2月下旬、パリは2019-20秋冬コレクション真っ盛り。この時期、入り口におしゃれな人が集まっている建物の中では、たいていどこかのブランドのショーが行われている。その中の一つ、パリコレ常連の人気ブランド『アンリアレイジ』の舞台裏では、およそショーの喧騒とは対照的な、ほっこりとした匂いが漂っていた。その香りのもとをたどっていくと、やさしい湯気を上げる大きな鍋をかき回していたのは、なんと長友佑都選手の専属シェフ、加藤超也氏。
アスリート専属シェフのパイオニアがなぜモードの現場に? ショーの直前は、準備に追われて2、3日の徹夜は当たり前という過酷な状況だ。「みんな疲労困憊で、モデルもスタッフも当日フルに力が出せるかという点で食事は大きく影響する」と考えたデザイナーの森永邦彦氏を、共通の知人が、パフォーマンスを高める食事法を専門とする加藤氏に結びつけたのだった。
コールラビのスープでみんな笑顔
依頼を快諾した加藤氏がショー当日の元気メシに用意したのはコールラビを使ったポタージュ。コールラビはキャベツとカブの合いの子のような野菜だ。この食材を選んだ理由は、まず旬であること、リラックス効果の高いビタミンCと利尿効果の高いカリウムが豊富で、本番直前の緊張をほぐしてむくみの解消にもなる。そして温かいスープは寒さで収縮した血管をほぐし、表情や血色が豊かになる。長友選手も加藤氏の作ったスープを味わって専属シェフ採用を即決したというが、このコールラビのスープも、ほんの少しのお水とお塩とオリーブオイルを加えただけで、素材の甘みがぎゅっと濃縮された、今思い出してもヨダレが出そうなおいしさ。一口食べたスタッフやモデルたちは、たちまちパァ~っと花が咲いたような笑顔になった。
何度もおかわりしていたウクライナ出身のモデル、ラグラも「スイーツしかない現場もある。ヘルシーなスープが用意されているなんて本当にうれしい。それにすっごく美味しい! 今まで食べたことない味だわ!」と大喜び。「モデルをここまでケアしてくれるデザイナーはこれまで一人もいなかった。ショーをいつもよりがんばろう!という気になる!」。体に良いものを摂取してもらって良いショー作りをしたいという森永氏の願いは、加藤氏の極上スープとともにしっかりスタッフやモデルたちの体に染み込んでいた。
これまでアスリートを支えてきた加藤氏には「食でコンディションを整えること」を世の中に発信したいという思いがある。「ファッションの世界でも、体をきれいに見せる、健康で表情豊かにする、というところで食事はとても重要。それを発信できる良い機会だと思いました」とトルコからトンボ帰りでこのプロジェクトに参加した。森永氏も「今回のコレクションのテーマは『DETAIL』、『神は細部に宿る』なので、どこまでその“細部”(=衣服を身につける体の部分)をしっかり作れるか、という点でもテーマ性が合った」と手ごたえを得た様子。デザイナーとアスリート専属シェフ、気鋭2人の異色のマリアージュに支えられたショーは大喝采の中、幕を閉じた。
Photos: Yukiko Ogawa
Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。