クレバーでちょっとヤンキーなおじいちゃん
ディック・アドフォカートには「小将軍」という有名なニックネームの他に「ディッキー・デュラセル」という呼び名がある。デュラセルとは乾電池の商品名。“電池が切れるまでエネルギッシュに動き回る人”をデュラセルと呼ぶ。
今季途中から、ユトレヒトの監督を努めたアドフォカートは71歳。試合中に何十回(これは数えた人がいるから本当だ)も席を立ってサイドラインまで行って選手を怒鳴ったり指笛を吹いたりし、第4の審判に噛みつき叫ぶ。それでいて、采配は冷静。選手交代やシステム変更で、巧みに自軍に試合の流れを手繰り寄せてしまう。今でも野次を飛ばすファンには「おい、お前、降りてこい! 話がある」と言い返す直情的なところもある。アドフォカートは元気いっぱいだけど、怖いところもあって、クレバーで、ちょっとヤンキーな、人間味あふれる素敵なおじいちゃんなのだ。
いつから、彼は愛される人になったのだろうか。アドフォカートと言えば、オランダ代表を率いた2004年のユーロ、対チェコ戦でロッベンをベンチに下げて失敗し、逆転負けを食らった「世紀のミス采配」を思い出す。全国紙『アルヘメーン・ダッハブラット』がスポーツ欄一面にアドフォカートの大きな顔写真の上にバッテンを付けて、「(お前が)交代!」と大見出しを付けたのは記憶に新しい。そして、オランダ人はアドフォカートの人格批判まで始めてしまった。
一応、オランダはベスト4まで勝ち進んだ。しかし、04年のユーロでオランダが成功したと言う人は誰もいない。私は「アドフォカートがオランダで監督をすることはもうないな」と思ったものだった。
世界中を流れ流れてオランダ帰還
ボルシア・メンヘングラードバッハ、アラブ首長国連邦、韓国を経て、アドフォカートがオランダに戻ってきたのは09年12月のことだった。当時のアドフォカートはベルギー代表の監督だったのだが、成績不振でロナルド・クーマンを解雇したAZが「ベルギー代表の監督を務めながらでいいから、暫定監督としてAZを助けてくれ」とアドフォカートに泣きついたのだ。アドフォカートは見事にチームをヨーロッパリーグ出場に導いた。
AZの監督を務めていた10年4月、アドフォカートは突然、ベルギー代表監督の座を辞し、7月からロシア代表の監督になった。「AZのことを少ないサラリーで助けたとは言え、やっぱりアドフォカートは金の亡者か」と見る向きも当時はあった。
2012-13シーズン、アドフォカートは1年契約でPSVを率いた。クラブがアドフォカートに期待したのは、フィリップ・コクーに“帝王学”を授けることだった。16年2月には、迷えるフェイエノールトの新人監督、ファン・ブロンクホルストのアドバイザーとして無給で助け、彼を一人前に育てた。この辺りから「困った時のディック」の名声が確立されていく。
「よくぞ監督を引き受けてくれた」
17年のオランダは低迷期で、18年ワールドカップ出場に黄信号が点滅し、間もなく赤信号に変わろうとしていた。ダニー・ブリント監督が更迭されたが、沈みゆく船に乗り込もうとする者はいなかった。そこでKNVBはアドフォカートに頼んだ。結局、アドフォカートはオランダをロシアに連れて行くことは出来なかったが、当時の絶望的な状況を鑑みれば4勝1敗の結果は悪くなかった。
17年12月、アレックス・パストールを解雇したスパルタもまた、アドフォカートに「うちを助けてくれ」と頼んだ。結果は振るわず、スパルタは2部に降格してしまった。アドフォカートにとっては、オランダ代表をW杯に、スパルタを1部残留に導くことは出来なかったのだが、人々は彼を責めるどころか、「チームが酷い状況で名声を汚す可能性もあったのに、よくぞ監督を引き受けてくれた」と感謝するのである。
そして18年9月、ジャン・ポール・デ・ヨングを解雇したユトレヒトは、アドフォカートに泣きついた。オランダリーグを6位という好成績で終えたユトレヒトは、プレーオフ決勝でフィテッセを破り、来季のヨーロッパリーグ出場権を得た。その試合で、選手がゴールを決めると席を立ち、渾身の力でコーチのゼリコ・ペトロビッチと抱き合って、勝利を確信した瞬間には一粒の涙を流し、タイムアップの笛が鳴るとコーチングスタッフや会長と喜びを分かち合って即座にロッカールームに帰っていくも、部屋を間違えそうになったデュラセル・ディック。
戦前から「もう私はオランダで監督をしない」とアドフォカートは宣言していた。だが、困った時はやはりディックだ。サッカークレージーでワーカホリックのアドフォカートのことだ。誰かに頼まれたら、きっとまたオランダのピッチの上に立っちゃうのだろう。
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Profile
中田 徹
メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。