10月26日から11月17日にかけてブラジルで開催されたFIFA U-17ワールドカップにおいて、開催国ブラジルは7戦全勝で優勝を飾った。グループリーグは破竹の9得点1失点で1位通過を決め、決勝トーナメントでは準決勝フランス戦で2点のビハインドをひっくり返した上、決勝のメキシコ戦では後半アディショナルタイムに逆転弾を決めたのだから、大会を、そしてブラジル国民を多いに熱狂させる締めくくりとなった。
長期的視野に立ちギリェルメ監督を続投
実はブラジル、この大会の大陸予選を兼ねた今年3月の南米選手権で、上位4チームの出場枠を獲得できずに敗退している。監督はギリェルメ・デラ・デア。クラブで育成年代を手掛け、2015年からはU-15を皮切りに、ブラジルの育成年代の代表を指導している。
CBF(ブラジルサッカー連盟)は、ブラジルが開催国枠で出場することになった際、その育成年代のスペシャリストの続投を決めた。南米選手権敗退にもかかわらず長期スパンでのプロジェクトを継続したのは、ブラジルでは珍しいことだ。
そして、ギリェルメ監督は2つのテーマを押し出しながらチーム再建を進めた。その1つが「ブラジルサッカーのアイデンティティ」だ。
「チームの一員として勝利への責任感を持ち、対戦相手を尊重する。その上で、見て楽しめる試合をする。それこそが良い形で国を代表することを意味し、セレソンはみんなに愛され、才能豊かな選手たちがこの先、フル代表でもプレーできるようにもなる。それが我々の仕事だ」
今やブラジルと言えど、監督が「見て楽しめるサッカーを目指す」と明言するのは簡単ではない。「勝利か、ビューティフルゲームか」というのは、最も華麗なサッカーをしながら優勝を逃したと言われるW杯1982年大会や、守備的なサッカーで優勝したと言われた1994年大会の頃から、常にセレソンに投げ掛けられてきた問いだ。
団結力を高めて世界王者に
もう1つ、監督が強調し続けたのが「メンタル面の強化」。
南米選手権で運命を分けることになったアルゼンチン戦は、選手たちがプレッシャーの中、メンタル面をコントロールできなかったことを敗因の1つに挙げている。そのため、U-17W杯への準備として合宿や国際親善試合、大会参加を重ねる中で、選手選考や戦術の浸透などと平行し、チームの結束を強めることにも力を注いだ。
メディアの注目がすでにプロチームで活躍する選手に集まる中、そうでない選手たちとの垣根を作らないよう、すべての選手の重要性を、チームの外に向けてもアピールし続けた。CBF公式サイト上でも選手一人ひとりの特集記事を日替わりで掲載するなど、フル代表さながらの力が入れられた。
国内での親善試合はチャリティーマッチとなり、選手たちは国民のために戦う意識を高めた。
移動のバスやロッカールームには、フル代表と同様にサンバの楽器を持ち込んだものの、選手たちは最初、遠慮がちだったらしい。その際、なんとチームドクターが7月から温めてきた自作のサンバを選手たちに披露した。「僕らはみんなでU-17W杯を戦い、一緒に歴史を築くんだ」と歌詞が続くそのサンバは、選手たちにあっという間に浸透。その後は大会を通してみんなで歌い、士気と結束力を高めるためのチームソングになった。決勝トーナメント1回戦でタリス・マギノが負傷離脱した後は、彼のぶんも戦おうという思いを力に変えた。
指揮官は毎試合出られるわけではない選手たちのモチベーションを維持することにも心を砕いた。ロッカールームを出る時に一人ひとりを強く抱きしめ、「君は重要な選手だ」と言い続けたのもその1つだ。思いは届き、大会初戦以降、出番のなかったラザロが準決勝と決勝で途中出場し、決勝点を決めた。
集中しよう、気持ちをコントロールしよう、そして、ブラジルで初開催となるU-17W杯で優勝しようと語り続けたギリェルメ監督。選手起用や戦術の採用、試合中の采配はもちろんのこと、栄光の後も選手たちに感謝し、団結力を称える姿には、それだからこそ称賛が集まっている。
Photos: Kiyomi Fujiwara, Getty Images
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Profile
藤原 清美
2001年、リオデジャネイロに拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特にサッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のTV・執筆等で成果を発表している。W杯6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTube『Planeta Kiyomi』も運営中。