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アメリカに0-3で敗れてもなおMVP。チリ代表GKの鬼神のごときセーブ

2019.06.27

チリの守護神、王者相手に魅せる

 なでしこジャパンはオランダに敗れて残念ながらラウンド16で敗退となったが、女子ワールドカップは、ここからが佳境だ。

 これまでの対戦を思い返してみると、ものすごく印象に残っているのは、グループステージのアメリカ対チリ、とりわけチリ代表のGKクリスティアナ・エンドラーの傑出したパフォーマンスだ。

 この試合はアメリカが前半に3点を決めて3-0で勝利したのだが、MVPに選ばれたのは、負けた側のGK、フランスでは“ティアナ”の愛称で呼ばれている、エンドラーだった。

 前半の3失点は、1点目はキャプテンのカーリ・ロイドが足の外側で蹴り込んだ素晴らしいミドルボレー、残りの2失点はコーナーキックから。しかし後半は、ティアナがことごとくピンチをクリアして、無失点に抑えた。

 この試合、アメリカのシュートは26本、うち枠内に飛んだのは9本だった。さらに15回ものCKのチャンスがあった中でチリが3失点に抑えられたのは、ティアナの鬼神のごときファインセーブがあってこそだ。

アメリカ戦で好守を連発したチリのGK「ティアナ」ことエンドラー

 敵将のジル・エリス監督も、「エンドラーはワールドクラスのGK。彼女の高いスキルについては十分警戒していた」と賞賛を惜しまなかった。

 182cmの長身を生かした高いボールの処理はもちろんのこと、反射神経が素晴らしい。特に、ポスト付近まで迫ってからシュートと見せかけて逆サイドにパスを出す、といった撹乱プレーにも、冷静、かつ的確に相手の動きを読んできっちり対応していたのには尊敬を覚えるほどだった。

 終盤の81分、アメリカはPKのチャンスを得たが、この日2本のゴールを決めて好調だったロイドは枠外に外してしまった。数々のティアナの迫力あるプレーを目の当たりにし、警戒してしまったに違いなかった。

パリではお馴染みのフランス年間ベストGK

普段はパリSGの守護神として活躍するエンドラー

 フランスの女子サッカーファンにとっては、ティアナのプレーはむしろ納得のパフォーマンスだったかもしれない。17-18シーズンからパリ・サンジェルマンに所属していて、昨シーズン(18-19)は、リーグ年間ベストGKにも選出された。彼女にとって、このアメリカ戦が行われたパルク・デ・プランスは、ホームグラウンドだったわけだ。

 そんな彼女のGKとしてのキャリアは実はまだ10年足らずで、サッカーを始めたときのポジションはFWだった。16歳でチリのU-17代表に呼ばれたときもまだ攻撃手だった。しかしその身長を買われてGKにコンバートされると、1年後にはGKとしてU-20世界選手権に出場していた。つまり実質1年で、代表レベルでプレーできる力を身につけてしまったのだ。

 所属クラブのコロコロでは、由緒あるコパ・リベルタドーレス・フェメニーナに優勝。その後、イングランドのチェルシーやスペインのパレンシアでもキャリアを積んできた。

 ティアナはチリの女子プロサッカー選手第1号ということもあり、会見やインタビューでは、同国の女子サッカー発展についての話題を向けられることが多い。

アメリカ戦のあとも、そのような質問に対し、「チリではまだ女子サッカーはアマチュア。その私たちが、このワールドカップの場に立ってプレーできたということは、結果はどうであれ、ひとつの達成であると感じています。このことは、このスポーツに身を捧げたいと願っている女子選手たちにとって、より大きなことへと発展するためのきっかけになったと思います」と、ゴールマウスでの時と同様、凛々しい様子で答えていた。

グループ敗退も、歴史に名は刻んだ

 ドイツ人の父親を持つ彼女の憧れの選手はオリバー・カーンだという。

「サッカーが私の人生を切り拓いてくれた」

 そう感謝の気持ちを忘れない彼女は、女子専用のサッカースクールを設立するなど、チリの女子サッカー発展にも熱心に取り組んでいる。

 スタジアムには、驚くほどたくさんのチリサポーターが詰めかけていて、アメリカの応援席ともどもスタンドは満員御礼だった。『USA!』と『チリ!』の掛け声が交互に響き、何度もウェーブが巻き起こる熱のこもった雰囲気に包まれた。試合前の国歌斉唱では、チリサポーターが、伴奏の音楽が鳴り止んでもまだ大声で歌い続けていたのが、なんとも微笑ましかった。

 チリは、同国史上初めて参戦した今回のワールドカップを、1勝2敗のグループ3位で終えたが、主将ティアナの活躍とチリ代表の奮闘は、しっかりと女子W杯史に刻まれた。

Photos : Getty Images

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アメリカ女子代表チリ女子代表パリ・サンジェルマン

Profile

小川 由紀子

ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。

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