「プレー哲学主義」がミレニアル世代のマネージメント
TACTICAL FRONTIER
サッカー戦術の最前線は近年急激なスピードで進化している。インターネットの発達で国境を越えた情報にアクセスできるようになり、指導者のキャリア形成や目指すサッカースタイルに明らかな変化が生まれた。国籍・プロアマ問わず最先端の理論が共有されるボーダーレス化の先に待つのは、どんな未来なのか? すでに世界各国で起こり始めている“戦術革命”にフォーカスし、複雑化した現代サッカーの新しい楽しみ方を提案したい。
「ミレニアル世代」という言葉を、耳にしたことがあるだろうか。主にアメリカで使われている「1980~2000年頃に生まれた若者」を指し示す用語は、従来の世代とは異なる特性を有する世代を表現するために作られた。フットボールの世界に限れば、1980年生まれの選手がアシュリー・コールやジョン・テリー、パリSGで躍動する神童キリアン・ムバッペが1998年生まれなので、大半のプロ選手が「ミレニアル世代」ということになる。選手たちの性質が変わっていく中で、マネージメントの方法も変化していくのは必然だろう。今回は、フットボールの世界が直面する「マネージメントの変化」について考察したい。
「ソーシャルメディアの肥大化」による変化
「デジタルネイティブ」と呼ばれるように、インターネットやデジタル機器を10代の頃から使い慣れている彼らにとって、携帯電話は生活必需品だ。マンチェスター・シティのバンジャマン・メンディは積極的にSNSで情報を発信しているが、練習場にも携帯電話を持ち込んでいることが問題視され、指揮官であるペップ・グアルディオラから厳しく指導されることになってしまった。スマートフォンを使った情報発信は「セルフブランディング」的な側面もあり、広告塔でもあるフットボーラーにとって「避けられない仕事」になりつつある。SNS上においては、クリスティアーノ・ロナウドがクラブを超えるフォロワー数を有するなど、スター選手の影響力は計り知れない。
ユースの育成環境でもSNSは重要なテーマだと理解されており、例えばイングランドサッカー協会は「ユース選手や指導者のSNS使用」についてのガイドラインを作成している。元マンチェスター・ユナイテッドのダロン・ギブソンは23歳の時にTwitterアカウントを作成したが、多くのサポーターから批判的なコメントが集中。結果的にアカウントを閉鎖する騒ぎとなってしまったが、10代の頃から過度な批判にさらされてしまうリスクも存在する。
今や選手がインターネットから離れることは難しく、クラブの心理カウンセラーも頭を悩ませている。アムステルダム大学のビンセント・グットゥバージュが発表した研究によれば、不安や鬱といった心理的な問題を抱えているプロ選手は研究対象の26%となっており、強烈なプレッシャーが精神的な問題に繋がることを示唆している。メディアの前で選手を批判し、発奮させるようなアプローチは「ソーシャルメディアの肥大化」によって難易度が増している。昔は狭いコミュニティにとどまっていたコメントが世界中に広がってしまい、様々に解釈されて記事化される昨今「メディアの活用」は難しくなっている。
ジョゼ・モウリーニョの失敗は、ミレニアル世代をマネージメントする際にメディアを巻き込もうとしたことにもあったのかもしれない。ルーク・ショーは辛辣な評価にも発奮し、結果を残すことでモウリーニョのマネージメント方法に噛み合う選手であることを証明したが、ポール・ポグバは真逆。副キャプテンの役割を剥奪するなど、チームの中心であるフランス代表MFを奮起させようと刺激を与えるようなマネージメントを試みたが、ピッチ上でのポグバは不安定なパフォーマンスを続けることになった。デシャンが率いた代表では、エリア内に戻っての献身的な守備にも参加していたポグバが、クラブではボールを奪われても積極的には守備に参加せず、チームのバランスを悪化させる要因となっていたのは印象的だ。メディアが不仲説を頻繁に報道したことも、悪影響を及ぼしたように感じられる。
テクノロジーへの傾倒は、必ずしもネガティブなわけではない。デジタル機器に慣れた選手たちのパフォーマンスを向上させるには「映像を使ったプレー分析」や「データの提示」が効果的だ。サウサンプトンに所属するMFピエール・エミール・ホイビュルクは「パス成功率、タッチ数、縦パス数を試合後に確認することで、自らのプレー向上に活用している」とコメントしており、データからの客観的なプレー分析も欠かさない。同様に選手たちを指導する際も、データや映像を使うことで具体的な指摘が可能となる。動画を再生するデバイスの発展によって、自分の望むタイミングでプレー映像を確認することもできる。
「思考」をそぎ落とされたモダンな選手たち
ビジネスの世界において、ミレニアル世代は「企業文化」を重要視する傾向にある。働きやすい環境を求め、彼らは「企業理念」に共感する会社を選択することが多い。レスターを奇跡的な優勝に導いたクラウディオ・ラニエリは、当時のチームに理想的な環境を作り出すことに成功した。無失点に抑えるという目標を「ピザをご馳走する」という褒賞と結びつけたエピソードが有名だが、重要なのはチーム全体が「共通した目標を達成し、ともに食事をする」という状況を作り出したことだろう。指揮官が細かな指示を出さなくてもチームは団結し、選手たちは自然に規範を守ることになった。現在マンチェスター・シティに所属するマレズの「チームの仲間が守備に走り回る姿を見れば、自分がサボることなんて考えられない。チームと一緒に走ることは、辛いことではない」というコメントは、ハードワークに対する価値観がチームで共用されている事実を示唆している。
企業理念に選手が導かれるからこそ、チームの「プレー哲学」の重要性が増しているのも事実だ。ユルゲン・クロップやディエゴ・シメオネは徹底して自らのスタイルを押し出し、「チームの文化」を創出することに成功。グアルディオラも、「自らのプレー哲学」を頑なに追い求める。フットボール選手自体の変化も、「プレー哲学」を求める理由になっている。
ジョゼ・モウリーニョは「23歳のフランク・ランパードはすでに成熟したプロフェッショナルだった。今の23歳は同じプロ選手でも、子供のようだ」とコメントしたことがあるが、大切に選手を守り、育成するアカデミーや10代の頃から選手の移籍をコントロールする代理人の存在によって、現代のフットボーラーは「成熟」の機会を奪われる傾向にある。ピッチ内でも、複雑な現代フットボールに適応することを目指した「オールラウンダー」としての育成が成功している一方、「自ら思考し、工夫して状況を打破することが可能な選手」は多くない。ポグバは典型的で、攻撃面においては圧倒的なテクニックとアイディアを誇る。彼はフィジカルを生かした守備能力も十分に高いが、ユナイテッドでの出場時は「膨大なタスク」に混乱してしまう。様々な局面でプレー可能なことは、必ずしも「効果的に」プレー可能なことを意味しない。ユベントス時代には、マルキージオ、ビダル、ピルロといった選手と中盤で共存することで「タスクが明確化」されることになり、攻守両面で驚異的なパフォーマンスを披露したように、適切なサポートによる「役割の制限」が求められるのだ。
このような「状況に応じたプレー選択」と「膨大なタスクによる迷い」を軽減するのが、プレー哲学だ。局面におけるプレーを「指示」ではなく「指針」として示すことで、ポジショナルプレーのような概念は選手の思考を削ぎ落とす。選手に複雑な指示を出しても、解釈・対応する能力を有する選手は少ないのが実情で、それは「どちらの世代が優れている」という単純な二元論には帰結しない「世代間の差」を示している。アーセン・ベンゲルも同様に「選手に自由を与えながら、マクロレベルの戦術を定める」ことで成功してきたが、当然パトリック・ビエラとグラニト・ジャカではアウトプットが異なる。新指揮官エメリによって、タスクが明確化されたことで輝きを放つジャカは印象的な好例だろう。シティ時代のマンチーニのような「ミクロ」では緻密な指示に対応しきれず、ベンゲルやファーガソンのような「マクロ」では選択肢が膨大。その間となるような「指針」による「細かなタスクの整理」が、現代フットボールで求められるアプローチになっている。ミレニアル世代は「明確なフィードバック」を選手が望むことも特徴的であり、指揮官とのコミュニケーションを必要としている。
ビジネスの世界が直面する「新たなマネージメント方法への適応」という波は、フットボールの世界にも間違いなく押し寄せている。同時に、クラブのスカウティングや指揮官の雇用も再考しなければならない。選手個々の「対応力」を重視する監督には、自ら思考することが可能な選手を与えなければ力を発揮しないことが、いくつかのケーススタディによって証明されつつあるからだ。よって「1人の指揮官」に依存するのではなく、「プレー哲学をチーム全体が共有していくこと」が理想となる。グアルディオラによる戦術的なパラダイムシフトは「生き残る指導者」と「消えていく指導者」を残酷なまでに可視化したが、同様の大規模な変化がフットボール界を襲うのかもしれない。緻密な戦術を武器にしても、それに対応する選手がいなければ、監督の頭脳も宝の持ち腐れになってしまうのだから。
Photos : Getty Images
Profile
結城 康平
1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。