アヤックス、復権のカギは個の育成。白井裕之が語る名門の発想転換
3月5日のCLラウンド16第2レグで、レアル・マドリー相手に敵地サンティアゴ・ベルナベウで1-4勝利。3連覇中の王者を敗退に追いやり世界に衝撃を与えたアヤックス。長らく欧州最高峰の舞台で結果を残せていなかったオランダの名門を復権へと導いたのが、育成プログラムの変革だった。アヤックスでアナリストやスカウトを歴任し現在はサガン鳥栖のコーチを務める白井裕之氏に聞いた。
「プラン・クライフ」の果実
── 近年のアヤックスはユスティン・クライファートをはじめマタイス・デ・リフトなど10代からレギュラーを張るタレントが続出しています。その理由を教えていただくのが今回のメインテーマです。
「すべては8年前、ヨハン・クライフがアヤックスのアカデミーに戻って来たことが始まりです。そこからビム・ヨンクをアカデミーダイレクターに任命して、『プラン・クライフ』というプロジェクトがスタートしました。一番大きな変化はチームを母体とした育成から、選手を母体とした育成への転換です。育成年代でも通常は『チームが勝つために必要なメンバーを選ぶ』というのが基本方針ですよね。日本も当然そうですし、他のヨーロッパの国もそうです。ところが、クライフはチームが勝つことではなく、あくまで個人の成長にフォーカスを当てました」
── 具体的にはどういうトレーニングをするのでしょう?
「例えば、12歳以上は1日2回のトレーニングで、午前中はパフォーマンスコーチに見てもらって、個を伸ばすトレーニングを行います。ポジション別にメニューを変えて、生物学的年齢に合わせた負荷をかけて、弱点をなくして長所を伸ばす。午後はアヤックスのプレーモデルに当てはめたトレーニングの中で個を伸ばしていきます。攻撃的に考え実行できるチャンピオンズリーグレベルの選手を育てるのが最終的な目標です」
── 以前15歳の時のクライファートとデ・リフトの写真の話を聞いたことがありますが、生物学的年齢が違うという文脈でしたよね。
「クラブ内では有名な写真なんですが、3人並んでいて同い年のユスティンとデ・リフトの身長が全然違うんです。ユスティンは15歳の時に生物学的年齢が15.6歳、デ・リフトは17.3歳だったんです。なので、15歳の時ユスティンはU-16チーム、デ・リフトはU-17チームでプレーしていました」
── チーム事情ではなく、あくまで自分の生物学的年齢に合わせてプレーするカテゴリーが決まるんですね。骨年齢とかで調べるんですか?
「両親の身長だったり、最近の身長の伸び率だったり、総合的に見ますね」
── 2人はともに17歳でプロデビューしていますが、すでに十分に成熟していたということでしょうか?
「肉体的に早熟なタイプのデ・リフトはそうですね。ユスティンは17歳のシーズンでU-19の国内リーグとカップ戦、後半戦でU-19CLとサテライトでプレーさせる計画でした。ところが、成長スピードが段違いでわずか3カ月でそのステップをすべて踏んで、後半はトップチームに昇格してゴールまで決めてしまい、最後はオランダ代表入りしました」
── トップチームとサテライトやU-19のチーム間で選手の綱引きなどは起きないのでしょうか?
「そこがアヤックスの独特なところで、トップチームとアカデミーがシームレスなんです。例えば、『チーム・ユスティン』という個人の成長プロジェクトがクラブ内で共有されており、今は辞めてしまったのですがデニス・ベルカンプがトップ、サテライト、U-19のコーチをすべて兼任して、クラブ内のトップタレントを把握し、各選手に合った計画を立てていきます。彼の判断でユスティンはプレーするチームを決めていました」
クライファートは「途中」だった
── まさにクライファートやデ・リフトは「プラン・クライフ」の果実と言えそうですね。
「ただ、ユスティンのプロジェクトはまだ途上だったんです。そもそもアヤックスがなぜ『プラン・クライフ』による改革を決断したかと言えば、ボスマン判決以降にせっかく育てた有望選手をことごとく買われることになり、チーム力を維持できなくなったからでした。そこで考えられたのが、綿密な計画による『育成の前倒し』です。17歳、18歳でトップチームのレギュラーに定着し、これまでよりも長くアヤックスでプレーすることを目標に始めました。そこでキャリアを積んだ選手が22歳頃になって大きな移籍金とともにビッグクラブへ移籍をします。これは選手たちにもはっきり伝えていますし、むしろクラブが移籍のサポートまでするつもりです。『アヤックスは10代の若手を積極的に使ってくれて、移籍もオープン』ということが評価されて、今では昔はフェイエノールトやPSVに行っていたような国内のタレントが集まるようになってきました。ところが、今は18歳とか19歳を死守するのも大変になってきました。ここまでの移籍の低年齢化は予想外でしたね」
── クライファートは昨シーズンがレギュラー1年目でしたしね。
「昨シーズンはCLに出ていませんでしたし、あと1年はアヤックスでやるべきでした。今シーズン、中心選手としてCLや国内リーグを戦えば個人としてもさらに成長できましたし、選手としての価値も上がり、クラブが獲れる移籍金の額も上がったはずです。クラブは功労者の移籍はサポートすると公言していますし、あと1年プレーすれば表玄関から出て行けたのにもったいないと思います。この年齢はとにかく1試合でも多くプレーすることが大事です。結局ローマでも出たり出なかったりなので、この移籍はオランダ国内でも疑問視されています。サッカー的に見てもオランダとイタリアはカルチャーが違いますし、ユスティンにはそれを埋めるためのトップレベルでの経験値も足りていません」
── 昨シーズンのダビンソン・サンチェスも強引な移籍でしたし、アヤックスのプランを貫くのも難しくなってきそうですね。理想はデ・リフトのケースですか?
「彼は19歳ですでにトップチームの副キャプテンを務めていますし、オランダ代表にも名を連ねています。CLを経験すれば欧州最高峰の若手CBとして引っ張りだこでしょう。来シーズンはクラブも移籍をサポートすると思います」
── ただ、そんな中で今シーズンのアヤックスはCLで快進撃を見せています。
「3つ理由があると思います。1つ目はコーチングスタッフ。監督のエリック・テン・ハフは新しいジェネレーションの、いわゆるラップトップ監督です。グアルディオラ時代のバイエルンのセカンドチーム監督を務めていて、その後オランダに戻りユトレヒトで結果を残してアヤックスに引き抜かれました。彼とコンビを組むアシスタントコーチのアルフレッド・スクローダーはホッフェンハイムでナーゲルスマンのアシスタントコーチを務めていた、こちらも新世代のコーチです。急激に進化している今のサッカーのトレンドを押さえているコーチングスタッフがいるのは大きい。
2つ目は『プラン・クライフ』の果実ですね。ユスティンはいなくなりましたが、デ・リフトを筆頭にドニー・ファン・デ・ベーク、ノゼア・マズラウィといった小さい頃からアカデミーにいた選手がレギュラーを張っています。特に右SBのマズラウィは驚きでした。アカデミー時代は彼がプロになれるとは誰も思っていなかったですから。まったく目立たない選手で、右ウイング、右MFなど便利屋的に使い回されていました」
── なぜ、そんな選手がブレイクしたのですか?
「テン・ハフの戦術がはまりましたね。攻撃時はほぼ2バックで、右SBに求められる能力が純粋なSBではないんです。そこで今までいろんなポジションをやってきたことが生きたのでしょうし、隠された才能を見抜いたコーチングスタッフもさすがです。右ウイングのハキム・ジエクとのコンビネーションが良くて、彼が移籍しなかった運もありました」
── デンマーク人のドルベリはU-19からですよね。
「イブラヒモビッチもそうですが、育成の最後の仕上げをやるのもアヤックスの得意とするところです。ドルベリだけでなく、フレンキー・デ・ヨンクもU-19経由でトップチームに送り出しています。プレッシャーの少ないアカデミーでアヤックスのプレーモデルを学べるので、スムーズにプレーできるようになります」
── アヤックス好調の理由、最後の3つ目は?
「必要な場合は、他クラブの高額な選手を移籍で獲るようになったことです。アヤックスは育てて移籍を許可するクラブで、最近はそれで高額な移籍金が入り、実は経済的には余裕があります。クライフの考えはそれを育成に投資することでしたが、抜かれた選手をそのままにするとトップの競争力が保てません。常にそのポジションにいい選手が出てくるわけではないですからね。最近のアヤックスはCLでグループステージ敗退を繰り返していて、ファンも希望が見出しにくくなっています。そこである程度移籍市場にも投資して結果も求めていこうという方針になりました。10番のドゥシャン・タディッチはお金をかけて獲りましたし、それに見合う活躍をしてくれています。まとめると、新世代のコーチ陣が育成や補強で得た戦力でいいチームを作ったと言えるでしょう」
── 新たなアヤックス・メソッドへのオランダ国内の評価はどうなのでしょう?
「オランダサッカーのベースには『サッカーは11人によって行われるチームスポーツ』という原則があるので、個人にフォーカスした『プラン・クライフ』には強い反発がありました。ただ、オランダサッカーも変わらなければいけません。モダンサッカーの走りであるトータルフットボールはこの国で生まれた概念ですし、そうした誇りや過去の成功体験が変化を妨げている部分もあります。革新的なアヤックスのやり方も結果が出たことで徐々に認められてきており、これがオランダサッカー全体にもいい影響を及ぼしてほしいですね」
アヤックス・メソッドを輸入した鳥栖
── サガン鳥栖がアヤックスとアカデミーに関する提携を結びましたが、アヤックスの育成メソッドがJリーグにも導入されるわけですね。
「昨年11月から私も正式にアシスタントコーチとして鳥栖に加わることになりました。誤解されたくないのが鳥栖でアヤックスのサッカーをそのままやるわけではありません。導入するのは育成の大きなフレームワークで、アヤックスにはオランダのアムステルダムというヨーロッパの中の小国ならではの文化と価値観がありますし、日本の九州にある鳥栖にもそこに根づいたまた別の文化・価値観があります。アヤックスのクラブカラーは『攻撃的・創造的にプレーする』『アカデミーの選手にチャンスを与える』などですが、鳥栖の関係者にヒアリングすると『ハードワーク』がクラブの色として挙がりました。そこを出発点に鳥栖ならではの育成メソッドを時間をかけて丁寧に、みんなの力で作っていければと考えています」
── なぜ、鳥栖はアヤックスと組もうと考えたのでしょうか?
「これまで鳥栖のアカデミー出身者は多くありませんでしたが、今は非常に強くなってきて、九州の中でもタレントが集まるようになってきました。そこでクラブとしてアカデミーに投資をして、九州を巻き込むような育成型クラブにしたいという壮大な計画に私自身も惹かれました。ヨーロッパを目指す選手が鳥栖で成長し、アヤックスでプレーするという未来もあるかもしれません。私にとっても非常に楽しみな挑戦です」
── ヨーロッパの中でも斬新なアヤックスの育成メソッドがJリーグにもたらされる意味は大きいと感じています。本日はお忙しい中、ありがとうございました。
Hiroyuki SHIRAI
白井裕之(サガン鳥栖コーチ)
1977.7.10(41歳)JAPAN
18歳から指導者としての活動をスタート。24歳でオランダに渡り、アマチュアクラブで13歳から19歳までのセレクションチームの監督を経験。11-12シーズンからアヤックスのアマチュアチームにアシスタントコーチ、ゲーム・ビデオ分析担当者として加入し、その後13-14シーズンからアヤックス育成アカデミーのユース年代専属アナリストを務めた。その後アヤックスのワールドコーチングコンサルタントとして、外国のサッカー協会やクラブとのパートナーシップ下での活動や選手のスカウティングを担当し、2018年11月から提携クラブであるサガン鳥栖のアシスタントコーチを務める。
Photos: Getty Images
Profile
浅野 賀一
1980年、北海道釧路市生まれ。3年半のサラリーマン生活を経て、2005年からフリーランス活動を開始。2006年10月から海外サッカー専門誌『footballista』の創刊メンバーとして加わり、2015年8月から編集長を務める。西部謙司氏との共著に『戦術に関してはこの本が最高峰』(東邦出版)がある。