フットボールIQの正体―― すべては「首振り」から始まる
TACTICAL FRONTIER
サッカー戦術の最前線は近年急激なスピードで進化している。インターネットの発達で国境を越えた情報にアクセスできるようになり、指導者のキャリア形成や目指すサッカースタイルに明らかな変化が生まれた。国籍・プロアマ問わず最先端の理論が共有されるボーダーレス化の先に待つのは、どんな未来なのか? すでに世界各国で起こり始めている“戦術革命”にフォーカスし、複雑化した現代サッカーの新しい楽しみ方を提案したい。
バルセロナの名手シャビは「フィジカルに支配されていた」中盤のエリアを制圧し、ヨハン・クライフの理想を体現するフットボールの核となった。彼らのようなトップレベルのMFは技術的な正確性に加えて、「優れたフットボールIQ」を称賛されている。正しいタイミングで、正しい選手にボールを配給することは、キック自体の精度と同じくらい重要なのだ。
ヨハン・クライフは「私のテクニックと優れた視野は、コンピューターでは見つけられないものだ」と述べているが、確かに当時の技術力では「はるか上空から見下ろすような視野」を誇ったトータルフットボールの申し子を評価するのは難しかったに違いない。
しかし、近年の科学的な発展によって抽象的な表現に過ぎなかった「フットボールIQ」を読み解く試みも存在する。プレドラグ・ペトロビッチ氏によれば、イニエスタとシャビに神経心理学的なテストを受けさせた結果、彼らの「問題解決能力」や「判断力」は傑出していたという。そして、同様に高いスコアを記録したのが「情報収集能力」だ。当然だが、正確に情報を収集しなければ、それを精査することも難しい。
意思決定の3つのフェーズ
ノルウェーの心理学者Dr.ゲイル・ヨルデは、フットボールにおける「意思決定」を3つのフェーズに分割した。1つ目は、「視覚による知覚」。視野に入ってくる情報を収集し、解釈する能力だ。2つ目は、「探索的行動」。積極的に状況を把握し、情報を収集する能力を指す。最後が「予測」。これは収集した情報から、数秒後の状況をイメージする能力になる。
彼は「探索的行動」に着目し、選手の首振りをテーマにした研究を開始した。その研究によれば、当時プレミアリーグで最も「探索的行動の頻度」が高かったのはチェルシーのフランク・ランパードだった。
英国屈指のMFとして知られ、献身的な上下動と高い得点能力で知られた名手は、1本のパスを受ける前に「平均0.62秒」の探索的行動によって情報を収集していた。エリア内に的確なタイミングで侵入し、ゴールを脅かす彼のプレーは「高精度の情報収集」によって支えられていたのだ。
スティーブン・ジェラードも同様に高いスコアを記録しており、広い範囲を動き回るタイプのMFは優れた「情報探索能力」を武器にしていることがわかる。ちなみに、「ピッチを常に見回して、スペースを探し続けている」とインタビューで語ったシャビは「平均0.83秒」という圧倒的な成績を残した。
彼の研究において、「探索的行動」は以下のように定義されている。
「ボールを保有した際のアクションに繋がる情報を得ようという意思によって、ボールの存在する方向以外を把握しようとする、身体や頭の動き」
元イタリア代表のアンドレア・ピルロは同様にピッチ全体を見回すような広い視野で知られているが、常に緩やかに移動しながら首を振っている。現在の選手で言えば、マンチェスター・シティのケビン・デ・ブルイネはセントラルMFで起用されたことでピッチの全容を把握する能力を飛躍的に向上させた。
2018年12月19日、リーグカップのレスター戦のゴールは象徴的だ。「オーバーラップした味方のスペースを見る」ことで相手SBを牽制し、戻ってきた味方MFのベクトルを利用するようにダブルタッチで切り返すと、視野の外から追いかけてくる選手を利用するようにスペースを創出し、ミドルシュートを決めた。トップスピードでのドリブル中に味方の位置を把握し、難しいパスをたやすく選択することがデ・ブルイネの異能であり、彼の視覚による知覚からの「予測」と「実行」のスピードは他を寄せつけない。
同時に戦術的な知識は「味方の位置」と「相手の位置」の情報を無意識のうちに捕捉し、選手の判断速度を高める役割を果たしている。認知心理学者も「熟練者は環境から得られる情報の取捨選択能力に秀でており、必要ではない情報を削ぎ落とすことによって高精度の予測を可能とする」と述べている。「情報の削ぎ落とし」は、ポジショナルプレーのような原則の役割とも解釈することができる。
探索的行動はパフォーマンス向上に直結する
Dr.ゲイル・ヨルデは首振りについてのデータを収集するだけでなく、その重要性にも言及した研究を発表している。
2013年の論文によれば、探索的行動を頻繁に行う選手は「パスの成功数」と「縦パスの成功数」が一般的な選手よりも多いことがわかった。同時に彼は「探索的行動とパフォーマンスの相関」を調査するために、長期間の縦断研究にも挑戦している。「3人の選手に10~14週間のイメージトレーニングを義務づけることで、探索的行動の頻度とボールコントロール能力を高めることが可能である」という仮説を検証。結果として、3人中1人はパフォーマンスの向上を達成し、全員が探索的行動の頻度を高めることになった。実験後のインタビューによれば、すべての選手が「パフォーマンスの向上」を実感したと主張している。
2004年には和歌山大学の研究者も「トラップ&パス動作における視野確保に関する研究」で、首振り動作とパスの成功率の相関を明らかにしている。2013年にデイビッド・エルドリッジが「プレー精度と探索的行動」における同様の傾向が、ユース世代でも見られることを証明。ボールをもらう前に首を振ることで、ターンや前向きのパスが増加する傾向にあることを示した。同時に指導者は、ユース世代の選手に首を振ることを奨励しつつ、自然に情報を収集しなければならない練習環境をセッティングすべきと述べている。具体的な練習は後述するが、例えば狭いスペースでのトレーニングや、プレッシャーの強度を調整したトレーニングが必要になるだろう。
パフォーマンスをどのように定義し、どのような試合でのデータを収集するかによって、研究結果が一変する分野であることには注意しなければならないが、おおむね現在の研究は似た傾向を示している。同分野の研究は論文数・研究方法の両面でいまだに限定されているが、2016年にノルウェーサッカー協会がUEFAの協力を得ることで実現した研究は示唆に富む。同研究によれば、探索的行動はパスだけでなくドリブルの成功率にも影響を及ぼすという。ゴール方向に向かうアクションの質を高めるには、ボールを受ける前にできる限りの情報を得る必要があるのだ。もう1つの研究結果であるトッププレーヤーは一般的なプレーヤーよりも「ボールから目を離す時間が長い」という事実も興味深い。彼らは自分が関与しないタイミングで死角の情報を集めることで、決定的な場面でのプレー精度を高めているのかもしれない。
また、プレーの前に「長い探索的行動」が必要になるのは「相手の間を通過するような、エリア周辺での縦パス/ドリブル」だった。この研究論文の著者は「崩しのフェーズでのプレーは味方の動きと敵の位置を正確に把握する必要があり、多くの情報を必要とする」という仮説を提唱している。崩しのフェーズでの判断スピードに優れたデ・ブルイネは、その局面に至るまでの情報収集が巧いのではないだろうか。
育成における認知トレーニングの必要性
ランパードは幼少時に、スタンドの父親から頻繁に「状況をイメージしろ!」と大声で指示されていた。彼は子供の頃から「首振りによって、ピッチの全体を把握する」ことを叩き込まれていたのだ。バルセロナも同様に、狭いピッチで判断のスピードを高めるようなトレーニングを繰り返すことで、優秀なMFを輩出してきた。
学術研究内で奨励されているメニューを1つ紹介すると、特定の選手がボールを受けた時に探索的行動をするというルールを加えた試合形式のトレーニングがある。明確な探索的行動のスイッチを定めることで、選手の習慣化を助けることが可能となる。試合中に選手に「目を閉じる」ように指示し、“自分の一番近くにいる中盤の選手”の位置を尋ねる方法もある。これは、試合中に周囲の情報を集め、記憶することを奨励する工夫だ。
2015年にアンヘル・リクを中心とした研究グループが発表しているように、トレーニングにフリーマンを導入することによって探索的行動は増加する傾向にある。育成の名門として名高いアヤックスユースは特に探索的行動を重要視しており、2016年のUEFAユースリーグのチェルシー戦では各ポジションに「アカデミーで最も探索的行動の頻度が高いプレーヤー」をそろえていたという。CBとしてスターティングイレブンに名を連ねたマタイス・デ・リフトを筆頭に、オランダの育成が復権しているのは首振りによる認知能力の重要視が関わっているに違いない。
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Profile
結城 康平
1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。