結局、ネイマールはパリに残った
9月2日深夜23時59分まで待ったが、何も起きなかった。ジダンの「爆弾がさく裂するかもしれない」という予言に期待していたが、ケイラー・ナバスの小爆弾が爆発しただけ。バルセロナにはパリ・サンジェルマンの要求する移籍金を払う能力がなく、レアル・マドリーには金があったものの、ネイマールへの説得力を持たなかった。結局のところ、「バルセロナしか行きたくない」と本人が発言し、バルセロナの金庫が空で、パリSGが分割払いを拒否した時点で、この夏の噂話は噂だけに終わることが確定していたのだった。
だが、このネイマール移籍騒動は何人かの被害者を残した。
まずはバルトメウ会長。
苦しいと言われていたバルセロナの財政状態が本当に苦しいことがこの騒動で発覚。と同時に、メッシを筆頭とする選手たちからは、“本気で獲りに行かなかったでは”と疑われ、反会長勢力からは“そもそもネイマールが必要だったのか?”と批判される。
ネイマールが加入していれば売出し中のカンテラーノ、カルレス・ペレス、アンス・ファティの居場所はトップチームになかった。フレンキー・デ・ヨンクの加入で中盤にオーバーブッキングが起き、カンテラーノのリキ・プイグのトップ登録が見送られ、ラフィーニャ、デニス・スアレスは放出されねばならなかった。ジュニオールの加入でBチームのミランダがジョルディ・アルバの控えとなる道は閉ざされた。“ネイマールを獲りに行く前にやることはあるだろう?”という突っ込みどころ満載の今夏の補強戦略だったのだ。
「トレード要員」とされた選手たち
次に、ラキティッチとデンベレ。
彼らはいずれもネイマールと引き替えの移籍金を安くするためのトレード要員とされた。そのせいなのかラキティッチは、開幕からベンチ暮らし。3試合連続の控えはバルセロナ加入後では初である。放出候補の負傷を避けるためにプレーさせないのはよくあることだ。
デンベレの方は、グリーズマンに先発の座を奪われた上での放出リスト入りで、クラブに歓迎される存在ではないことが明らかになってしまった。いくらプロであるとは言え、モチベーションが落ちて当然の状況だ。一方で、出て行きたいという願いを抱いているエースを迎えるパリSGのチームメイトの心境も複雑だろう。
逆に、ネイマールが来なくて最も喜んでいるのはバルベルデ監督ではないか。シーズンが始まってのチーム大改革はなくなり、メッシ、ルイス・スアレス、グリーズマン、ネイマールの戦術的共存と、エゴのコントロールに頭を悩まさなくて良くなった。やっとチームが固まり、コンペティションに集中できるのだ。
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Profile
木村 浩嗣
編集者を経て94年にスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟の監督ライセンスを取得し少年チームを指導。06年の創刊時から務めた『footballista』編集長を15年7月に辞し、フリーに。17年にユース指導を休止する一方、映画関連の執筆に進出。グアルディオラ、イエロ、リージョ、パコ・へメス、ブトラゲーニョ、メンディリバル、セティエン、アベラルド、マルセリーノ、モンチ、エウセビオら一家言ある人へインタビュー経験多数。