マルセイユでの幸せな日々 酒井宏樹の歩む道
酒井宏樹が戦いの舞台を日本から欧州に移して8年目のシーズンを迎えようとしている。ハノーファーでは降格の憂き目に遭うも、マルセイユ移籍後はヨーロッパリーグで準優勝。日本代表としては2018年ロシアでW杯初出場するなど、選手として多くの経験を積み重ねてきた。実績はもちろん、29歳という年齢的にもチームを牽引する立場になりつつある中で見据える今後のキャリアとは。
実感したW杯の価値
――酒井選手にとって4シーズン目のリーグ1が開幕しますが、このリーグの魅力は何ですか?
「ネイマールやムバッペが代表的ですが、前線に個性がある選手が多いのでディフェンダーとしてはいろんな刺激を受けることができます。まだ有名ではない選手がサプライズですごいプレーをすることも多いので、試合前はマッチアップする選手を見て、特徴を掴んだ上で試合に臨むようにしています。あと、オープンな試合展開になることが多いので、ファンにとっては面白いと思います」
――ディフェンダーとしては難しいリーグですが、学びも多そうですね。
「リーグ1でプレーすることでいろんな選手への免疫もできますし、楽しいですね。自分のサッカーキャリアもあと何年出来るか分からないですし、1試合1試合が貴重な経験と思ってプレーしています」
――リーグ1は2連覇中のパリ・サンジェルマンの1強状態とも言えますが、同クラブと対戦する“フランス・ダービー”はモチベーションが高まりますか?
「街が特別な雰囲気になります。マルセイユの人達は絶対にパリには負けたくない。試合前の1週間は練習場にサポーターも来ます。本当は非公開なんですけどね(笑)。SNSにも(サポーターから)メッセージが直接来ますし。ファンが熱く応援してくれるのは感謝しないといけない。だから、この試合だけは唯一楽しめないです。街のために戦う感覚。実際、試合展開もカードが多くなりますし、僕達も(感情を)制御できなくなることがあります」
――UEFAヨーロッパリーグについてもお聞かせください。2017-2018シーズンは準優勝でしたが、昨シーズンはグループステージ敗退。酒井選手が考えるこの2シーズンの違いはありますか?
「……難しいですね。それが分かれば早く修正できたのですが。いろんな要素があるとは思いますが、昨シーズンは答えを見つけることができませんでした。ヨーロッパリーグはヨーロッパ中堅国リーグの1位クラブも出てくるのですが、全然プレースタイルが違うし、チームとして成熟していることも多いので勝つのは簡単ではないです」
――ただ、選手個人としての成長を考えた時にはヨーロッパリーグでの経験は大きそうです。
「そうですね。僕はブンデスとリーグ・アンでの経験がありますが、この2リーグだけでもサッカーが全く違います。そして、ヨーロッパリーグを経験して更に違いを実感しました。この違いは楽しいですよ」
――未知への恐怖よりも新しいものへの魅力を感じるタイプなのですね。
「W杯のことを考えると、その舞台で知らないことと対峙する恐怖の方が怖いですね。その準備だと思えばヨーロッパでの戦いでの新しい経験はポジティブに捉えられます」
――W杯はサッカー選手としてのキャリアを考える際に大きな基準になりますか?
「若い時はそこまで意識していなかったですし、まずクラブという順位付けだったのですが、あのロシアでの戦いを経験してしまうと……。実際にピッチに立つとやはり特別と言いますか、すごく楽しくて。4年間を賭ける価値のある大会だというのは思いました。とはいえ、3年後ですからね。1年1年の積み重ねの先にあるものなので、クラブでの戦いを大切にした上で狙っていきたいです」
――大きな大会という意味では「UEFAチャンピオンズリーグ」への想いはいかがでしょうか?
「出たいです。子供の頃からの憧れであるアンセムをスタジアムで聞きたいという想いはありますよ。夢ですね。ただ、どのクラブで出場するのかも大切にしたいと思っています。出場するだけではなく、何ができるのかも大事なので。そのレベルに達するために今は準備期間ですね」
――マルセイユへの愛着はかなり強いように感じますが、そうした中でもステップアップへの意欲はお持ちですか?
「良い意味で断れないオファーがあれば。サッカー選手という職業柄、急にマルセイユとの関係が悪くなって移籍せざるをえない可能性もある。これはもう自分でも分からないことですからね。ただ、今は本当にマルセイユで満足……いや、満足どころじゃないですね。幸せです」
――昨年はマルセイユサポーター選出のクラブ年間MVPに選ばれるなど相思相愛ですね。ご自身では何が評価されていると感じますか?
「分からないですが、僕自身としては“安定感”を目標にしています。僕がそこにいることによって右サイドは大丈夫と感じてもらいたい。普通のプレーをやっているように見えて、意外とハイレベルというのが理想。それが本当のトッププレーヤーだと思います」
――今シーズン前は移籍の可能性も噂されましたが、今後のキャリアを考える上で大切にしている基準はありますか?
「移籍するにしても家族が住みたい街でプレーしたいですね。そういう意味ではマルセイユは生活のクオリティが高いので。それを下げてまで移籍するのはサッカー選手としては正しい道だったとしても、人としてはどうなのか。そのようなバランスを見ながら決定したいです。今の生活を捨ててでも本当に自分が移籍したいのか。そのレベルのクラブからオファーが来たら検討するくらいのスタンスですね」
――この夏は欧州でプレーしていた日本人選手のJリーグ復帰が数ケースありましたが、酒井選手はいつか日本に戻ってきたい想いはありますか?
「もちろんあります。Jリーグでは50試合程度しかプレーしていないので。やはり日本人なので日本で生活しながらプレーする経験はしたいです」
正直な先輩でありたい
――日本人選手が欧州で成功するための条件として「コミュニケーション」の重要性はよく語られます。自分の考えを強く主張できることや、オープンマインドで明るくチームに溶け込むことがセオリーとして挙げられますが、著書を拝読すると酒井選手は強さよりも優しさや思いやりを重視するアプローチをされているように見えます。
「主張する時もありますが、伝えるタイミングは意識しています。例えば、相手が怒っている状態の時に僕も強く言っても話は絶対にまとまらない。まずは相手の話を聞いて、次の日の練習後など冷静な状態の時に『あの時は……』と話せば良いコミュニケーションが取れる。けど、優しいだけでもないですよ。嫌なことは嫌と伝えるようにしていますし。ハッキリ伝えないことで相手に気を遣わせるケースもありますから」
――そのコミュニケーション術は欧州生活にフィットさせるために意識を変えたのですか?
「いや、日本にいる頃から変わらないと思います。レイソルにいた若手のころからこんな感じでした。(コミュニケーション術には)正解はないと思います。僕の性格においてはこれがベターだったということ。人によって違う。例えば、同じことを(本田)圭佑君がやるのは絶対違うと思います」
――酒井選手の年齢やキャリア的にはそろそろリーダーとしての役割も果たす必要も出てくると思うのですが、理想のリーダー像はありますか?
「僕はキャプテンというキャラクターではないです。ただ、後輩に対しては正直な先輩でありたいとは思います。悪いことは悪い、良いことは良いと伝えてあげたい。若手が困っていたらプレッシャーが少しでも軽減されるようなサポートをするとか、責任転嫁は絶対しないとか。基本的なことかもしれませんが、僕も先輩にそうやって支えてきてもらえたので、それを後輩に引継ぎたいですね。力強いリーダーが何人もいても良くないでしょ(笑)。良いリーダーがいれば、それをフォローする役割を担いたいです」
――例えば、大谷秀和選手や長谷部誠選手など偉大なリーダーと同じチームプレーした経験から感じたことはありますか?
「その2人はやっぱり特別ですね。常にブレない。谷くんも、長谷部さんも若い時からキャプテンをやっているからか、年上、年下、監督……すべての人達との付き合い方が上手い。偏ったスタンスと取ると不平不満が出るじゃないですか。ちょうどその間のポジションを取れるのは客観的に自身を見ることができている証拠だと思います」
――では、最後に今シーズンの抱負を教えてください。
「今年は結果にこだわりたいですね。個人としては出場できる時、できない時、それぞれのタイミングで自分を整理しながら、出場した際はクオリティを出せるように準備したいですね。ディフェンダーなので失点をしないことはもちろんですが、攻撃をサポートできるプレーも増やしたい。チームとしてはチャンピオンズリーグの出場権獲得。ファンはそれ以外を成功だと思ってくれないと思います。ヨーロッパリーグはもう最低限ですね」
Hiroki SAKAI
酒井宏樹(マルセイユ)
長野県中野市生まれ、千葉県柏市育ち。地元のクラブチームを経て03年、 中学入学と同時に柏レイソルU‒15に加入する。10年に当時J2のトップチームで初出場を果たすと、J1に復帰した11年には定位置を確保し、 J リーグ史上初となる昇格初年度の優勝に貢献。自身もベストイレブン&ベストヤングプレーヤー賞に輝く。その活躍で海 外の複数クラブからオファーが届く中、12年シーズン途中の 7月にハノーファーと契約し、4季で102試合2得点を記録した。16‒17からマルセイユに活躍の場を移し、リーグ1でも有数のSBとして高い評価を得ている。12年5月にデビューした日本代表では通算56キャップ。
Photos: Getty Images
Profile
玉利 剛一
1984年生まれ、大阪府出身。関西学院大学卒業後、スカパーJSAT株式会社入社。コンテンツプロモーションやJリーグオンデマンドアプリの開発・運用等を担当。その後、筑波大学大学院でスポーツ社会学領域の修士号を取得。2019年よりフットボリスタ編集部所属。ビジネス関連のテーマを中心に取材・執筆を行っている。サポーター目線をコンセプトとしたブログ「ロスタイムは7分です。」も運営。ツイッターID:@7additinaltime