マルコ・ロイス。彼がいたら、と言われ続け…29歳、今、史上最高
“自分の体は年間60試合もたない、という現実を受け入れたんだ”
Marco Reus
マルコ・ロイス
FW11|ドルトムント
1989.5.31(29歳) GERMANY
多くのケガに泣かされ“Pechvogel”(運の悪い人)と呼ばれた男が、29歳にしてキャリア史上最高のパフォーマンスを見せている。
マルコ・ロイスは今季のブンデスリーガ前期(前半戦17節)に11得点7アシストと大爆発し、選手たちが投票する『キッカー』誌のアンケートで前期MVPを受賞。昨年11月のバイエルン戦では2得点を挙げただけでなく、両チームの中で最も運動量が多い選手になった(12.5km)。首位争いを続けるドルトムントの大きな原動力になっている。
これまでにロイスは、大きな大会のたびに負傷離脱を繰り返してきた。まずは2014年W杯の直前。ドイツがブラジル出発前に行ったアルメニアとの親善試合で、足首の靱帯を痛めて急きょメンバー外に。EURO2016前には長らく恥骨炎と内転筋のケガに悩まされ、メンバーに選ばれなかった。
悲劇はこれで終わらない。2017年5月のDFBポカール決勝、フランクフルト戦では右膝を痛めてハーフタイムで交代。後十字靱帯の部分断裂と診断されて手術を行い、約7カ月間プレーできなくなった。
手術後の「とてつもない孤独」
なぜこれほどケガが多いのか? 真の原因は不明だが、筋力が人より強く、シュートの際のダメージが大きいと言われている。強烈なミドルシュートは武器だが、諸刃の剣でもあるのだ。
『南ドイツ新聞』は「ドイツで最も仮定法が使われる男」と名づけた。“もしあの大会でロイスがいたら……”と誰もが思うという意味だ。
膝の手術の4カ月後、ロイスは『GQ』のインタビューで当時の思いをこう吐露している。
「あのDFBポカール決勝は、まさに天国と地獄が同時に訪れた感じだった。ドルトムントは優勝し、僕にとって初めてのタイトルになった。膝に痛みを抱えながらも、うれしくてチームメイトたちとともに祝福した。しかし翌日、ベルリンからドルトムントに戻って病院で検査を受けると、重症であることがわかった。午後に優勝パレードを控えていたのにね。興奮してアドレナリンも出ていたから、最初は現実とは思えなかった。でも手術後に、ようやく現実だと理解したんだ」
ロイスは一人で涙を流したという。
「まず決勝のハーフタイムに、ロッカールームで涙が流れた。その2、3日後、すべてを思い出してもう1度泣いた。でも、こう思ったよ。こんな時には、自分の感情を外に吐き出してしまうことも大事だってね」
選手が靱帯を手術した時、最も大切なのはリハビリだ。マッサージや軽い負荷によって損傷部の血流を促しつつ、同時に他の筋肉が衰えてしまわないようにトレーニングを行う。サッカーのプレーに比べると、地味で単調な作業だ。
「とてつもなく孤独だった。もちろんリハビリのトレーナーがいるのだけど、ピッチで約25人の仲間たちとボールを蹴るのとは違う。自分で自分を奮い立たせなければならない。3週間で途方に暮れた。4カ月後もまだ走れないことをわかっていたから。とても消耗したきつい時期だった」
そんな時、助けになったのが恋人と家族だった。
「恋人や家族が辛い時に励ましてくれた。彼らがいなかったら、心が壊れてしまっていたと思う」
初のW杯でも“もし”の悔しさ
ロイスは2018年2月に復帰すると、鬱憤(うっぷん)を試合にぶつけた。ブンデスリーガの11試合で7得点。チーム復調の後押しをし、CL出場権獲得に大きく貢献した。ロシアW杯のメンバーにも選ばれ、ついに初のW杯出場が目前に迫った。『南ドイツ新聞』は「W杯連覇の秘密兵器」と期待を寄せた。
ところが、長期間の離脱により、すでにドイツ代表内にはヒエラルキーができ上がっていた。大会前にヨアヒム・レーブ監督から、こう告げられた。
「大会は長い。初戦ではベンチスタートになる予定だ。大事な試合に君を使う」
メキシコとの初戦で、レーブが先発に選んだのは2014年W杯優勝メンバーのエジルとケディラだった。だが彼らの動きは重く、35分に先制点を許してしまう。ロイスは60分にケディラに代わってピッチに入り、反撃を試みたがゴールならず。ドイツは0-1で初戦を落としてしまった。『南ドイツ新聞』はこう批判した。
「レーブは初戦を重要と思っていなかったのか? なぜロイスを先発させなかったのか?」
おそらくレーブも、自分の過ちに気づいたのだろう。ロイスは第2節スウェーデン戦の先発に抜擢される。すると同点ゴールを決め、2-1の劇的な逆転勝利に貢献した。だが、初戦の出遅れを取り戻すのは簡単ではなかった。他会場のスコアによっては第3節で2点差以上の勝利が必要となり、ドイツは冷静さを失ってしまう。ロイスは韓国戦でも先発したが、先制を許して0-2で惨敗。前回王者がグループステージで姿を消した。
もしロイスが初戦で先発していたら……。今度は別の形で“もし”の悔しさを味わうことになった。
復活。最大の要因はトップ下
しかし、様々な経験を通し、ロイスは人間的に大きく成長していた。2018年11月の『南ドイツ新聞』のインタビューでこう語った。
「自分の体は年間60試合もたない、という現実を受け入れたんだ。自分の体には休みが必要だってね。負荷と休みのバランスを見つけられるようになった」
今季ドルトムントにやって来たルシアン・ファブレ新監督はそれに理解を示し、さらにロイスにとって一番好きなトップ下のポジションを与えてくれた。
「自分にとって一番やりやすいのはトップ下。試合では多くのボールが中央を経由する。もし自分が中央にいれば、すなわち頻繁に戦いの局面に絡める。そうやって常にゲームに絡むのが好きだ。このポジションに大きな可能性を感じている。自分がさらに上のレベルに行くには、このポジションしかない」
これまでドルトムントでもドイツ代表でもサイドでプレーすることが多かったが、ファブレによってトップ下で新境地を開いた。史上最高のパフォーマンスを見せられている最大の要因はポジションにあると言っていい。
今冬はバカンス先のドバイで食あたりを起こし、合宿で満足に練習できず、2kg痩せてしまった。ブンデスリーガ後期開幕のRBライプツィヒ戦では、前日練習でデラネイと衝突して足首を痛めて欠場。2月もDFBポカールのブレーメン戦(5日)では、太腿の肉離れによってハーフタイムに交代を余儀なくされ、CLラウンド16第1レグのトッテナム戦(13日)に出ることができなかった。
だが、負荷と休みのバランスを見出したロイスなら、すぐにピッチに戻ってチームを引っ張ってくれるだろう。29歳の今でも、まだまだ伸びしろがある。ここからロイスはさらに進化していくはずだ。
Photos: Bongarts/Getty Images, Getty Images
Profile
木崎 伸也
1975年1月3日、東京都出身。 02年W杯後、オランダ・ドイツで活動し、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材した。現在は帰国し、Numberのほか、雑誌・新聞等に数多く寄稿している。