」になってしまっている。しかし実際は監督と選手のコミュニケーションは外部から可視化されにくく、単純化することは危険だ。個々のプレーヤーはそれぞれ異なる性格であり、指揮官のアプローチも多様であることを考えれば、コミュニケーションの質を限られた情報から評価することは困難であり、慎重を期す必要がある。Googleの例が示すように、チームビルディングとパフォーマンスは複雑に絡み合っているのだ。
だからこそ、世界トップレベルの戦術家は頻繁に「チームビルディングの重要性」を主張する。例えば今季からRBライプツィヒを率いるナーゲルスマンは過去のインタビューにおいて「コーチングの3割が戦術であり、残りの7割は社会的な能力だ」と述べている。特に選手たちの技術レベルが向上し、戦術の緻密化が急速に進行する現代フットボールにおいて違いを生み出すのは、集団のマネージメントにあるのかもしれない。彼は「トップレベルのチームには、良好な心理的な状態が求められる。そうすれば、戦術に適応しながら高いレベルのパフォーマンスを発揮可能だ」と語る。
フロリダ大学で長年スポーツ心理学教授を務めた故ロバート・シンガー氏によれば「戦術の遂行には状況判断力が求められるので、認知能力を左右するチームの心理状態が鍵となる」という。戦術とメンタルは「異なる概念」のように扱われることもあるが、実際は密接に関係している。
「個」ではたどり着けない「集団的知性」
1つ、示唆に富む研究を紹介しよう。カーネギーメロン大学のアニータ・ウーリー氏は、2010年に発表した論文において「集団のコミュニケーションを基礎とした知性」の存在を主張した。ランダムに2~5名のグループに分別された700名の被験者に様々な問題解決タスクを課したところ、あらゆるタイプのタスクで好成績を残すグループが発見された。ここで特筆すべきは、チームの結果が「個人の知能とは無関係であった」点である。研究グループは好成績を残すグループに共通していたものを「集団性知性」と名づけた。
成功したチームに共通したのが高い社会的感受性であり、各自がバランス良く会話に参加していることだった。これはGoogleがたどり着いた結果とも共通しており、「心理的な安全性」に支えられた集団活動への参加が鍵になることが見えてくる。
こうした考え方は最近のトレーニング理論のトレンドとも合致する。戦術的ピリオダイゼーションは組織の「意思決定」にフォーカスした概念で、ゲームモデルという共通の意思決定基準を設けることでチーム全体に「集団的知性」を与えるものだ。チームの指針となるプレー原則に合わせ、選手たちは集団の一員として次の行動を選択していく。
個々の選手がバラバラに思考するのではなく、チーム全体の指針に合わせて思考することが求められる中で、理想の選手像にも変化が生じている。強豪クラブのスカウトが「人間性」に着目する傾向も1つの好例だ。優れた社会性は今やロッカールームやトレーニンググラウンドでチームメイトと良好な関係を築くためだけでなく、ピッチ上のプレーにもポジティブな影響を与える。特に「社会的な能力」に優れた選手をそろえた今季のリバプールは組織として思考し、袋小路のような局面でも柔軟に解を導き出すことに成功している。
同時に監督にはグループを平等に扱うスキルが求められており、より協調的なアプローチが主流となりつつある。ジョゼ・モウリーニョがトッテナムの監督就任後、メディアを通じて選手を褒め称えることによって「チームに自信を取り戻させよう」としていることは典型だろう。
マンチェスター・シティはロッカールームを円形にすることで、グアルディオラがすべての選手を見渡せるような工夫を凝らしている。前述したナーゲルスマンも、ホームスタジアムである「レッドブル・アレーナ」のロッカールームを円形に改築してほしいと要望している。些細な工夫だが、円形の配置は選手同士のコミュニケーションにも繋がる。さらに円陣を組むのと同様に、チーム全体に精神的な結束を感じさせる効果もある。
一方で、「監督が選手を叱責するようなアプローチ」は選手の「心理的な安全性」を損なってしまうリスクが大きい(選手の性格にも関係してくることから、一概に悪手と考えるべきではないが……)。
「武道的なアプローチ」の新しい意味づけ
躾を重んじる「武道的なアプローチ」は正しい型を追い求める思想を基礎としており、フットボールへの適用に伴うリスクが指摘されている。しかし、規範を重視する「日本的なアプローチ」を見直す動きも存在する。日本のユースチームが試合後、ロッカールームを全員で協力しながら掃除する姿を偶然見かけ、自らのチームにも浸透させた指導者がいるという。これは単に教育的なアプローチと考えられがちだが、チームビルディングという視点でも「平等にタスクを振り分け、協力させる」という点で効果的だ。
グアルディオラとユルゲン・クロップが「選手がすべてのチームスタッフを尊重すること」を重要視するのも、チームビルディングの一環だ。裏方として働くスタッフの名前を覚え、毎朝挨拶をすることを選手たちにルール化。日々のコミュニケーションを通じて、選手たちは所属クラブとの精神的な繋がりを実感することになる。
バルセロナの強みが「クラブに所属する全員が、クラブの哲学を理解している」ことにあると言われているように、ゲームモデルは選手や監督だけが作るものではない。チームビルディングは些細な取り組みからスタートしており、それが積み重なることで意識を共有したチームが生まれる。イングランド代表で活躍したパフォーマンス心理学の専門家、ピッパ・グレンジは「選手と接するすべてのスタッフが、選手のモチベーションを高める心理学者として機能する組織が理想」とコメントしており、チームの文化や哲学を浸透させることは選手のメンタル面をサポートする効果もある。
日本の部活動でも「規範として選手に指導している」挨拶に、欧州の覇を競う指揮官が着目しているのは興味深い。日本的な文化を不必要に卑下するのでもなく、盲目的に順守するのでもなく、科学的なアプローチで見直してみることは、より効果を自覚し最大化するためにも大切なのかもしれない。
Photos: Bongarts/Getty Images, Getty Images
Profile
結城 康平
1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。