ラングニックとマインツを繋ぐ「サッキ」というベース
アリゴ・サッキのゾーンディフェンスを軸とした4バックの戦い方をほぼ同時代に用いていたラルフ・ラングニックとボルフガング・フランクという2人の指導者。この両者の系譜を行き来した現役の監督たちがいる。現PSGを率いるトーマス・トゥヘルと今季RBザルツブルクからボルシア・メンヘングラードバッハに移ったマルコ・ローゼだ。
ラングニックの下で選手として過ごし、仕事ぶりを見ていたトゥヘルがアウクスブルクの育成アカデミーからやって来て、すぐさまU-19で結果を出せたのも、マインツというクラブ自体がサッキのトレーニングを参考にしていたフランクやユルゲン・クロップのやり方に馴染んでいたこともあっただろう。
一方で、マインツでクロップやトゥヘルの下でプレーしたローゼがラングニックのコンセプトに基づいたRBザルツブルクで成功できたのも、ベースに“アリゴ・サッキ”という共通するコンセプトがあったからだ。
マインツの一貫した育成および戦術的コンセプト
FCアウクスブルクの育成機関からやって来て、すぐさまマインツのU-19をドイツ王者に導いたトゥヘルは、現在のマインツの監督の系譜をつなぐキーパーソンを紹介した。
「マインツの育成機関の成功は、マネージャーのフォルカー・ケルスティングの功績だ。指導者にとって、彼のような人物がそばに居てくれるのは、素晴らしいこと。彼の下では、自由に仕事を進めることを認めてくれたからね」
とはいえ、ケルスティングが自分の下で働く監督たちに自由を与えていたのは、その仕事ぶりがマインツの具体的な育成および戦術的なコンセプトに合致していたからだ。ケルスティングは、『キッカー』のインタビューの中で、「試合におけるゲームコンセプトと育成コンセプトを明文化し、それに厳密に従っている」と話す。このコンセプトの元になったのが、クロップの“師”にあたるフランクの仕事だったのだ。
ケルスティングがトゥヘルやローゼ、サンドロ・シュバルツ(現マインツ監督)、そしてマルティン・シュミット(現アウクスブルク監督)といった育成カテゴリーで活動していた面々に自由を与えたのは、彼らの仕事ぶりが、クラブの定めたコンセプトに沿っていたからに他ならない。
トゥヘル「トップチームと育成機関の交流が日常だった」
マインツ時代を振り返ったトゥヘルは、とりわけさまざまカテゴリーの監督たちとの交流を楽しんでいたようだ。「ドアは常に開かれていて、すぐに育成部門の監督たちとコミュニケーションが取れたんだ。それがU-23であれ、ユースチームであれ、常に話し合っていたね。それぞれがアイデアを出し合って、どの選手がどのカテゴリーのチームの合宿に参加するのか、といったことまで話し合って決めていた。シンプルにコミュニケーションを取れる環境を堪能していたよ」と小規模クラブだからこその利点をトゥヘルは説明する。
マインツの育成機関の監督は、不安を感じることなく仕事を行うことができる様子が見て取れる。というのも、監督やスタッフを招き入れる上で、明文化されたマインツのコンセプトに合った指導者たちを吟味するからだ。ケルスティングは、一度自身の目にかなった指導者には、最大限の信頼を寄せるとトゥヘルは感謝を述べている。
「マインツに来てすぐに、自分にとって正しいクラブだったと感じられた。のびのびと生活できて、創造的に仕事を進めることができたからね。フォルカー(ケルスティング)には大きな感謝している。彼は、最初から完全に信頼を寄せてくれていたんだ」
ドイツ国内で“指導者養成所”の名声を確保しつつあるマインツの育成機関。これからもブンデスリーガで活躍する指導者が定期的に出てくることだろう。
Photos: Getty Images
Profile
鈴木 達朗
宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。