等価交換移籍、代理人、FFP、資本と市場のグローバル化…
ここ1、2年の欧州移籍市場に見られる大きな特徴は、本来の目的たるべき「チームの戦力強化」よりもむしろ「移籍そのものを通じた利益の増大」に軸足を置いた選手の売買が増えていることにある。本誌が2017年10月号で特集した「プレーヤーの債券化」がさらに進展しているという印象だ。事実、クラブのマネージメントや強化責任者の間でも「プレーヤートレーディング」という言葉が当たり前のように使われるようになってきている。その背景にはいったい何があるのだろうか?
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プレーヤートレーディングは、直訳すれば「選手売買」となる。これ自体はまったくニュートラルな言葉なのだが、実際には「移籍を通して利益を上げること自体を目的とする選手売買」を指して使われている。
選手の移籍や売買それ自体は、プロサッカーが始まった当時からずっと行われてきたことである。しかしそれから20世紀末までの間は、選手の保有権は契約が満了してもなおクラブの手中にあり、選手の自由意思による移籍は許されていなかったため、1人の選手は多くても2、3のクラブでキャリアをまっとうするのが当たり前だった。それを劇的に変えたのが1995年のボスマン判決である。これによって移籍の自由化(契約満了による保有権喪失、EU域内の外国人枠撤廃)が実現して以降は、それ以前とは比較にならないレベルで移籍市場が活性化していった。
しかしそれでもある時期までは、選手を売買する主な目的はあくまで「チームの強化」であり、選手売却益はその副産物という位置づけ以上ではなかった。少なくとも、5大リーグで優勝を狙うレベルのメガクラブ、ビッグクラブにとって、移籍収支がマイナスになるのは当たり前のことであり、その赤字を何らかの方法で(時には私財を投じて)穴埋めすることこそがオーナーの役割だとすら考えられていた。
発端は90年代セリエAの「等価交換移籍」
その中で、初めて「プレーヤートレーディング」的な動きが起こったのは、1990年代末のイタリアだった。きっかけは1998年夏、衛星ペイTVの急速な普及に伴ってセリエAの放映権料が一気に跳ね上がったこと。補強予算が増えたビッグクラブの間でスター選手の獲得競争が起こり、セリエAの移籍市場は大いに活性化したが、それが同時に移籍金と年俸の相場急騰をもたらし、史上初の「移籍金バブル」を引き起こした。
目先の勝利を追求するあまり、クラブの売上高だけではまかない切れない資金をチームの戦力強化(移籍金、年俸)に注ぎ込み、赤字が膨れ上がっていくというのは、国や経営規模にかかわらず、どんなプロサッカークラブも陥りやすい罠である。強いチームを作るためには優秀な選手を数多く抱えること、ひいては戦力強化に多くの資金を投下することが最も手っ取り早い近道だという現実がある以上、「補強の誘惑」に抗うのは簡単なことではない。この時期のイタリアでも、「セブンシスターズ」と呼ばれた有力7クラブの間で選手獲得競争が過熱した結果、ローマ、ラツィオ、パルマ、フィオレンティーナという4クラブが過大投資による赤字で深刻な財政危機に陥り、2002年から04年にかけて実質的に経営破綻するという結末になった。
その過程で、帳簿上の赤字を粉飾する手段として使われたのが、「等価交換移籍」という手法だった。2つのクラブが同じ値札のついた選手を交換すれば、結果的には一銭も移籍金を支払わずに移籍が成立する。その値札についた金額は、同じ数字でさえあれば、高かろうが安かろうが実質的には相殺されるのだから、何の変わりもない――はずなのだが、実際には大いに変わりがある。それぞれの選手を獲得した費用よりも高い値段をつけて売れば、帳簿上はそこに差益が発生するからだ。お互いのクラブが100万ユーロで獲得した選手に1000万ユーロの値札をつけて等価交換すれば、それぞれのクラブは、移籍金を一銭も払わずに900万ユーロの選手売却差益を計上することができる。形式的な移籍によって、文字通り無から有を生み出す。「プレーヤーの債券化」の始まりである。……
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Profile
片野 道郎
1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。