「ドイツサッカー大使」ルポ【後編】独女子サッカー界が抱える危機感
前回は、元ドイツ女子代表のペトラ・ランダース氏が現在行なっているザンビアでの慈善活動について話をうかがった。
今回は、ドイツ代表監督のマルティナ・フォス・テッケルンブルク監督やシルビア・ナイド前代表監督らとともにプレーし、創世記を支えたランダース氏にドイツ女子サッカー界の現状とこれからの展望を聞いた。当事者たちの自国の女子サッカー界への危機感は、日本国内の女子サッカー関係者のそれと共通する部分も多い。
ドイツ女子サッカー界に衰退の兆候も……
──リソースの分配というところでは、ドイツ国内でも男女の差はまだまだ大きな隔たりもありますね。ランダースさん自身は、ドイツ代表としてプレーしていましたが、当時と比べて現在でも差はありますか? また、現在の状況をどう評価しますか?
「私自身もお金のためにプレーしていたわけではありません。ドイツサッカー連盟が1982年にドイツ女子代表チームを創設したとき、私もそのときのメンバーでした。1989年には欧州選手権のタイトルも獲得できましたが、まさに創世記ですね。
当時に比べれば、現在の女子代表チームは経済的にも支援を受けてはいますが、現在は少し下降気味でもあります。2012年にツバンツィガー会長が退いて以降、ドイツサッカー連盟は女子サッカーへの投資にあまり関心を示さなくなりました。もちろん、予算をかけてはいますが……。ワールドカップ・イヤーだというのに、今年に入ってからまだ一度もテレビで女子サッカーに関するCMを見ていません(5月15日時点)。テレビの宣伝がいまだにないのです。女子サッカーに関しては、以前と比べていくつか悪化している部分もあると感じています。露出が減り、認知度が減り、価値が落ち始めているのではないか、という危機感もありますね。
ドイツサッカー連盟が、再び女子サッカーにも力を入れてくれることを願っています。新しい会長、あるいは女性の会長が女子サッカーへの積極的な支援を呼びかけてくれることに期待しています。テオ・ツバンツィガー元会長は、その1人でした。彼が女子サッカーへ施した支援は、その変化に私たちもすぐに気づくほどのものでした。彼が会長を退いてからは、女子サッカーの露出度は再び低くなっていきました。
ドイツサッカー連盟の上層部が、すぐにでも再び女子サッカーに力を入れることが重要になります。なぜなら、今では欧州の周辺諸国も成長し、サッカーのレベルではドイツを追い越すまでになりました。また、他国では、非常に多くの観客の前でプレーしています。
先日の代表戦(対日本戦)では、平日の16時に試合をセッティングしていました。子供たちは15時まで学校があり、大人たちは仕事があります。こういったマッチメイキングは残念ですね。このままでは、ドイツ国内の女子サッカーをここからさらに成長させるのは不可能でしょう」
「とりあえず、やってみる」
──つい先日、『キッカー』誌のインタビューでは、女子代表のフォス・テッケルンブルク監督がデュッセルドルフの役員も務めていることも話していました。女性が、男子サッカー界で成功できると信じていますか?
「もちろんです。まずは、誰かが始めないといけません。はじめに『やります』と言える人が出てくる必要があります。私自身も経験から、そのことに気づきました。これからどうなるか分からなくとも、とにかく『できる』と信じることが必要なのです。『とりあえず、やってみる』と言って、第一歩を踏み出すことです。そうすれば、意外に多くのことを成し遂げられるものです。
マルティナ(フォス・テッケルンブルク監督)とは、一緒に1989年の欧州選手権で優勝しました。シルビア・ナイド元代表監督もいましたし、創世記にパイオニアとしてプレーした選手たちは、今でも大きなことに挑戦しています」
──女子W杯も直前です。元チームメイトのフォス・テッケルンブルク監督の手腕をどう見ていますか?
「スイス代表では、良い仕事をしていたと思います。これまで見たドイツ代表の試合でも、かなり良い内容の試合ができていました。もちろん、大会までに修正や改善もしていかなければなりませんが。というのも、シュテフィ・ジョーンズ元女子代表監督は、女子代表の2年間を無駄にしてしまいましたからね。残念ながら、チームはこれ以上に無いほど酷い状態にまでなっていました。そこから、どうにかうまく立ち直ることができました。2年も無駄にしましたが、“どん底”からは脱出できました。マルティナなら、チームをうまく率いてくれるでしょう」
フランスで開幕したワールドカップでの、ドイツ代表の躍進に期待したい。
Photos: Getty Images
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Profile
鈴木 達朗
宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。