「ケガとともに生きた」選手たち#5
3月12日に発売された『月刊フットボリスタ第67号』では「ケガとともに生きる」と題し、アスリートにとって逃れることのできないケガにサッカー界がどう向き合っているのか、不運に見舞われた選手たちの逆境の乗り越え方、人生への向き合い方から、なかなか表に出ないケガの予防、治療、リハビリにまつわる最新事情までを取り上げている。
ただ実は、フットボリスタがこうしてケガについて特集するのは初めてではない。ちょうど10年前の2009年11月5日発売号で、負傷に泣かされた選手たちの状況や当時の最新事情にフォーカスしていた。そこで今回の最新号に合わせて、当時の特集からいくつかの記事をピックアップして掲載する。
#5はマイケル・オーウェン。“ワンダーボーイ”につきまとった「オーウェン=ケガ」のイメージ。一度負傷禍に陥った選手には、パフォーマンスや数字だけでは拭い切れない“もう一つの後遺症”との闘いが待ち受けている。
※2009年11月5日発売『週刊footballista #142』掲載
Michael OWEN
マイケル・オーウェン|マンチェスター・ユナイテッド
オーウェンは98年W杯のアルゼンチン戦で独走ゴールを決め、颯爽(さっそう)と世界のサッカーシーンに登場した。それから11年。昨夏にフリーでマンチェスターU入りした29歳が「タダだから拾ってもらえたキズ物」とけなされるなどと、当時の誰が想像し得ただろうか?
確かに、傷だらけの両足はかつてのトップスピードを生み出すことができない。しかし、本人が「結果は残している」と胸を張るように、数字に目をやれば、ストライカーとしてのオーウェンは健在であり続けている。
■ドイツで負った“致命傷”
にもかかわらず、オーウェンは世界屈指のFWとしての信憑性を失ってしまった。リバプールではデビューを飾った97年からチーム内得点王であり続けたが、04年に監督となったベニテスは、ハムストリングに問題を抱えるエースのレアル・マドリー行きを阻止しようとはしなかった。翌シーズン、交代出場に終始しながらリーガ随一の得点率を記録したRマドリーからプレミアへのUターンを希望した際には、移籍金の高さと故障のリスクを天秤にかけられ、古巣を含むビッククラブへの移籍は実現しなかった。
評判の上で致命傷となったのは、06年W杯で負った後十字靭帯の裂傷。中足骨骨折から復帰したばかりの新戦力を1年間失うことになったニューカッスルが、FIFAとFAに10億円台の損害賠償を要求したことで、「オーウェン=ケガ」のイメージは決定的なものとなった。
だが、オーウェンの体そのものは、膝の手術を受けて以来、長期欠場を必要としていない。ゴール前への速さは失ったが、精力的な筋力トレーニングでゴール前での強さは増した。得点感覚が衰えていないことは、先のマンチェスターダービーでの決勝ゴールで証明済みだ。「体は万全」と断言してキャリア3度目の移籍を果たしたオーウェンは、来夏のW杯を視野に入れている。いまだカペッロ率いるイングランドには縁がないが、実力派FWの駒不足に悩む代表監督も元エースを見守り続けている。
◯ ◯ ◯
Photos: Getty Images
Profile
山中 忍
1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。