バイエルンの新星が直面した海外移籍の難しさ
昨季の後半からスイスのベルン・ヤングボーイズに所属し、優勝に貢献したジャンルカ・ガウディーノのインタビューが『シュポルト・ビルト』に掲載された。2014年に17歳でペップ・グアルディオラの下、バイエルンでデビューしたことで注目を集め、当時“次代のタレント候補”と目された選手だ。
そのシーズンでは、シーズン前のドイツ・スーパーカップ、ポカール、そしてリーグ戦とデビュー戦を記録。12月のCSKAモスクワ戦では、チャンピオンズリーグデビューも飾るなど、順風満帆にも見えるスタートを切った。
だが、翌シーズンにU-23チームに送られると、状況は一変。スイスのザンクト・ガレンにレンタル移籍、翌年の2017年7月にはイタリアのキエーボ・ベローナへ移籍。当時20歳の青年にとって、初の海外移籍はサッカー面でも生活面でも適応に苦労した。
「まだ若かった僕にとって、故郷から遠く離れて、いきなり降格争いの真っ只中で戦わないといけないチームでプレーするのは難しかった。(技術ではなく)フィジカルを全面に出して闘うことが求められたからね」
バイエルンでタレント候補がそろうなか、7歳の頃からエリート教育を受け、常に相手を圧倒するサッカーの中で育ったからこその難しさがあったことを説明した。
無所属になりつかみ直したチャンス
とりわけ、初めて体験する外国語の中で過ごす1年は、プロ選手としての引退を考えるほど苦しんだ。「1年間キエーボに所属して、契約の解消を願い出た。ゼロからやり直したかったんだ。サッカーを楽しめなくなっていたからね」と話し、引退も考えた瞬間もあったと打ち明けている。
無所属となった帰国後は、ボルシア・メンヘングラードバッハのセカンドチームでトレーニング。自信を取り戻し、今季はかつて久保裕也が所属したスイスのベルン・ヤングボーイズでCLのプレーオフに参加するチャンスを得た。
このことからも分かるように、日本人に限らず、どんなに能力があっても20歳前後の若者が、初めて住む言葉の通じない外国でプロとして成果を残すのは簡単ではない。最終的に、華々しい成功例だけが記憶に残るが、実際には苦戦を強いられている選手たちも多い。
セリエA全盛の頃に鮮烈なデビューを飾った中田英寿、ボルフスブルクで初優勝を飾った長谷部誠や、ドルトムントで輝きを放った香川真司、現在のレアル・マドリーで移籍早々に注目を集めている久保建英のような選手たちは、むしろ特殊な成功例なのだ。
足りなかった“15キロ”
バイエルンに留まることができなかった理由を聞かれたガウディーノは、「単純に、まだそれほど成長していなかったのさ。今は体重が75キロあるけれど、当時は60キロしかなかったからね。この15キロが足りなかったんだ。身体的にも、精神的にもバイエルンで生き残るために必要なレベルに達していなかった」と振り返る。
“15キロ”というメタファーに込められた心身の成長を実感する今では、この苦しい経験にも「より強くなれたことで感謝をしている」と話す。そして、同じような経験をしている“戦友”たちにもメッセージを送る。
「『自分が失敗した』だなんて、他の人が言ったって聞き入れてはいけない。ましてや、自分自身で『挫折してしまった』だなんて、言い聞かせてしまっては駄目なんだ」
海外移籍後に、思うように活躍できずに揶揄される選手たちも多い。だが、その経験の成否を決めるのは、その選手自身だということを、このインタビューは教えてくれる。今季も、日本人の若手選手たちが海外に移籍する報道が続いている。若い挑戦者たちに、このガウディーノの言葉が届くことを願っている。
Photo: Getty Images
Profile
鈴木 達朗
宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。